重陽・2

(泰継×花梨  京ED後背景)


とっとっとっとっ……
小走りの足音が聞こえてきた。

とくとくとくとく……
足音に合わせて泰継の鼓動が高鳴る。

顔を上げれば空が高い。

長月九日―――。
堀川を渡る秋の風がひんやりと心地よい。

堀川小路をそれて、泰継は川へと足を向ける。
河原を見下ろすゆるやかな斜面に座し
近づいてくる足音に耳を凝らした。

小路を行き交う人々の足音が、近づいては遠ざかっていく。
しかしたとえどんなに多くの音の中でも、
花梨の足音は聞き分けられる。

共に春を迎え夏を過ごし、そしてふたたび秋が来た。
泰継にとっては初めての「眠り」のないひととせ。
幸福が紡ぎ出す感情の名を、ひとつひとつ心に刻んだ日々だ。

花梨の足音がすぐそこまで来た。

なぜか分からぬが、花梨は安倍屋敷に立ち寄ったのだ。
では一緒に、と言ったが、
先に行って待っていて下さいとお願いされてしまった。
迎えに行きたいが、ここに座って動かずにいなければ。

とくとくとくとく……

高まる鼓動を感じながら、泰継は思う。

花梨は斜面を駆け下りてきて、私の隣に座るだろう。
そして小さな手を、私の手に重ねるだろう。

あるいは、弥生七日と卯月十日、葉月二十日にしたように、
後ろから私の両目を塞いで、
「誰〜だ」と愛らしい声で尋ねるかもしれない。
だとすれば、背を向けたままの方がよいだろうか。

とっとっとっとっ……
とくとくとくとく……

しかし、泰継の予想はどちらも外れた。

馥郁とした香りと共に、
「泰継さん、どうぞ」
花梨が差し出したのは、菊の花束。

泰継はゆっくりと瞬きした。
花梨は軽々と泰継の予想を超えてくる。

「……安倍屋敷に立ち寄ると言っていたのはこのためか?」
「はい。菊の花がとてもきれいに咲いていると聞いていたので」
「誰に?」
「お屋敷の人達が教えてくれました」
「では、安倍の陰陽師がこの菊を?」
「今日は泰継さんのお誕生日なので分けて頂けますかってお願いしたら、
みんなで特別にきれいな花を選んでくれたんですよ。
手伝ってくれたのは、ええと………」
花梨は泰継の知っている陰陽師の名を幾人も上げた。

「彼らが……私のために……?」

安倍家の陰陽師とは、九十年の間、務めに必要なやり取りしかしてこなかった。
彼らは泰継を敬遠し、泰継もまた自ら彼らに近づくことはなかったのだ。

しかし花梨と暮らすようになってから、泰継に向かう彼らの態度が
少しずつ変わってきていると感じてはいたのだが……。

「お誕生日って何なのかって、ちょっと不思議そうでしたけど、
それでもみんな喜んで手伝ってくれましたよ。
あ、お誕生日に菊の花って、おかしかったかな。
でも、今日は菊のお節句だし。
ええと、泰継さん、あの……やっぱりだめ…でした?」

心配そうな顔になった花梨に、泰継は頭を振って微笑んだ。
「菊の花は好ましい。
今の私が感じているのは、うれしいという気持ちだ」

彼らが変わったのではない。
他ならぬ泰継自身がそうであったように、花梨が変えたのだ。

―――泰継に嫁!? まさか……!?

仕事の依頼に来た見習いの者から話が広まり、
半信半疑で庵を訪れる者が後を絶たず、
「泰継さん、お屋敷にご挨拶に伺いましょう」
ということになった。

その後、いつの間にか花梨と安倍屋敷の者達は親しくなっていたようだ。

だが考えてみれば当然……のことなのかもしれない。
花梨には人の和を結ぶ不可思議な力がある。

自らに向けられる厳しい目の中にあって、
院と帝に分かれた八葉の不和を和と成し、信頼を勝ち得るなど、
他の誰に可能であったろうか。

泰継は、腕いっぱいの菊花に眼を落とし、
その中の一本に、思わず息を止めた。

白菊の中にあって、それだけが微かな色を帯びている。
充ち満ちる香りの中で……記憶が一気に遡った。



――この世に生を与えられたその時、
私は確かに、この香を呼吸した………。



記憶の始まりは、遙か遠い秋。
空高く晴れた重陽の日だ。

庭には一叢の菊花が揺れ、
安倍吉平が静かに微笑んでいた。

『泰継よ、私は父のような力を持たぬ。
この日を選び、お前に形を与えることしかできなかった』

まだ言の葉の意味を解さぬ私は、
吉平の語ったことを、音の連なりとして記憶した。
まして、穏やかな声に滲む感情など、
推し量るすべもなかった。

だが今なれば、少しだけ分かるような気がする。
あの時の吉平の心が……。



泰継が眼を上げると、花梨がにっこりと笑顔を返した。
物思いの間、何も言わず待っていてくれたのだ。


手をつなぎ、秋草を縫って歩き出す。

「すてきな日ですね。
京で初めて過ごす泰継さんのお誕生日が、
こんなにいい日でよかった……」
花梨の小さな手が泰継の手をきゅっと握った。

「私もだ」
泰継は、花梨の柔らかな手を、そっと握り返す。

「私、とっても幸せで、
こんな幸せをくれた泰継さんとみんなに、
ありがとう!…って叫びたいくらいです」
「叫んでも問題ない」

「じゃあ……」
大きく息を吸ってから、花梨ははっとして堀川小路に眼をやった。
「ええと……ちょっと恥ずかしいので、
今は心の中でお祈りすることにします」

「祈り……か」

花梨の言葉が、まるで初めて聞いた言の葉のように胸に染み入ってゆき、
あたたかく広がって泰継を満たした。

幸福を欲して人は祈る。
だが幸福である時も、人は祈るのだ。

遠き日に贈られた生命のゆえに、
私はここに花梨と共にいる。

在ることができる。

空を見上げ、泰継は祈った。

彼方へと過ぎ去りし人と、あの重陽の日へ、
感謝の祈りを。









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泰継さんハピバSSでした。

何かにつけて先代と比べられていたという泰継さんですが、
その誕生には、幸を祈る心があったと信じたい。

さて、花梨ちゃんは安倍家の人達とも上手くやっている様子。
泰明さんだったら、ちょっとやきもちを焼くかもですが、
泰継さんはそういう所は落ち着いているのではないかしら。
(↑ 言ってるそばから先代と比べた ↑)

せっかくめでたい日なので、八葉の皆様や梟さんも出せないかなあと目論みましたが、
まとまりがつかなくなったのでバッサリカット。次回には何とかしたいです。

なお、タイトルに「2」とついているのは、「重陽」という1作目があるからです。
そちらは泰明×あかね長編のエピローグの中の1編ですが、
ここだけ読んでも特にネタバレはしないので、リンクを張っておきます。
泰継さん誕生の話なので、カプ要素はありません。

「花の還る場所」   エピローグ「重陽」

こちらを読んで下さっている人は泰継さんが大好きだと思いますので、
泰継さんの登場するもう一つの長編(リズ×望美)もご紹介します。
物語の中ではかなり重要なポジションで登場していますが、
読んでもネタバレはほぼしません。
前後を読んでいなくても意味不明にはなりません(ならないはず)。
で、こちらはしっかり泰継×花梨です。

「果て遠き道」   序章「昔日の冬」(遙か2・ゲーム本編中)    終章「昔日の春」(遙か2・ED後)


2016.09.08 筆