嘘と桜と思い出

(ヒノエ×望美・無印ED後)


天に向かって屹立する杉の巨木が陽の光を遮っている。
熊野の山道は、暗緑色の谷底のようだ。

冷んやりとした気がたちこめる中を、
望美はヒノエと歩いている。

道もなく、標もないままに
磐根を越え、小さな流れを渡り、
灌木をかき分けながら急斜面を登り切った時、

その桜に出会った。

木々が途切れ、光射す一画。
その真中に、満開の花を纏い、桜は静かに立っている。

望美は、息を飲んだ。
言葉が出ない。

「どう?姫君。これが嘘つきの桜だよ」

ヒノエは望美を桜の真下に導いた。

ひらひらと、二人の上に花びらが散る。

「ねえ、上ってみよう」
桜を見上げたまま動けない望美に、
ヒノエがいたずらっぽく囁いた。

「え?そんなことしたら、枝が折れちゃうよ」
望美は驚いて答える。

が、ヒノエはあっという間に低い枝に飛び乗り、
望美に向かって手を差し出した。
「これが小さい頃からの、挨拶代わりってね。
おいで、姫君」


幹に頭をもたせかければ、頬に触れる樹皮の向こうに、
微かな音が聞こえる。

「ねえ、なぜ嘘つきの桜なんて呼ばれているの?」

「だって、嘘つきにしか見えない桜だからさ」
「ええっ、でもこの桜、本当にあるのに」

ヒノエは笑った。
「昔から、そう言われてるんだよ。
ここに来るまで、けっこう大変じゃなかった?」
「うん、道に迷ったらどうしようって思った。
ヒノエくんがいなかったら、心細くてここまで来られないよ。
目印もないのに、よく道が分かったね」

ヒノエは片目をつぶってみせた。
「道が分かるだけじゃだめなんだよ、姫君」
「え?なぜ?」
「この桜に会えるやつもいれば、
いくら探しても会えないやつもいるってこと」
「????」

「ははっ、お前の戸惑った顔は可愛いね。
でも、わかるだろう?」
「ここまで来られなかった人が、
桜を見た人の話を、嘘だと?」

「そういうこと。
これだけ見事な桜だよ。
誰だって人に話したくなるものだけど、
教わった通りに行ってみても何もないってね。
そうなると、だまされたと思うのも当然だよ」

「でも、名前が付けられるくらいだから、
同じことが何度もあったんだね」
ヒノエは口笛を吹いた。
「ご明察だよ、姫君」

「なんだか、かわいそうだね……、
嘘つきって言われた人も
この桜も……」

「そう思う?」
「ヒノエくんは、思わないの?」

ヒノエは少しの間眼を閉じ、
次いで花の向こうの高い梢を見上げた。

「この桜は、会いたい人間にだけ会うんじゃないかな。
だから、神子姫様には道を開いてくれたんだよ」

この世界に来る前だったなら、
変な冗談と笑っていたかもしれない。
でも今は……

「じゃあ、今日からは、私も嘘つきの仲間入りだね」

望美の髪に、花びらがはらはらと舞い降りた。

「桜が歓迎しているよ」
「ふふっ、うれしいな」


四囲は桜花。
淡い香と光に包まれて、二人は見つめ合う。

「ヒノエくん、小さい時から、ここに来ていたの?」
「そうだよ。
初めて来たのは、田辺から本宮に行く途中でね。
オレが迷子になったって、大騒ぎされたよ」

「その時も、こんな風に木登りしたの?」
「もちろん」
「楽しかった?」
「サイコーだったよ」

「この木、何歳かな」
「何百歳か…もっと古いかもね。
熊野の山も木も、途方もない昔から生きているから」

「何だか、不思議な気がする。
不思議で……美しくて、とても優しくて」

散りかかる桜花が、ふわりと舞った。

「神子姫様もこの桜を気に入ってくれて、うれしいよ」
「来年もまた、この桜に会ってもらえるといいな」

「一緒に会いに来よう、姫君」
「約束ね、ヒノエくん」

「じゃ、約束のしるし…」


小さなヒノエくん、会ってみたかったな…。

目の前のヒノエに重ねて、幼い少年の面影を想像した時、
梢を鳴らして風が吹きすぎた。

一斉に舞い散る花吹雪の中、
赤い髪の男の子が、
無邪気な笑い声と共に現れ、すぐに消えた。

気のせい……?
ううん、違う。

私の小さなお願いを、この桜がきいてくれたんだ。

ありがとう……。

「姫君、うれしそうだね。
どうしたんだい?」

「秘密…」

望美は花の雲を見上げて微笑んだ。









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ヒノエくんの、お誕生日SSです。

昨年は、「零零七番の不運」という、変化球な話を書きましたので
今年こそ、真っ向勝負で。
あいかわらず、糖度低めですけれど…(苦笑)。

2008.5.14 拍手より移動