除  夜



「先生、ごちそうさまでした!!」
望美は箸を置き、手を合わせた。
「年越しそばというのは、こういうものでよかったのか?」
「とてもおいしかったです!!おそばもおつゆも自家製なんて、先生すごいです!」
「口にあったのなら、よかった」
リズヴァーンの顔に笑みが浮かぶ。

「食器は私が片付けますね」
「では、一緒にやろう。これを運んでもらえるか?」
「はい」

いざ!と洗い物を置いたシンク周りは、もうきれいに片付けられている。
そばを打ったのに、粉も飛んでいない。鍋も、ざるも見当たらない。
「先生、おそばを打った道具、もう洗っちゃったんですか?」
「食事の支度は手順が大切だ。料理のできあがりと同時に、調理に使った道具の
片づけも終わらせるよう、心がけている」

「先生は、作ることだけがすごいんじゃないんですね。私には、こんなこと思いもつきませんでした。
もっともっと私・・・がんばります!」
力んで答えた望美の頭を、リズヴァーンがそっと撫でる。
「努力は必要だが、背伸びはしなくていい。ゆっくり、焦らず進みなさい」
「・・・ありがとうございます・・・」
リズヴァーンの大きな手の感触は、とても心地よくて、気持ちを落ち着かせてくれる。
望美はふっと肩の力が抜けるのを感じた。

「目に見える結果だけを追う必要はない。最初から上手な者などいないのだから。
お前も私も、それは同じだ」
「先生も・・・?本当ですか?」
「無論。それに、まだ・・・うまくできないこともある・・・」
「えっ?先生にも、そんなことが?それって、何ですか?」

その時、隣の部屋でかすかな音がした。
・・・・泥棒?それにしては、人の気配が無い。
部屋を覗くと、今度は廊下で、物音。

「神子・・・実は・・・」
リズヴァーンの声を背に廊下に出ると、

みぎゃっ!みぎゃっ!

「わあ!子猫!」

みぎゃっ!ふうぅっ!
そして、その足下でくしゃくしゃになっっているのは
「きゃっ!私の・・・買ったばかりのマフラー・・・」
「すまないことをした。子猫とはいえ、マフラーの兎の毛に野生の血が騒いだようだ」

ふぎゃっ!みぎゃっ!
子猫はまだ興奮して、望美のマフラーに挑んでいる。
リズヴァーンは、子猫をそっと抱き上げた。
それでも子猫はまだ爪を出し、小さな四肢を踏ん張って抵抗している。

「ふふっ、やんちゃな子ですね」
望美が指を近づけると、前足をおそるおそる伸ばしてくる。
「神子は、猫が好きか?」
「はい。でも先生、いつから・・・?」

心なしか、リズヴァーンの頬に赤みがさした。
「数日前・・・家の前で、目が合った」
先生、照れてる?
「それで、連れてきたんですね」
「何を思ったか、私によじ登ろうとしていた」
「かわいいですね」
「そうだな」
子猫はリズヴァーンの腕を伝って、肩に這い上がった。
その耳が、ぴくんと動く。 同時に、鐘の音が二人の耳に届いた。

「そろそろ出た方がよいな」
「先生と初詣、うれしいです!」
「神子は私のマフラーを使いなさい」
「え?それでは先生が」
「年の初めから風邪をひいてはいけない」
リズヴァーンは赤いマフラーを望美の首にかけた。


遠く近く、高く低く、鎌倉の寺々で撞く鐘の音が、冷たい夜気を渡っていく。
二人が向かったのは、十三夜の月に照らされ、ひっそりと奥まった小さな寺。
常であれば深閑とした佇まいのその寺にも、今宵は幾人かの参拝者の姿があった。
小さな鐘楼の、これまた小さな鐘は、少し明るく高い音で、人々の煩悩を祓っている。

その音の中、二人は新年の祈りを捧げ、
満ち足りた沈黙と共に参道を戻る。

どちらともなく、身を寄せ合って歩く。
鐘の音の合間に、二人の足音。
「私、たくさんお祈りしました」
「そうか。ならば、私のただ一つの祈りは報われる」
「え?先生は、何を?」
「お前の願いが叶うようにと・・・。それだけだ」
「あ〜〜・・・先生・・・」
「どうした?」
「私・・・その・・・恥ずかしいです」
「恥ずかしいとは?」
「私、先生とずっと一緒にいられますように、とか、お料理が上手になるように、とか、
自分のことばっかりお祈りしたんです」
リズヴァーンは声を出さずに笑った。

「手を・・・」
「はい」
リズヴァーンの大きな手が、望美の掌を包む。
「お前の手は、柔らかくなった」
「あ・・・。す、すみません・・・。修行・・・サボって」
リズヴァーンは望美の手に口づけた。
「・・・せ、先生・・・?」

「私は祈りの中で、己の来し方を思い、お前の孤独を、思っていた。
人知れず時空を行き来した、お前の決意と、覚悟と、己の信ずる道を貫いた、強さを」

「それは、先生も同じです。私のために、数え切れないくらい、何度も時空を渡って、
孤独な旅を続けて下さったんですから」

「私に与えられた宿命など、どれほどのことでもない。
だが、それでも私は幾度も除夜に・・・捕らわれそうになった」
「除夜?大晦日のこと・・・ですか?」
「光無き、暗き夜・・・無明の闇のことだ。それは常に私の孤独と共にあった。
だがお前は、少女の身には受けきれぬほどの重い使命を背負いながら、
なお軽やかに自由であった・・・」

「先生や、みんなが助けてくれたからです。一人じゃなかったから、
がんばれたんだと思います」
「だからこそ、神子としてではなく、自分自身の幸せを求めてほしい。
たくさんの願いを持ってほしい。それが、一つでも多く、叶ってほしい」

「先生・・・」
望美は空いている方の手で、リズヴァーンの頬に触れた。
「私の一番大きな願いは、先生が叶えてくれました。
先生が一緒にいてくれるだけで、本当に私・・・幸せです」

二人の顔が近づく。

その時

みぃ・・・

リズヴァーンのコートの襟から子猫が顔を出した。

「せ、先生・・・この子を連れてきてたんですか・・・」
「一人にするのは可哀想だ」

「ふふふっ」
思わず笑いながら、先生って、親ばかかもしれない・・・と望美は思う。
本当のお父さんになったら、先生はきっと・・・!・・・あ・・・・・・あ・・・あああ・・・・・・

笑ったとたんに真っ赤になって、望美は一人で慌てている。

そんな望美の肩を抱いて歩きながら、リズヴァーンはふと、
鐘の音が止んだことに気づいた。

言葉はもどかしい。
言葉で尽くせぬから、触れ合う。
だが、どれほど強く抱きしめても、唇を、肌を重ねても、
私はこの想いを・・・まだうまく伝えることができない。

湧き上がり、あふれ出る想いを、全て伝えたいと願う。
だがこの願いは、叶えてほしいと祈るべきものではないのだろう。

日々を重ねながら、少しずつ、お前に伝えていくこと、
それこそが、お前と共にいる歓び、私の幸せなのだから。

「神子、新たな年も、お前と共に・・・」
「先生・・・」


今度は、邪魔は入らなかった。




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あとがき


二人が仲よくしている話がいいな・・・、ただそれだけで書きました。

ご一読の通り、無印または迷宮エンド後設定です。
なので、1年が経ち、現代にも馴染んでいるだろうということで、
リズヴァーンのセリフにもカタカナを使いました。
「除夜の鐘」を撞く習わしは、鎌倉時代以降のようですので、
リズヴァーンは現代に来てから、「年越しそば」同様、知ったのでしょう。
きっと正月飾りは自作。
相変わらず、できることは全て自分でしているのだと思います。

望美と二人で暮らしているのかどうかは、あえて少々ぼかしました。
仲よく一緒にいるといいな、とは思うのですが、
望美の両親から、あっさりOKが出るとはどうしても思えませんし・・・。
変なところで現実的なのは、管理人のどうしようもない性質です(苦笑)。

そして、望美の手前、抑え気味ではあるものの、
実はかなり可愛がっているらしい子猫の名前は、まだない、ということで。
 「先生、この子の名前は何ていうんですか?」
   「エリザベス・・・と呼んでいる」
 「・・・・・」
なんて会話は妄想の中だけ(笑)。

2007.1.6筆