・・・大人の時間 超番外編・・・

昨日今日明日

―「迷宮」景時ED後―



繁華な表通りから一筋入った、目立たぬ路地の突き当たり。
古びた煉瓦造りの建物の、階段を下りた先にがっしりとした木の扉がある。
横には控えめに「BAR る・いーだ」という看板。
景時は、重い扉を静かに開いた。

「いらっしゃいませ」
マスターがカウンターの向こうで頭を下げ、
今までと同じように景時を迎えた。

マスターの目が一瞬、自分の後ろに向けられたことに気付く。
今までは景時に続いて弁慶とリズヴァーンが入って来た。
だが今日二人の姿は、ない。
これからも、ここに来るのは景時一人だ。


初めてこの店を訪れた時と同じように、
景時はカウンターの席に着いた。

マスターは鮮やかな動きでシェーカーを振っている。

――ああ、そうだ。初めて見た時には
ますたあは何をしてるんだろう、って驚いたんだっけ、オレ。

やがてマスターはシェーカーを下ろし、
カクテルグラスに中の液体を注いだ。

――そして、きれいな手さばきだなあって、思ったんだ。

マスターはグラスを銀のトレイに乗せ、
テーブル席に運んでいった。

中年の男性が背を丸めてピアノに向かい、少し悲しげな曲を弾いている。
静かな話し声に混じり、時折笑い声が聞こえる。
マスターの立つカウンターの向こう側には、壁一杯に酒の壜。
低い位置には、磨き上げられたグラスが並んでいる。

――変わらないんだ、ここは。
変わるはず、ないか。
本当に短い時間…だったんだから。

少し緊張しながら、一人で初めてここに来たのは、年の暮れ。
その後に、弁慶とリズ先生を連れてきて、
そしてまた、こうして一人で来ている。

――来るたびに、オレは少しずつ変わっていた。
でも、ここは同じままだ。
この場所には、途切れ途切れな時間の記憶が残されて…。

「何にいたしましょう」
マスターの穏やかな声がした。

物思いに沈んでいた景時は、はっと顔を上げる。
いつの間にか戻っていたマスターが、目の前にいた。

いつもの癖で笑顔を作った。
「そうだなあ、まだ飲んだことないかくてるに挑戦してみようかな。
どれにするかは、ますたあにお任せで」
マスターは静かに微笑む。
「一口にカクテルと申しましても、たくさんの種類がございます。
挑戦されるのでしたら、味の種類でも飲み口でも結構ですので、
何かご希望を仰って頂いた方がよろしいかと存じます」

「たくさんの種類って、どれくらい?」
「数千…といったところでしょうか。
さらには、日々、新しいレシピが加わっております」
「あ…ははは、それはすごいなあ。
その道を究めるのはやっぱり大変なんだね、ますたあ」

マスターの笑顔の皺が深くなった。
「私はまだまだ道を究めるまでには至りませんが、
梶原様のご希望に添えるカクテルは、お作りできると存じます」

「そうか、じゃあ来るたびに違うかくてるを頼めるね。
楽しみだなあ」
マスターの細い眼が少し開いた。
「ではもう少し、鎌倉に滞在されるのですか」

――そうだった。
オレ、年が明けたらすぐに帰るって…
ますたあには、そう言ってたんだ。

「あ…ああ、オレ、鎌倉(ここ) に住むことにしたんだ」
「左様でございますか」
マスターの眼が、再び笑い皺の中に隠れた。

――みんな帰った。
朔も、帰って行った。
そしてオレだけが残った。

ひりひりとした痛みが、胸にこびりついている。
望美には決して気づかせてはならない、痛み。

――ああ、だめだだめだ。
情けないなあ、オレ。
笑って、ど〜んと構えてなくちゃいけないのに。

ほんの少しの沈黙があり
「かしこまりました」
静かにマスターが言った。
「え?オレ、まだ何も…」
「今、お話下さいました」
「って、オレ、鎌倉に住む…としか言ってないけど」
マスターは軽く会釈して、棚から幾本かの壜を選び出した。
景時の眼をよぎった色は、見間違えようもない。

やがて景時の前に細長いグラスが置かれた。
焦げ茶、薔薇色、淡い空色の三層に分かれた、美しいカクテルだ。
景時は息を呑んだ。

「私のお勧めです。どうぞ」
景時は、グラスから眼を離せない。
「こんなきれいなかくてる、初めて見たよ。
不思議だなあ。なぜ混ざらないのかなあ」

「昨日と今日と明日だから…と存じます」
「え?」
きょとんとした景時に、マスターは答えた。
「このカクテルは、『昨日今日明日』という名でございますので」

「………そうか」

――過去と未来は、今を境に、決して混じり合うことはない。
だったら……
「ますたあ、どれが昨日で、どれが明日なのかな」
マスターは笑い皺の奥から答えた。
「それは、飲む方にお決め頂いております。
ですので、ここは梶原様のお心のままに」
「え〜っ、オレが決めていいの?」
「はい、お任せいたします」

下層はとろりと苦く、薔薇色の層は甘く、淡い空色にはほのかな酸味。
――取り戻せない昨日と見えない明日に挟まれて、
オレは…何をしたんだろう…。何をするんだろう。

「ますたあ、オレの昨日はこの苦いやつみたいだ…」
グラスを見つめたまま、ぽつんと景時は言った。
「後悔って、苦いよね」
「左様でしょうか」

「苦くない人生って、どんなだろう」
「……きっと、味気ないものでございましょう」

――そう思える日が、来るのだろうか。

ピアノの曲が変わった。
明るいのに、どこか気だるく切ない調べだ。

「ますたあ、あの曲は何て言うの?」
マスターはかすかに苦笑した。
「As time goes by……時の過ぎゆくままに、という曲です。
どうやら私共の話が聞こえていたようでございますね」

別の客から、注文が入った。

「酒と時間は、よき友です。
どうぞ、ごゆっくり」
景時に軽く会釈して、マスターは新しいカクテルを作り始めた。


景時はグラスを見つめている。

――ああ、そうだよね。
これからは、時間があるんだ。
まだ見えない明日を、二人で作っていく時間が。

ささやかなオレの願い…
でも、絶対に譲れない想いは、
ただ一人の、大切なひとを幸せにしたい…。それだけだ。

でもそれを貫くために、オレは……。

景時はグラスを握りしめた。
時は過ぎていく。苦い昨日を積み重ねながら。

ごめんね……みんな…。
ごめんね……朔…。

オレは忘れないよ。
苦くても、引きずり続けて生きていく。

オレは……、
朔の兄で、梶原党の当主で、源氏の軍奉行の

梶原平三景時。




      





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50000打お礼に書いた景時さんSSです。

舞台背景の「る・いーだ」の酒場は
「迷宮」ノーマルED前提の「大人の時間」シリーズに出てくる場所です。
「大人の時間」が、地味めなシリーズにも関わらず
事前のアンケートで人気だったことに気をよくして
書かせていただきました。
ただしこの話は、景時さんED後という設定ですので、
シリーズの超番外編、とさせていただきました。
一人、バーの止まり木に座る景時さんは絵になるのではないでしょうか(笑)。

なお、この物語はフィクションであり、
実在の人物、店、地名、お酒等とは、一切関係ありません。

2008.12.15 加筆・再掲