後方注意



――後方注意?

朝早く望美から送られてきたメールに、
景時はドキっとした。

うああ…、そういえば、昨日神社でおみくじを引いたんだっけ。

止めておけばよかったなあ。
望美ちゃんのもオレのも、「後方注意」と書いてあった。

でもオレのことまで心配してくれて……。
望美ちゃんて、いつも優しいなあ。

「ありがとう〜♪
君こそ、気をつけてね」

返信文を打ちながら立ち上がり、送信ボタンを押した瞬間、
はっとして後ろを見る。


何も………ない。


ああ〜〜、びくびくし過ぎだよね、オレ。
朝からお化けなんて出るはずないし。
あ、でも、お化けだけ気をつけていてもだめなのか。

え〜と、早めにおまじないでもしておいた方がいいかもしれない。
……って何て唱えればいいんだっけ。

呪文をド忘れして七転八倒の景時を、
庭の池から鯉とサンショウウオが不思議そうに見ている。

「梶原さ〜ん!」
門の外から声がした。大家のおばあさんだ。
呼び鈴を鳴らすより声をかけた方が早い、と信じているらしい。

「は〜い!」
今日も何か修理を頼みにきたのかな…。
おまじないは中断して、景時は外に出た。

景時の一日は、こうして穏やかに始まった。



しかし一方では……

「うん、私も気をつけるね!」

景時からの返信を見ながら、望美は食卓の椅子に腰掛けた。
いつもの、全く無意識の動作だ。しかし…

ガクボキッ! 「きゃっ!!」

椅子の脚が折れて、望美は床に尻餅をついてしまった。

「どうしたの…まあ!」
悲鳴に驚いて母が来た。
「椅子を壊すなんてすごいわ。
景時さんと一緒にケーキばかり食べてるから…」
「もう…景時さんもケーキも関係ないよ〜」

痛むおしりをさすりながら、望美はそれでも朝食をしっかり食べて家を出た。

――ぎりぎりの時間になっちゃった。急ごう。

駅に向かってダッシュする。
と、そのとたんに後ろで「ワンワンワンッ!」と吠え声がした。
振り向くと、大型犬が激しく尻尾を振りながら走ってくる。
「止まってぇ!」
引き綱で繋がれた飼い主も、一緒に走ってくる。

「私はボールじゃないからっ! 遊んでるわけじゃないからっ!」
望美はトップスピードのまま、駅までの道を駆け抜けた。


がくっと疲れて教室にたどり着く。
始業時間に余裕で間に合ったのがせめてもの幸いか。

机につっぷしていると、級友たちの話し声が聞こえてくる。
「英語の問題、終わったか?」
「すげえしんどかったな」

ああ、宿題の話か。時間かかったなあ。でも何とかできたから…
………あれ?………ノートをカバンに入れた記憶が…………

ガバッと跳ね起き、教科書とノートを全て机の上に出したが、
お弁当は入っていても、肝心のノートはない。

うああぁぁ…!!!

出席番号からして、今日指されるのは確実。
隣のクラスまで走り、教室の外から仲良しの子を手招きする。
「お願いっ! 英語の宿題写させて」
手を合わせて頼み込んだとたん、相手はなぜか硬直した。
「どうしたの?」
きょとんとして尋ねると、後ろから恐い声がした。
「春日さん、宿題は自分でやるものですよ」

ひぇぇぇぇ!!!

英語の教師から始業の鐘が鳴るまで説教され、
望美はがっくりして席に戻った。

後方注意……。
当たってる。当たりすぎてる。
景時さんはいつもこんな思いをしてたんだろうか。

ん?
これってもしかして、今回は悪運が私の方に来たってこと?
だったら、景時さんは大丈夫なのかもしれない。

よしっ!!
望美は腕を曲げ、ぐっと拳を握りしめた。

景時さんが無事なら、こんなことぐらいでメゲたりしない。
運命に立ち向かうんだ!!


だが、まだまだ一日は始まったばかり。

その後も 望美の後方から、これでもかというほどに様々なものが襲来した。

油断なく身構えていたおかげで、後方から飛んできたボールは
見事に打ち返すことができた。

背中にいたずら描きの紙を貼り付けようとした男子は撃退した。

手を洗って背を向けた瞬間、水道がいきなり壊れて水が吹き出した時には、
咄嗟に逃げたおかげで少し濡れただけだった。

昼休みには、後ろの席の子が飲み物をひっくり返したが、
「きゃ」という悲鳴と同時に席を蹴って避けたので、
髪と制服がスポーツドリンクにまみれずにすんだ。

気を取り直して屋上まで行ったが、なぜか外に出るドアが開かない。
がっかりしてドアに寄りかかり、ため息をついたとたん、
支えを失ってそのまま後ろに倒れた。

「せせせせ先輩、どうしたんですか」
望美にどすんと胸にぶつかられ、譲がうろたえている。
「あ、譲くん…ドア開いてたの?」
「開いてましたよ。蝶番が錆びてるみたいで、開け閉めに力が要るんです」

しかし不運続きの日にも、やっと放課後は訪れた。

望美はそそくさと帰り支度をすませると、教室を飛び出す。
これだけ続くと、やはり景時が心配だ。

しかし、たやすく下校することはできなかった。

階段を下りていると、真後ろでドン!ガラガラ!と音がした。
振り向くより先に、一気に踊り場まで飛び降りて横っ飛びに避ける。
と、望美の後ろから、
「春日すげー」
男子連中の感嘆の声と木箱に段ボール得体の知れないガラクタが、
全部一緒に落ちてきた。

もうこれで終わりだよね。
終わりにして……。
朝の元気はどこへやら、望美はもう限界だ。



「ありがとう、梶原さん。助かったわ」
「いいえ、お役に立てて何よりですよ〜」
大家のおばあさんに頼まれて、
景時は彼女の友達の家まで出張修理に来ている。

ここまでの道中はもちろん、作業中も後方注意を忘れない景時だったが…
雨戸も、庭の塀も、犬小屋も、玄関扉の建て付けも、
ついでに古いラジオまで修理しても、何も起こらなかった。

何もない…。なさ過ぎる。
どこか拍子抜けした景時だったが、ふとあることに思い当たり、顔色が変わった。

「ゆっくりして、お茶でも飲んでいったら…」
おばあさんの申し出を丁重に断ると、修理道具を抱え、
門を出たとたんに全力で走り出す。

望美ちゃん…
まさか今日は、君のところに「後方注意」が?!
だめだよ〜そんなのって!

オレなら平気だから。
これまでだって、平気だったんだから!
たとえ君に投げ飛ばされても。

もうそろそろ学校が終わる頃だ。
今日は帰りに寄るって言っていたよね。
でも、学校からの道が心配だ。

望美ちゃん、無事でいて〜〜。



景時さん……無事でいて……。

望美は景時の家に急いでいる。
心なしか元気がないのは、さすがの望美も少々まいってきているせいだ。

朝から常に、後方に注意を払い続けてきた。
神経をすり減らすような緊張感を維持し、
突発的に事が起きれば、その瞬間に回避する。
これでは、疲れない方が不思議だ。

あと少し……。
高台にある階段にさしかかり、望美は少しだけほっとした。
ここを下りて、あの角を曲がって……。

あ……

階段の下に、息を切らせた景時がいる。
「望美ちゃん! 大丈夫だった?」

張り詰めていた気持ちがぷつんと切れ、
望美は一瞬、後方への注意を忘れた。
「景時さん…」

階段を下りようとした瞬間、
「ワンワンワンッ!」
朝と同じ吠え声がした。
こわごわ後ろを振り向くと、大型犬が激しく尻尾を振りながら走ってくる。

「な、なんでここにも…」
「止まってぇ! あなたこそ、なんでここにもぉ…!」
引き綱で繋がれた飼い主も、一緒に走ってくる。

望美は身を翻し、階段を全速力で駆け下りた。
「ワンー!ワンー!」
犬も追いかけてくる。

いけない、このままじゃ望美ちゃんに追いつかれる。
飼い主の人も、引きずられて大変なことに…。

「きゃっ!」
望美が足をもつれさせた。

景時は階段を駆け上がり様、犬に向けて呪文を唱え、何かを投げた。

「キャウン?」
階段の上で、犬が足を止め、
景時は広げた両腕で、望美を抱き留める。

「景…時…さん?」
腕の中の望美が、小さな声で言った。
「もう大丈夫だよ」
ぎゅっと抱きしめる。

望美が顔を上げると、犬は階段の上で首を振り、
「キュゥン…キュゥン…」と盛んに鳴き声を上げていた。
「なっ何なの? 何が顔に付いてるの?」
飼い主の女性が慌てている。

しかし望美にはすぐに分かった。
小さなサンショウウオが、必死に犬の顔にしがみついているのだ。
「景時さん、すぐに助けてあげて」
「そうだね」

景時が呪文を唱えると、サンショウウオはぼわん!と消えた。

犬は動きを止め、鼻を鳴らして周囲の地面を嗅ぐ。
飼い主は狐につままれたような顔をしたが、
望美に平謝りしながら、犬を引っ張ってその場を立ち去った。


しばしの後、景時の淹れた紅茶を飲みながら、望美は朝からのことを語っていた。
心配をかけないように冗談半分という調子で話しているのに、
途中から少しずつ、涙声になっていくのを抑えられない。

なので、強引に話を締めくくる。
望美はにっこり笑った。
「もうきっと、これで終わりですね。
こうやって景時さんと一緒にいるんだから…」
それなのに、頬に一筋、何かが流れた。

いけない…!
慌てて顔を伏せた時、すっと景時が立ち上がった。

「ごめん…守ってあげられなくて」
耳元で声がして、後ろから抱きしめられる。

「ずっと、こうしていられればよかったんだよね」
「景時…さん」
「こうして、君の代わりにオレが」
「そんなことだめです!」
振り向こうとするが、望美を抱く腕の力はますます強くなる。

景時は、望美の髪に頬を寄せてささやいた。
「ね、もう少しこうして、君の後ろを守っていてもいいかな」

胸が高く鳴っている音を、景時さんは気づいているだろうか。

景時の手に自分の手を重ねると、指と指が絡まった。

私の「後方注意」って、景時さんのことだったのかもしれない。

ステキな後方注意だ。

温かい胸に身を預け、望美はそっと眼を閉じた。







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いつも災難に見舞われるのは景時さんでしたが、
ここではなぜか望美ちゃんが!

望美ちゃんを助ける景時さん、加速装置がONでした〜。

閑話休題(それはさておき)
「頭上注意」「足元注意」「前方注意」と続けてきましたので、
最後は「後方注意」で締めてみました。
景時さんも地白虎ですから…(え)。

この後、景時さんがさらなる地白虎属性を発揮するのか、
投げ飛ばされないように自主規制するのかは、
ご想像のままに〜〜。


2009.8.28 筆