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比翼  ― ヒノエ×望美 ―
◆登場キャラ
◇春日望美  ◇ヒノエ  ◇源九郎義経  ◇武蔵坊弁慶
◇有川 譲  ◇梶原景時  ◇平 敦盛  ◇リズヴァーン
◇梶原 朔  ◇藤原泰衡  ◇藤原秀衡  ◇後白河法皇
◇源頼朝  ◇北条政子  ◇藤原湛快  ◇水軍副頭領  他

 有川将臣・銀他、平家方は登場しません
 オリキャラが出ます
◆各巻章立て
サイト
◇上巻(全章に加筆修正があります)

序 章 深き緑に眩き青に(大幅リライト)
第一章 初 秋
第二章 秋から冬へ
中編「深き緑に眩き青に」
長編「比翼」第一章 初 秋
       第二章 秋から冬へ
◇下巻(全章に加筆修正があります)

第三章 冬の始まり
第四章 奪 還
第五章 比 翼
第三章 冬の始まり
第四章 奪 還
第五章 比 翼
◆キャラ別抜粋
※web閲覧用に横書きに変更。改行も多くなっています。

◇ヒノエ

「小さいね。そんな小っちゃい心で、何を成そうっていうんだい」
「何も失わずに全てを手に入れた者に、何が分かる!
ご自慢の頭脳も容姿も、別当の地位も、お前自身の力で手に入れたものは、何一つ無いじゃないか!」
「オレの力で手に入れたものが、何も無いって? それはそうさ。天から与えられたものだからね」
「傲慢な男だな…熊野別当。熊野は自分のためのもの、とでも言いたいのか」
「わかってないね。熊野別当が、熊野のものなんだ」
「別当が……熊野の…」
「オレは、この熊野の山も海も、守る。天から与えられた全てを賭けてね」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「しかし、頭領お一人でこれからどのように…」
一人? いや、違う。熊野がオレと一緒だ。
そして望美…お前もオレと共にいる。
比翼の鳥の翼は、海を隔てても離れはしない。
ヒノエは晴れやかに笑って皆を見渡した。
その笑顔は、強がりでもなければ己への過信でもない。
ほっそりと美しい少年の姿の中に、背に負った重さを強さに変える、揺らがぬ男の顔がある。
真っ直ぐな視線のままに、ヒノエは歩き出す。
「さあ、オレ達も行くぜ! 野郎共!!」


◇源九郎義経

灯りの届かぬ先でも、剣と剣がぶつかり合っている。
転んで闇雲に剣を振り回す者、それに躓く者、泥に顔を埋め、息絶える者。
機先を制し、勢いをそいだとはいえ、襲撃者達は遣い手揃いだった。
九郎の手勢と、同等に切り結んでいる。
たやすく追い詰められるか…とのかすかな望みはとうに潰えた。雨が容赦なく、倒れた者達を叩く。
「このままでは埒が開かん!」九郎は拳を握りしめた。
「何をする気ですか、九郎」
「敵将を引きずり出す!」九郎はそう言うと、側にいた若武者に命じる。
「松明で俺を照らしていろ! 俺が走ったら、遅れずに後をついて来い」
そして母屋の庇下に仁王立ちになり、朗々とした声で呼ばわった。
「源九郎義経は、ここにいるぞ!」
剣戟の音に明らかな変化が生じた。
「俺の素っ首欲しい奴は、相手になってやる!!」
言うなり、ひらりと庭に飛び降りる。
「九郎はあそこだ!」
「逃がすな!」
打ち合いからしゃにむに逃れ、男達は一斉に九郎を追い始めた。


◇武蔵坊弁慶

その時、源氏の武士達は、そこに立ち塞がる人影に気づいた。
手には長い薙刀。風に煽られ、黒い外套がはためく。
「待っていましたよ」
柔らかな声が、剣の鋭さを帯びた。
「僕は武蔵坊弁慶。九郎を返してもらいます」
間髪入れず、矢が雨のように射かけられる。馬たちが地を蹴り、激しく嘶いた。
弁慶の薙刀が一閃し、射かけられた矢をたたき落とした。
続けて二の矢三の矢が放たれるが、 びょうっと吹きつけた風にあおられて、
多くがあらぬ方に飛んでいく。 薙刀を構えたまま、弁慶は薄い笑いを浮かべた。
「どうやら風は、僕の味方のようですね」
そして一歩、踏み出す。
「ええい! 矢はもうよい! やつは一人ぞ! 討ちとれ!」
先導の御家人が声高に命を下した。
外套の下で弁慶の笑いが、歪む。
「一人…? 僕が?」
「何っ! では仲間が…」
「どこかに隠れているのか」
討ちかかろうと太刀を抜く動きが、一瞬止まった。
弁慶はもう一歩、前へ出る。
「天の時、地の利、そして…」
後方から景時の声が響き、それを遮った。
「弁慶の言葉に耳を貸すな! 時間稼ぎと足止めのためだ」
ちら…と眼を上げ、弁慶は言った。
「さすがですね、景時…」


◇有川 譲

「譲くん…、一人で戦うんだね。そう決めたんだね」
あなたは、まっすぐに核心に切り込んでくる。
「はい」
素直に答えることしか、俺にはできない。
「譲くんなら、きっと負けないよ」
「ええ、俺、負けませんよ」
必ず乗り切って、生きていく。あなたのいない世界を。
海鳥が頭上で鳴いた。
翼を広げたまま風に乗って大きく弧を描きながら、 海へと滑るように飛んでいく。
彼方から押し寄せる潮騒の音。
海に突き出た崖に揺れる花の波。
力強い景色だ。ここが、あなたの選んだ故郷。
あなたが生きていく世界。
あなたは…どこまでも、あなたのままだ。
どこにいても、いつまでも、それは変わらないのだろう。
先輩……あなたに一番言いたかったこと……それを俺は伝えなかった。
伝えたなら、俺の心は吹っ切れていただろう。
もう二度と、あなたに会うことはないのだから。
でもそうしていたなら、きっとあなたの心に、抜けることのない棘を残す。
もう二度と、俺に会うことはないのだから。
あなたの笑顔を曇らせなかった……。
これが、俺が胸を張って生きていくための…ぎりぎりの矜恃。
光の中で手を振る姿が、滲んだ。


◇梶原景時

景時は力なく笑った。
「頼朝様は、何も信じていらっしゃらない。
まして、抜け目のない他国の別当なら、なおさらだ」
望美は真っ直ぐに景時の眼を見た。
「景時さんのことも、ですか」
銃口が、わずかに揺れた。
「ああ、そうだ。だけど、それでもいいんだ」
「景時さん…」
「ごめんね、望美ちゃん。オレを…憎んでいいよ」
引き金にかかった景時の指が、ゆっくりと動く。
望美に見えたのは、そこまでだった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「よかったわね、景時」
優しげな声で政子が言った。
「全ての原因を作ったのはあなた。その罪は贖えないほど大きいわ。
でもあなたは、頼朝様旗揚げの時からの忠実な御家人ですもの。
頼朝様のため、失態を補って余りあるほどの戦果を、きっと上げてくれると信じていますわ」
景時は両手をつき、深々と頭を垂れた。
前髪が一筋、はらりと下がって床に触れる。
腹に力をこめ、景時は自分に許された唯一の言葉を絞り出した。
「…御意!」


◇平 敦盛

鞍馬山……道無き道のさらに奥に、澄んだ笛の音が響く。
妙なる調べを聴くのは、山と川と谷、そして黒々とした木々ばかりだ。
梢を鳴らして夕風が吹き過ぎ、敦盛は笛を構えた手を静かに下ろした。
人家のある方へと、風の向きが変わったようだ。
少し、遅くなったかもしれない。もう庵に戻ろう。
敦盛は、通い慣れた山の道を身軽に駆け下りていく。
夕暮れの山を包む大気が日を追うごとに冷たくなってきている。
そろそろ冬支度に取りかからなければ……。
そこまで考えて、はたと行き詰まる。冬支度とは、何をどうすればよいのだろうか。
敦盛は今、鞍馬にあるリズヴァーンの庵に身を寄せている。
だが庵の主・リズヴァーンは、敦盛に庵を任せて長の旅に出ているのだ。
一人暮らしなどしたことのない敦盛にとっては、毎日が七転八倒の日々。
だが、行く当てもない自分に居場所を提供してくれたリズヴァーンの心遣いに報いるためにも、
何かできることを、と思っている。
枝を離れた楓の葉が、敦盛の足下にひらひらと落ちてきた。


◇リズヴァーン

その刹那、一陣の風が吹いた。
ばさりと布のはためく音。断ち切られた矢が、ばらばらと地面に落ちる。
望美と男達の間に、丈高く大きな背が立ちはだかっていた。
曼珠沙華の縫い取りのある黒い外套。見上げれば、暮れゆく空にかすかに金色の髪が光る。
リズヴァーンはゆっくりと振り向いた。
「遅参を詫びねばならぬな、神子」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

剣が薄日を受けて光る。兵達は声を限りにそれぞれの大将の名を叫び続ける。
白い雪野を、リズヴァーンは黒い影となって疾んだ。
両翼の兵の中にはリズヴァーンに気づく者もいたが、目を凝らそうとすると、もうその姿はない。
遮るもののない広野。リズヴァーンは力の許す限りの距離を飛び続け、一気に二人との距離を縮める。
――次だ。
次の瞬間移動で、二人の真横に出る。それと同時に、止めなくては。
二人の闘気は本物だ。
声をかけて二人に剣を納めさせることなど、リズヴァーンは端から考えていなかった。
斬り合いの最中に注意をそらす武士はいない。
よしんばどちらかがリズヴァーンの声に気づいたとしても、
それに刹那でも気を取られれば、もう一人はその隙を逃すまい。
やるべきは単純なこと。二人の剣の間に割って入るのだ。
だが機会は一度だけ。間合いを誤ればこの身が斬られる。
二人は馬から飛び降り、雪上で剣を打ち合っている。
それだけ見て取ると、リズヴァーンは寸刻の躊躇もなく最後の瞬間移動をした。


◇梶原 朔

朔は扇を開き、冬の陽にかざした。
心に楽を描き、一差しの舞を舞う。
見る者のいない舞。
だが朔の心には、一つの姿がある。
丈高く、長い黒髪と深い色の瞳。
あなたが静かな思い出になる日が、いつか来るのかしら…。
高く澄んだ冬の空は何も答えない。
そうよね。これは、私が乗り越えなければならないこと。
答えを求めてはいけないわ。
自分が答えを出さなくてはならないのですもの。そのために、私は寺に行くのですもの。
舞い終えると、朔はそっと扇を閉じて文机に置く。
だが扇袋を取り出そうとした時、扇から、ぱきん…と小さな音がした。
見れば、要に近い骨に、亀裂が走っている。
戦の時でも、このようなことはなかったのに……。
空に一筋の雲がよぎり、すっと陽が陰った。朔の心に漠然とした不安が広がっていく。


◇藤原泰衡

弁慶の言葉に、秀衡は深く嘆息した。
「この奥州で義家殿の裔が相争うことになるとは、あまりに皮肉な巡り合わせじゃ」
皮肉? 泰衡の眼の中に、かすかに揶揄するような光が走る。
奥州に敵対し、奥州を守る…頼朝と九郎は、かつての源氏そのものではないのか。
この地を蹂躙し、藤原の祖をその手で屠り、時経りた後は、藤原と手を結んでこの地のために戦った。
源氏とは、奥州に滅亡と救済とをもたらすものに他ならない。
九郎には分かるまい。分からなくていい。俺の中でざわめく数多の血……
武人、京の貴族、そして蝦夷の血…。
悲劇と恩讐の繰り返し…厚く降り積もった時の層と、別ちがたく結びついた血だ。
だが、その俺の血が、御館の血が、九郎を信じた。
ちらりと眼を走らせると、弁慶は九郎と秀衡のやりとりを聞きながら静かに杯を傾けている。
そうだ…この腹黒い男も、腹に何もない九郎に命がけでついてきたのだった。


◇藤原湛快

「気に入らねえ」湛快は呟いた。
「だが、遅かれ早かれ、こういうことは起きるもんだ。ヒノエにも、知らせたんだろうな」
「はい、烏が京に向かっています」
「弁慶をあてにしないのは、いいことだ。もしかしたら、やつはもう、熊野には来ないかもしれねえ」
「そ、そうでしょうか…」
「あれでも、軍師様だからな」
「けれど今は、ただの薬師として、働いていらっしゃるのでは」
「……どうだかな。まあそれは、やつの決めることだ。
だが、生き方なんて、そうやすやすと変えられるもんじゃねえ」
細い月が、しずしずと上ってきた。
つつましやかなその光は、沖の波浪を照らし、小島の影を浮かび上がらせる。
「勝ちすぎたな…熊野は」
湛快は、独り言のようにぼそりと言った。
「面白くねえと思ってるやつがいるのは、ヒノエも分かってるはずだ…」
「はあ…」
湛快は、夜の空を見上げた。満天の星。
涼やかな風が、ほろ酔いかげんの火照った顔をかすめて吹きすぎていく。
「お星さんが、いっぱいじゃねえか。手を伸ばせば、届きそうだ」
ひょい、と空ではなく真横に伸ばした手に、副頭領が新しい瓶子を握らせた。
「俺達の生臭え話を聞いて、笑ってるみたいだな」
副頭領は何も言わず、大きな掌の中に収まった小さな杯を、一気に干した。



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