ひそやかな翠雨に

友雅×あかね ゲーム本編中


嵯峨野の林の奥……野宮神社へと続く道を、
友雅はあかねと共に歩いていた。

真っ直ぐに伸びた竹がどこまでも続き、
さやさやさやさやと、葉擦れの音が絶え間なく流れる。
音に満たされた静寂の中、気まぐれな風のままに、木漏れ日が躍る。

今日は二人だけで京の街を巡ってきた。

左近衛府の仕事でずっと内裏に詰めきりで、
しばらく土御門を訪れることができなかった友雅は、
宿直明けのその足で朝早くあかねを迎えに行き、
もう一人の八葉を伴うことなく、すぐに出かけてきたのだった。

洛中から西に向かい、最後に訪れたのが、この野宮だ。

青竹を揺らして風が吹くばかりの静かな林は、
内裏とはまるで別の世界のようだ。

友雅は、ふっと笑みを零して隣を歩むあかねを見た。
そして、焚きしめた香、人の声、有象無象の欲望と快楽の澱み…
慣れ親しんだ我が庭のごとき内裏を思う。

友雅の視線を感じたあかねが眼を上げ、
自分に向けられた艶然とした笑みに、頬をぽっと赤らめた。

いつからだろうか。
その素直な仕草に、真っ直ぐな視線に、直截な受け答えに、
時に胸躍り、時に心打たれ、時に……。

風が変わった。
林を鳴らし、前方に見える黒い鳥居に向かって吹き過ぎていく。

「どこかにいい匂いの花が咲いているみたいですね」
乱れた髪を押さえながら、あかねが周囲を見回した。

友雅は歩みを止めて後ろを振り返ったあかねを引き寄せ、
肩を抱いて歩き出す。

「君より芳しい花なら、ぜひ手折りたいものだね。
そして君の髪を飾るのだよ」
「友雅さんて、きれいな花はすぐに摘んでしまうんですか?」
「おや、私がそのように無粋な男に見えるのかい。
遠くで愛でる花もあれば、この手に触れて愛でる花もある…、
それはわきまえているつもりだよ、神子殿」

友雅の、昼間には少々ふさわしからぬ甘やかなささやき声に、
やっとあかねは言葉の裏の意味に思い当たったようだ。
眸も唇も丸い形になるので、すぐに分かる。
「だが、離れて愛でることに飽き足りなくなった時には…」
友雅は頭を少し傾げてあかねの眼を見つめた。
「手を伸ばして我が物にするかもしれない」

「と…友雅さん、またからかっていますね」
「悲しいね、本気なのだが」
そう言って友雅は鳥居を見上げた。
そして、ふと何かを思い出したように、社の奥を見、
神水の井戸のある方へと視線をさまよわせる。

その様子に、あかねはすぐに気づいた。
「どうしたんですか、友雅さん。何か探しているんですか」
「ああ、ちょっと思い出したのだよ。
以前、ここで扇を失くしてね…」
友雅は小さく微笑んでみせる。

「大切にしていた扇なんですね」
「そんなに夢中になって探しているように見えたかな」
「友雅さんが、何だか悲しそうに見えたから…。
あ、違っていたらごめんなさい」

――神子殿、君は……。

あかねはにっこり笑った。
「一緒に探しませんか」

――その言葉を君から引き出すための小芝居に、
いとも容易く乗ってしまうのだね。
だが君は、私自身が気づかなかったことまでも見抜いていた。

友雅は艶やかな笑みであかねに答えた。
「ありがとう、神子殿。では、お言葉に甘えて扇探しを始めようか」
「はい、友雅さん」

友雅は、社の奥の方を指さした。
「では、神子殿は神社の中を探してくれるかな?
拝殿の向こうの庭のどこか、だと思うのだよ。
あとは…そうだね…神水の近くかもしれない」
「手分けをするんですね。友雅さんはどの辺りを?」
「私は引き返して林の中を探してみるよ。
落ちているとしたら、野宮神社への道の途中か、
社の奥か、どちらかだと思うのでね」

「はい、じゃあ、がんばって探してきます」
「ふふっ、探し物一つにがんばるとは神子殿らしいが、
そんなに肩に力を入れたら疲れてしまうよ。
ゆっくり庭を散策するといい。急ぐものではないのだしね」
「はいっ、そうします!」

やる気満々で、あかねは元気よく駆けていった。
その後ろ姿が拝殿の向こうに行くのを見送ると、
友雅は鳥居をくぐって、再び竹林の中へと歩を進める。



風が強くなってきた。
葉末のざわめきが、大きな渦のように轟き渡っていく。

友雅は道から数歩進んだ所で歩みを止め、
竹の間に見え隠れする人影に視線を向けた。

「私は一人だよ。遠慮することはない」
友雅の声が風音を断ち切ると、人影がゆらり、と動いた。

「おう、ならば行かせてもらうぞ」
「遠慮は無し、でな」
大きな体躯の武士が二人、友雅に向かって歩いてくる。
どちらも強い髭を蓄え、場数を踏んできた者に特有のしたたかな面構えだ。
足を進めながら鞘に手をかけ、二人は躊躇うことなく抜刀した。

友雅は長い髪を風になびかせ、
その唇にはうっすらと笑みさえ刷いている。
抜き身の剣を手にした武士を前にして、
逃げる様子もなければ迎え撃つ気配もない。

男達の頬が、馬鹿にしたように歪んだ。
「今業平との噂通り、聞きしにまさる男っぷりだな」
「強がっているのか、恐ろしくて動けぬか」

挑発の言葉に答える代わりに、
友雅は少し眉を上げて腕を組んだ。
「私が遠慮無くと言ったのは、斬り合いをしようという意味ではないのだが。
ここは神域も同然の場所だよ。怪我をする前に引き返した方がいい」

男達は笑い出した。
「がはははは! 恐ろし過ぎて、自分が何を言っているのか分からんか」
「いや、左近衛府少将殿は冗談を言っておられるのだろう」
友雅は肩をすくめた。
「せっかく忠告したのに困ったものだね。これでも私は武官なのだが」

笑い声がさらに高くなる。
一人が、これ見よがしに剣の刀身を返した。
「少将殿、ほれこの通り、命まで取るわけではないから心配には及ばぬぞ。
だが、少々痛い目をみてもらわねばならん」
もう一人も、刃を返すと身を低く構えた。
「女房達にはしばらく顔を見せられぬだろうが、たまには辛抱もいいものだぞ。
我らが手加減を間違えると、二度とその顔を自慢するなどできぬかもしれぬが」

それでも彼らは、むやみに打ちかかろうとはしなかった。
ここに至って初めて、友雅に一分の隙もないことに気づいたのだ。

風の中に、武士達のむさ苦しい体臭に混じって微かな香がある。
少し前、あかねが花の香りと思ったものだが、
友雅には、それが焚きしめた香であるとすぐに分かった。
そして、その香を纏う者が誰であるかも。

ここ数日、友雅が真面目に仕事をしなければならなかったのは、
まさにその男のせいなのだ。

友雅は顔を上げ、道を隔てた先にある叢竹に向かって言った。
「罪を暴かれた腹いせに、武士を雇って私を襲わせるとは、
こういうことにはずいぶん早く手を打つのだね。
いや、手慣れていると言うべきだろうか。
沙汰あるまで屋敷に籠もるようにと命じられたことを
忘れたわけではあるまい」

叢竹の陰で何かが動く気配がして、
「ええい何をしている、早うやってしまえ!!!」
甲高い声が風を縫って切れ切れに届く。

友雅は嘆息した。
「やれやれ、逃げ隠れはお好きなようだが、自分から居場所を明かすとはね」

しかし武士達は、主の言葉に力を得たようだ。
「少将殿、達者な口でごまかせるのはここまでだ。
いくら武官と息巻いても、所詮は遊びに明け暮れて鍛錬も知らぬ貴族」
「さっさと終わらせて、連れの街娘を頂くとしよう」

友雅の眉が、ひくりと動く。
「街娘…?」

男達はにやにやと笑った。
「神社に入っていったあの娘のことだ」
「少将殿は動けなくなるゆえ、我らが連れ帰ってや…」

下卑た言葉が、途中で途切れる。

先ほどまでの、男達を揶揄するような友雅の笑みは消え、
凍てつくようなその視線に、男達は動きを忘れた。

「無様に、負けてもらうよ。……少々本気になったのでね」
冷ややかな声が、鞭のようにぴしりと耳を打つ。

咄嗟に刃を突き出そうとした一人の眉間に何かが激しく当たった。
目が眩み、それが扇と分かった時にはもう、腹と腕に当て身を食らい、
手の中の刀を奪われていた。
傾いた背に、さらに柄の一撃を受け、男は気を失って草の上にどさりと倒れる。

その時にはすでに艶やかな装束を翻し、友雅はもう一人に相対していた。
男が刃を振り下ろすより早く、鳩尾に柄頭が食い込む。
動きの止まった瞬間、男は首の後ろを打たれてあっけなく倒れた。
男の視界に、女物のように鮮やかな装束が流れ、沓が見え、地面が近づき、
したたかに顔をぶつけ、土が容赦なく口に入る。
『無様』という言葉が脳裏をかすめ、男は気を失った。

友雅は奪った刀を投げ捨て、自分の扇を拾い上げて土を払う。
「では右中弁殿、直接手合わせ願おうか」
叢竹に隠れたまま、じりじりと後ずさっていた男は、
ひぃっと悲鳴を上げて逃げ去った。

友雅はよたよたと走っていく様を一瞥すると、踵を返す。
いつの間にか陽が翳り風も止み、竹林は今、静寂の中にあった。



「友雅さん!」
なめらかな苔に覆われた庭の奥から、あかねが走ってくる。
その手にしっかりと檜扇を握って。

友雅の胸がどきり、と大きく拍った。

「この扇…でしょうか」
友雅を見上げたあかねの頬には、土埃がついている。

庭を見渡せば、植え込みやら小さな流れやら、狭い場所がたくさん目についた。
どこまで潜り込んで探したのだろうか。
きっと、顔や手が汚れることなど、考えもしなかったのだろう。
いや、考えたとしても、そのようなことは意に介さないのだ。
この…きらきらと眩しい眼をした少女は……。

友雅は、渡された扇を手に取った。

忘れもしない――この扇だ。
風雨にさらされ古びてはいるが、間違いはない。

この庭は昔からずっと、多くの人々の手で細やかに調えられてきた。
だが扇は、彼らに見つけられることはなかったのだ。

ひっそりと幾星霜を重ね、この扇は待ち続けていたのだろうか。
……いつの日か、清らかな瞳に見出されることを。

「扇を失くした」というのは、偽りではない。
だがこの扇の持ち主は、遠い日に京を去った友だ。

ここ野宮神社に忍び来た時に、愛用の扇を落としたのだという。

友雅は、あかねの頬についた土を、指先でそっと拭った。

――かなわぬ恋に、身を焦がした男であった。
それでも、想いを貫き通した男であった。

熱い想いの形見が、ここに君を導いたのだろうか。

「友雅さん…なぜそんなに淋しそうな眼をするんですか」
あかねの声が震えている。

頬に触れた指先に、小さな雫がかかった。
あかねが空を見上げる。

「雨が……」

明るい鈍色の空から、細い雨が降り始めた。

京の人々が待ち焦がれていた雨だ。
鬼の呪詛を受けてから初めて降った……翠を潤す雨。

「ああ、君がもたらした雨だよ、神子殿」

乾いた苔が、木々の葉が、静かに色を取り戻していく。
湿った土の匂いが、雨の匂いと混じり合う。

摂社の小さな屋根の下を借り、友雅は羽織った着物の中に、
あかねを抱き寄せた。

だが霧のように煙る雨は、屋根があっても四方から入り込んでくる。

「これだと友雅さんだけが濡れてしまいます」
「神子殿をお守りするのが八葉の務めだからね」
「でも…」
そう言いながら、あかねは着物の中で必死に頭を反らしている。
力を抜いたら、友雅のはだけた胸に、直に触れてしまうからだ。

くすりと小さく笑って、友雅は言った。
「そんなに私を嫌わないでくれまいか、神子殿」
そしてあかねの頭に手を置き、胸にそっと引き寄せる。
「き…嫌うとか…じゃなくて…」
あかねは固くなって、まだ抵抗を続けた。

そんなあかねに、友雅は低い声で呼びかける。
「少しだけ、眼を上げてごらん」
「え?」
「何か見えないかい? 君の眼の前に」
「あ…友雅さんの宝玉」
「間近に見るのは初めてではないかな」
「はい……とても、きれいです。透き通った緑の色…」
「お気に召して何よりだよ。私は君の八葉なのだから」

肩に優しく置かれた友雅の手に、今度はあかねは抗わなかった。

宝玉に、柔らかな髪が触れる。
胸に、あかねの頬の熱を感じる。

その上気した頬は、男に触れているからか
それとも…私の腕の中にいるからか。

――かなわぬ恋……。
それを追い続ける情熱は、あまりにも遠い。

熱く願うものなど何もないと、思っていた。
仮初めの恋が、ひととき心にさざ波を起こしては、
やがて消えていく様を、醒めた眼で見るだけだった。

だが今、私は願っているのだよ、神子殿。

このひそやかな翠雨の中、
ただ君を守って、こうしていたいと。
君のあたたかさを感じていたいと。

「友雅さん…髪がこんなに…」
あかねが手を伸ばし、霧雨にしっとりと湿った友雅の髪に触れた。
「このままでは、冷えてしまいます」

友雅はあかねの小さな手を握ると、己が頬に押し当てて微笑む。

「いいのだよ。私は…寒くないのだから……」






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ゲームの終わり近い頃を想定して書きました。

「友雅さん」というキャラに、
半歩でも近づいている…
と、感じて頂ける部分がありましたら、本望です。

2010.11.26 筆