幸せなもの

(泰明×あかね・京エンド後)


ある日の安倍家――

そろそろ陰陽寮に向かう頃だというのに、
泰明の兄弟子達が集まって、のんびり話している。

「あの泰明が……本当に信じられないよなあ」
「まだ嫁さんと続いてるなんて……なあ」
「あっという間にフラれると思ったんだけどなあ」
「顔はともかく、あの性格だからなあ」
「嫁さん、よくガマンできるな」
「ものすっっっっごくデキたヨメさんなのかもな」
「そうだそうだ」

「でも、泰明も少し変わったと思わないか?」
「ああ、ヨメさんのことを話す時には仏頂面が消える」
「それどころか、顔がぽっと赤くなる」
「勤めが終わるとものすごい速さで家に帰っていく」
「そりゃあ、嫁御はいいものですから」
新婚ほやほやの兄弟子が一人、混じっている。

「それに時々は、今日みたいに欠勤するようになったよな」
「おかげで、こうしておおっぴらに泰明の悪口が言えるわけだ」
「気分がいいな……はっはっは」
「もっともっと言っちゃおうぜ……ひっひっひ」
「何から言えばいいか迷うな……ふっふっふ」
「そうだそうだ……へっへっへ」

その時、近くでせっせっせと掃除をしていた見習いの少年が、
兄弟子達の背後を見たとたん、箒をぽとっと落とした。

「こら、箒を投げ出すとは何ごとだ!
真面目にやら………」
兄弟子の一人が叱りつけたが、
少年の視線の先をたどると、その場に凍り付く。
「や……泰明……!?」

ぎょっとして振り返った他の兄弟子達は真っ青になって後ずさった。
「い……いつからそこにいたんだ?」

「『あの泰明が……本当に信じられないよなあ』
のところからだ」

「全部……聞いてたのか」
「今日は頭痛歯痛腹痛腰痛で休みだったはずでは」
「なぜ、ここにいるんだ?」

「実家に、帰ってきただけだ」
泰明はそれだけ言うと、がくっとうなだれた。

「?????????????」
兄弟子達は訳が分からず、目をぱちくりする。

「それじゃ説明になっていないぞ、泰明」
「お前は、我らのささやかな楽しみを邪魔したんだ」
「欠勤なのに出勤した理由を聞かせてもらおうか」
「そうだそうだ」

「神子……あかねは、この頃とても忙しい。
何をしているのかは教えてくれないが、
朝早くから夜遅くまで、何やら働いているのだ。
このままでは身体をこわしてしまうかもしれない。
だから、手伝いをするために頭痛歯痛腹痛腰痛届けを出した。
それなのにあかねは、私に休んではいけないと言うのだ。
当然、私は異を唱えた。
するとあかねが………怒ってしまった」
泰明はうなだれたまま、力なく話した。

「おい! 家のことを手伝えるなら、
頭痛歯痛腹痛腰痛はウソってことじゃないか! まあ、前から分かってはいたが」
「ウソはいけないんだぞ」
「そうだそうだ」

「偽りではない。痛みは必ず一通り感じるように心がけている。
だから私は今朝、頭も歯も腹も腰も痛かった。
だが、それでもあかねは勤めに行けと言うのだ」

泰明は顔を上げ、自分の庵のあった方に眼を向けた。
「以前、あかねから聞いたことがある。
夫婦で諍いになった時、妻は親のいる家に帰る……と。
だが、あかねの家は遠い。
だから私が帰ることにした」

「い・さ・か・い……だとおおおおっ!!!」
「これは!!!!」
「ついに!!!」
「泰明と嫁さんが衝突したっ!!!!」
「つまり夫婦げんかだっ!!!」
「今は欠勤届を追求するより、結婚生活の危機を追求しよう!! わくわく」
「そうだそうだ どきどき」

兄弟子達は、わらわらと泰明を取り囲んだ。
「詳しく話せ、泰明」
「断る」
「なあ、おれたちは兄弟弟子同士じゃないか。
仲直りの相談に乗ってやるぞ」
「先輩からありがた〜〜い忠告をしてやる」
「断る」

泰明の返事は素っ気ないが、今日の兄弟子達は退かなかった。

「じゃあ、仲違いしたままでいいのか?」
「………………」
泰明の動きが止まる。

「嫁さんに嫌われてもいいのか?」
泰明は激しく頭を振った。

「そうだろそうだろ」
「なあ、よく聞け、泰明。
この状況は、かなり危ない。
忙しいが何をしているかは教えない…とは、アヤしいと思わんか?」
「あかねは全くアヤしくない」

「いやいや、隠し事をされるってことは、
すでに夫婦の間に溝ができている証拠だ」
「他にも何か以前と変わったことはないか?」

「奥の部屋に入ることを禁じられている」
「何だ、泰明らしくもない。
いつものようにそんなの無視してずかずか踏み込めばいい」

『泰明さん、私がいいと言うまで、入らないで下さいね。にっこり』
と、あかねが愛らしく言った。
その願いを無視するなど、不可能だ」 ぽっ

「……………や…泰明……お前……」
「ヨメさん、最強だな」
「完全に尻に敷かれてないか?」
「嫁御の尻に敷かれるのは本望です」
新婚ほやほやの兄弟子は、流れを読まずに言い切った。

「と、とにかくだな、まずは謝ることだ」
「怒った嫁は手がつけられんからな」
「そうだそうだ」

「謝る? 何を謝ればいいのだ?
私は悪しきことをしていない。
偽りの謝罪はいけないことだ」

「そうか、ならば答えは一つだ」
「言葉でだめなら、行動あるのみだ」
「行動? 私は手伝いを申し出たのだ。
それが断られた今、何をすればいい」

「夫婦なんだ。××で×××が……。
っと、その前に……」

みんなの話を熱心に聞いていた見習いの少年が、
しっしっしと追い払われる。

「とにかく、ここは情熱的にだな……」
「いや、やはり優しくしなければ」
「いっそ刺激的な方が……」

その時、頭上にいきなり黒雲が湧き出た。
轟く雷鳴と共に稲妻が走り、兄弟子達を打つ。

「ひぃぃぃぃぃ!!!」
兄弟子達の悲鳴を圧して、晴明の声が響き渡った。
「何をしているか!!
とうに刻限は過ぎているのだぞ!!!
泰明、お前も陰陽寮に行け!!」

「ご、ごめんなさいいいいいいいい!!」
「す、すみませんでしたあああああ!!」
「分かった、お師匠」

兄弟子達と、ただ一人稲妻を避けきった泰明は、
巻き添えで焦げ焦げになった見習い少年に見送られて、
すぐに安倍家を後にした。






夕刻―――

勤めを終えた兄弟子達が、戻ってきた。
虚ろな眼でうつむいている泰明も一緒だ。

「あぁ……長い一日だったぁ」
兄弟子達は全員へとへとに疲れている。
無愛想で有能な泰明との仕事はやりにくいが、
うなだれたままで有能な今日の泰明は、
もっとやりにくかったからだ。

その時、最後尾をのろのろと歩いていた泰明が、突然走り出した。
ものすごい勢いで兄弟子達を抜き去って、安倍家の門に飛び込む。

そこには……

「泰明さん!!!」
「神子!!!」
「迎えに来ましたよ」
「もう……私を怒ってはいないのか。
私を嫌いになったのではないのか」
「もちろんです!」
「神子!!!!!!!」

兄弟子の存在などおかまいなく、
泰明はあかねを抱きしめた。

兄弟子達は、へなへなとへたりこむ。

「なんだ……」
「もう仲直りか……」
「これから面白くなると思ったのに……」
「でも、よかったな……」
「これで泰明を引き取ってもらえる」
「やはり嫁御とは仲良くしなくては」
……と言いながら、兄弟子達は耳をそばだてた。

「泰明さんの部屋を掃除しようとしたら、
『実家に帰る』って書き置きがあって、驚いてここに来たんです」
「以前私は黙って行方知れずになり、神子に悲しい思いをさせた。
だから、行き先は告げておかなければと考えたのだ」

「でもどうして、私が少し怒っただけなのに、『実家に帰る』なんて……。
それって、お嫁さんの方が言うことですよ」
「だめだ。
神子が本当に親の家に帰ろうと望んだなら、
龍神が願いを叶えてしまうかもしれない。
そうしたら、私はもう二度と神子に会えなくなる。
だから、神子ではなく私がお師匠の家に帰ればいいと思った」
「泰明さん………」
「もう……問題ないか、神子」

二人の甘さにげんなりした兄弟子達は、
幸いにも龍神のくだりに至る前に盗み聞きをやめていた。





そして月が空にかかる頃、
泰明の家では、にぎやかな宴が始まっていた。

頼久、イノリ、鷹通、友雅と永泉、藤姫とお付きの女房がいる。
そして、晴明と、急遽招かれた兄弟子達もいる。

立ち入り禁止だった奥の間が開かれ、
そこには可愛らしい小さな飾りが、そこかしこに置かれていた。
正面には眼にも鮮やかな色とりどりの布が、張り渡されている。

そこには
――泰明さんお誕生日おめでとう――と縫い取りされている。

一文字ごとに、地の布も文字の糸も違う。
よく見れば、様々な形の小さい布を接ぎ合わせてあるのだ。

「神子はこれを作っていたのか」
「はい。ごめんなさい、泰明さん。
どうしても今日までは秘密にしておきたかったから、
部屋に入らないでってお願いしたんです」

「これを全部、神子殿お一人で作られたのですか?」
「すげーじゃん、あかね」
「端布を探すのは、藤姫に手伝ってもらったんですよ」
「本当に楽しかったですわね、神子様」

「飾りの一つ一つに、心がこもっているのを感じます」
「どんなに豪奢な布も、この美しさに及びはしないよ」
「神子の手は、何者にも代え難いものを作ったのですね」

「そ……そんな、みんなほめすぎですよ。
ただ私は、私一人でやりたかったんです。
心をこめて、一針ずつ……
だって……泰明さんのお誕生日ですから」
ぽっと頬を染めて、あかねはにっこり笑った。

――今日はとんだ空騒ぎであったが……。

晴明は、楽しげに酒を酌み交わす弟子に囲まれ、
静かに杯を傾けている。

――この晴明が屋敷を、自らの親の家と思うたか、泰明。

干した杯に、すかさず注がれた酒には、
今にも満ちようとする月が映っている。

――だが、次にこのようなことをしたならば、
もう家には入れてやらぬぞ。
あのように落ち込むとは、お前はまったく分かっておらぬ。
神子殿が、お前を置いて一人で去ることなどないと。
お前の想いと変わらぬ深さで、神子殿もお前を想っているのだと……。

その時、あかねが晴明の前に歩み来た。
「晴明様、お願いがあります。
泰明さんに、お祝いの言葉をいただけますか?」

「もちろんじゃ」
晴明は笑みを浮かべてうなずく。

「今宵、泰明に贈る言葉は一つ。
我が弟子たちよ、一緒に言おうぞ」
「はいっ! お師匠様!」

晴明と兄弟子達は、声を揃えた。

「この幸せ者!!!」






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泰明さん、お誕生日おめでとう!!!

夫婦げんかは犬も食わないと言いますが、
兄弟子さんたちはとんだ災難でした。
でもこの二人……けんかにもなっていないような……。

まあとにかく、泰明さんとあかねちゃんが仲良くしていれば、
それだけでこちらもうれしい気持ちになれます。

どうかいつまでも、お幸せに!!


2015.9.14 筆