もしも……

2017年泰明生誕祝い ゲーム本編中背景



もしも……と人は言う。

「もしも、あやつがいなければ、今頃はもっと……」
「もしも、あの方が愛して下さったなら……」
「もしも、歌の才能があったなら……」
「もしも、あの時にうまく立ち回っていれば……」
「もしも、よき家柄に生まれていれば……」
「もしも、もっと美しければ……」
「もしも、もっと若ければ……」
「もしも、未熟でなかったら……」

内裏で、街で、安倍の屋敷でも
人は「もしも…」と言い、己に無きものを願う。
理に外れたことさえも。

努めれば叶うこと、努めても叶わぬこと。
叶わぬ故の恨みと苦しみを知りながら、それでも人は願う。

なぜ願うのだろう。
叶うこと能わぬ詮無き夢を……。

分からない。
心を持たぬ私に―――分かるはずもない。

だがふいに、もしも……と思った。
思って……しまった。

抑えても抑えきれず、
造化の身の奥底から許されぬ願いがわき上がり、
胸を焦がした。

もしも、私が人であったら……と。



********************************



夕焼けが空を染める頃、あかねは、永泉、泰明と一緒に洛中に戻ってきた。
土御門まではもう近い。

「少し遠出になりましたけど、今日は強い怨霊を封印できてよかったです」
「お疲れ様でした、神子。
あなたのおかげで、洛西の穢れはあと僅か……」

その時あかねは、泰明がかすかに足を緩めたことに気づいた。
見れば、陰陽師の一行が急ぎ足でやってくる。
彼らもこちらの姿に気づいた様子だ。

小さな辻で、二組は真正面から行き当たった。

「ほぉぉぉ、泰明が女人連れとは珍しい」
「しかしひなびた娘だな。その供とは楽な務めよ」
「お前みたいな気味の悪いものを嫌がらぬ娘がいるとはな」
「いやいや、そこな僧侶のお楽しみの隠れ蓑であろうよ」

「おい、泰明などに構うな。やっとあの怨霊を追い詰めたのだ」
「おお、そうであった」
「兄弟子に会っても丁重な挨拶一つできぬ輩に、こちらとて用はない」
「いやいや、こんなものに言葉をかけられても不気味なだけではないか」
「言われてみればその通りだ。ははははは」

陰陽師の一行は、泰明に向かってさんざん嫌味な言葉を投げつけると、
寂れた小路へそそくさと曲がっていった。

「なんて失礼な人達なの!!」
あかねは思わず声を荒げた。
「待ちなさい!! 泰明さんにちゃんと謝って!」

自分にも失礼なことを言われたような気がするが、それはどうでもいい。
彼らは、泰明がやり返さぬことを承知の上で悪罵を投げつけたのだ。

「神子、ど、どうか落ち着いて下さい…」
彼らを追い掛けようとするあかねを、永泉が必死に押しとどめる。

しかし当の泰明は、かすかに眉根を寄せ、
兄弟子達の後ろ姿をじっと見ているだけだ。

「泰明さん、言われっぱなしでいいんですか!?」
あかねは永泉をぐいっと押しのけ、泰明に向き直った。

「神子はひなびてはいない。問題ない」
「違いますよ、私のことじゃなくて、泰明さんの……
……ん?」

泰明の視線は、まだ兄弟子達を追っている。
急ぎ足で遠ざかる彼らは、先の辻を曲がっていった。

「泰明さん?」
「あの……泰明殿、何か気になることがあるのでしょうか」

「小鬼共が騒いでいる。
贄にありつけると喜んでいるようだ」

永泉が身を震わせた。
「なんと怖ろしい……。
先ほどから嫌な気が感じられていたのですが……」

「ええと、小鬼が騒いでるというのは……?」
言いかけて、あかねははっと気づいた。
薄暮の微かな光の中に立つ泰明の横顔は、怜悧な陰陽師そのものだ。

「あの人達が危ないかもしれないってことですか?
だったら、すぐ助けに行きましょう!」

「お待ち下さい、神子!」
駆け出そうとしたあかねを、再び永泉が慌てて止める。

泰明は首を傾げた。
「神子、なぜお前が行こうとする。
彼らはここ数日、とある怨霊を追っていたが、
ようやく居場所を突き止めたようだ。
ならば、あとは陰陽師としての務めを果たすのみ」

「でも怨霊ですよ? 封印しないと」
「調伏で事足りる程度の相手だ。
彼らとて陰陽師。案ずる必要はない。
何より神子の存在は、安倍家でも秘中の秘だ。
土御門に戻るぞ、神子」

泰明の声は冷静そのものだ。
その言葉に嘘はないのだろう。
でも……

「泰明さん、何だか心配そうです」
「心配……? 私が? あり得ぬ」

泰明のこういう言い方にはもう慣れっこだ。
あかねはにっこり笑った。

「泰明さん、応援に行ってあげて下さい。
土御門は近いですから、私は永泉さんと戻ります」

永泉も言葉を添えた。
「神子は必ず送り届けます。
ですから泰明殿はどうぞ、あの方達を……」

泰明は戸惑ったように、ゆっくり瞬きする。
「……それは、神子の願いか?
神子は、あの者達を助けることを望むのか?」

「はい。どうかお願いします、泰明さん」
あかねは真顔に戻り、懇願した。

泰明はしばしあかねを見つめていたが、
やがてこくんと頷いた。

「分かった、神子。
永泉、神子を頼むぞ」
言うと同時に泰明は踵を返す。

「いってらっしゃい、泰明さん」
「どうぞお気をつけて」
その背に向かって、あかねと永泉が声をかけた。

――私たちの声は届いたかしら。

あかねは、ぐんぐん遠ざかっていく泰明の背中を、
夕靄に溶け入るまで見送っていた。



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夕と夜の端境。
雲間にのぞく残照が刻々と褪せてゆく。

魔の者が力を得る刻だ。

廃屋となった貴族の屋敷で、
兄弟子達は、怨霊を追い詰めていた。

「キシャアァッ!」

「よし! 怨霊を追い込んだぞ!」
「この先は行き止まりだ」
「一気に調伏する! まずは怨霊の動きを止めろ!」

「キシャアァァァッ!!!」

「う……反撃してくるとは」
「我らの攻撃でかなり弱っていたはずだが」
「最期のあがきであろう」

しかし彼らの背後から、くぐもった唸り声が聞こえた。

「グ…ギ……ギギ」

「む……何だ、この気配は?」
「あ、我らの後ろに……」
「お、怨霊が!!」

振り返った彼らの眼前には、いつの間に現れたのか、
おびただしい数の怨霊がいる。

「シャァァァ」
「グッグギッ」
「キシャッ」
「グギッギギギ」
「キシャァァッッ」
「グギグギギギ」

「い…い…いったい、どこから湧いて出たのだ」
「この数ではさすがに手に余るぞ。逃げよう!」
「だがここは行き止まりだ」
「くそっ! 追い込んだと思うたが、引き込まれていたのか」
「うう……手勢がもっと多ければ」
「こうなったら戦うのみだ!」
「だけど…」
「でも……」

その時、怨霊の群れの向こうから、ぶっきらぼうな声が届いた。

「伏せていろ」

「や…泰明か!?」
「お前、なぜここに……」

「警告はした。術を放つ。
救急如律令! 呪符退魔!!」

「ひいいいいいいっ!!!」
兄弟子達が地面に倒れて頭を抱えると同時に、
泰明の術が炸裂した。

「グギギギギギィィィィ!!!!!!」

そして――

ほどなくして怨霊は残らず調伏された。
泰明の術でほぼかたがついてはいたが、
面目を保つため、兄弟子達が奮戦したのは言うまでもない。

「ふ、ふん…。怨霊どもめ。
今日はこれくらいにしておいてやる」
「泰明は強かったが、無論、我らも強かったのだ」
「泰明が余計な真似をせずとも勝算はあったのだ」
「当然だ。わざわざ言わねばならぬくらい当然だ」

「しかし泰明、お前はなぜここにいる」
「土御門の辻から後をつけてきたのか」

「後など追ってはいない。
小鬼共の動きで、すぐにこの屋敷と分かった」

「な…何?」
「小鬼共だと?」
「いつの間に……小鬼などが…」

「そうか。
目の前の怨霊を追うばかりで、小鬼共の騒ぎには気づかなかったか」
「何っ!?」
「小鬼共が騒いでいた……?」

「あれは邪気や穢れに集まる。
怨霊が群れていることに気づいたのだろう」

「ふんっ! そんなこと………我らもとうに気づいていたぞ」
「そもそも偉そうに何が言いたい。
我らに油断があったとでも?」

「怨霊には狡猾なものもいる。
さらに怨霊が一体とは限らない。
自らが優位に立っていても、もしもの場合を考えよ、
とお師匠に教わったはず」

「何ぃっ! 兄弟子を愚弄するのか」
「あれしきの怨霊、我らだけで始末できなかったとでも!?」
「後をつけてきたのは、我らから手柄を横取りしようとしたのだな」

兄弟子達はなおも言い募ったが、
泰明は彼らに背を向け、その場を無言で立ち去った。

胸の辺りに冷たい風が吹いているが、
それはいつものことだ。

夜へと傾いていく空には雲が広がり、夕星のかげすら見えない。
ふと、あかねの笑顔が思い浮かび、
とくん……と胸が鳴る。

泰明の足取りが次第に速くなっていく。

神子を想うと、胸の冷たさが消える。

なぜだろう。
神子に会いたい。
神子の声が聴きたい。
神子に笑顔を向けてほしい。

早足から小走りに……そして、
いつの間にか泰明は、全力で京の街を駆けていた。

どうして私はこれほど急ぐのだ。
いや、問うまでもない。
私が八葉だからだ。

神子が願ったこととはいえ、
私は神子を館に送り届けなかった。
八葉としての務めを果たさなかった。
だから、神子の行方を案じているのだ。
神子が無事に土御門に戻ったか、確かめなければ……。

夜闇の中を、泰明は一心に走っていく。



********************************



自分の部屋に戻ってからも、あかねは落ち着かなかった。

――泰明さん、どこまで行ったんだろう。
怨霊、うまく調伏できたのかな。
泰明さんのことだから、きっと大丈夫だよね。
でも、怪我とかしていないといいな。
兄弟子さん……イヤな人達だったけど、
どうか無事でありますように。
あ、でももしかして、せっかく助けたのに
また悪口言われてるかも……。
そうだったら許せない!
………だって泰明さん……平気なはずないもの……。

遠出で疲れているはずなのに、
とりとめない思いばかりが繰り返し浮かんでは消える。

あーっもうっ!! 頭の中がぐるぐるしてきた!!

あかねはばっと立ち上がると、真っ暗な庭に飛び出した。



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夜の帳の中――
泰明は土御門の長く続く塀の前に佇んでいた。

屋敷は静けさに包まれている。
異変の気配はない。
神子が無事でいる証だ。

………よかった。

しかし、小さな心配が消え去ると同時に、
その下に潜んでいた本当の願いが現れ出でた。

本当は、神子に会いたかったのだ……と。

泰明は胸元の数珠をぎゅっと掴んだ。
気が、乱れている。
呼吸を整え呪を唱えても、おさまらない。

神子の無事が確かめられたのだ。
神子に会わずとも、
大事ないと分かれば、ここに来た目的は果たした。
もう、安倍の屋敷に戻らねば……。

何も迷うことはない。
夜を徹し、新たな術を学ぼう。
そして道具に手を入れ調えるのだ。
明日もまた、八葉の務めを果たすために。

明日……明日も神子に会えるだろうか……。
神子は私を供に選ぶだろうか。

どうしたというのだ、私は。
ここに来たのは神子に会うためではない。
神子の無事を確かめる……ため。

なのに、なぜこれほどに願う。
もしも今……神子に会えたなら、などと。

私は壊れかけているのか……。


その時、雲が動き、月が顔を出した。


そして―――


「泰明さん!?」

月明かりの中に、あかねがいた。
頬を染め、息を弾ませている。

泰明の、時が止まった。

求めていた姿がある。
聴きたかった声がある。
焦がれていた笑顔がある。

「来てくれたんですか、泰明さん。
怨霊の調伏は……」

――神子の姿が……まぶしい。
龍の神子のまとう清浄な神気ゆえか。
それとも天から降り注ぐ月光ゆえか……。

泰明の唇から、我知らず言の葉が漏れ出でた。

「………きれいだ」

「え……?」

あかねはきょとんとして、次にきょろきょろと周囲を見回し、
空に浮かぶ月に気づいてにっこりした。

「本当に、きれいな月ですね」

――月ではない。
きれいなのは、神子だ。
なぜ気づかぬ。

言の葉が胸の内でこだまするが、声に出すことができない。

月を見上げるあかねの澄んだ瞳、
柔らかな頬の輪郭から、眼を離すことができないのだ。

――今宵、神子の清浄な姿を眼にすることができた。
私はこのまま、壊れてもいい。

一方、あかねは月を見上げて思案中だ。
「満月……かな? でもまん丸ではないような……」

「あれは十四日の月。待宵の月だ」
「待宵……すてきな名前ですね」

待宵………

ふいに、頭上の月に記憶の中の月が重なった。

   ―――『泰明よ、あれは月というものだ。
   あの形は待宵の月。十四日目の月じゃ。
   明日の夜には満ちて望月となる』

空に輝くものを指さして問うた泰明に、
晴明が月という名を教えたあの日……。

「……私が初めて見た月も待宵の月だった。
お師匠が私に生を与えた日のことだ」

あかねは眼を輝かせた。
「ということは、泰明さんのお誕生日は十四日なんですね。
いいこと聞いちゃったかも」

泰明は首を傾げた。
「誕生日? 私が造られた日の何がよいのだ?
神子はなぜ訳の分からぬことで喜ぶ」

「何月の十四日なんですか?」
あかねは、泰明の疑問には答える気がないようだ。

「長月だ」

「長月……ええと……九月ですね」
あかねはなぜか小さくため息をつき、肩を落とした。
「今は五月だから……ずっと先ですね。ちょっと残念」

泰明はさらに首を傾げた。
「何が残念なのか分からない」

するとあかねは、急に赤くなって首をぶんぶんと振った。
「あ……ええと……私が勝手に残念がっているだけですから
気にしなくていいです。
泰明さんのお誕生日に、おめでとうを言いたかったなって……
それだけです。すみません」

「神子は、私が造られた日…誕生日というものが
めでたいと思うのか?」

「それはもちろんですよ!
私の世界では、お誕生日はとてもめでたい日なんです。
だから泰明さんと一緒にお祝いできたらって思ったんですけど、
九月にはもう、私……京にいない……から」

ずきん、と胸に痛みが走った。

――何を今さら! 周知のことではないか。
神子が元の世界に帰ることは、
京に招来された時から決まっていたことだ。

何より神子は、帰りたいのだ。
己のあるべき世界に。

そして私は、神子のいない日々に戻る。
この身が壊れるまで……。

泰明の唇が、何の感情も交えぬ声を紡ぎ出した。

「無論。神子は長月まで京にいてはならぬ。
自分の世界に戻るため、お前は力をつけてきた。
京に来たばかりの頃には、想像すらできなかった力だ。
それゆえ、今日は強い怨霊を封印することもできた。
残るは、鬼との戦いのみ」

泰明の言葉を聞くあかねの顔が、
見る間に悲しげに曇っていく。

「どうした、神子。どこか具合が悪いのか?
夜風が悪いのかもしれぬ。早く部屋に戻って休め。
まじないが必要ならばすぐに……」

しかしあかねは、着物の裾をぎゅっと握りしめて顔を上げると、
晴れやかな笑顔を泰明に向けた。

「心配してくれてありがとうございます。
何でもありませんから、私は大丈夫です」

ならばよいが……と泰明が答えるより早く、
あかねは笑顔で続けた。

「九月に言えないなら、
ちょっと早いけど……今、言わせて下さい。
お誕生日おめでとうございます、泰明さん」

だが、小鳥のさえずりのように明るいその声には、涙が滲んでいる。
顔には曇りない笑顔があるというのに。

泰明はあかねを見つめ、紡がれた言の葉をかみしめた。

相容れない「感情」を宿しながら、龍神の神子はそこに在る。
そして私を言祝いでいる。

己の誕生に向けられた初めての言祝ぎの言葉が、
泰明をあたたかく満たしていく。

「ありがとう……神子。
お前の言祝ぎの言葉を、私は決して忘れない。
……たとえこの身が壊れ、消え去ったとしても」



********************************



もしも………
私が神子と同じ人であったなら、
神子の涙の理由が分かるのだろうか。

もしも………
私に心があったなら……
神子が帰ってしまうのはいやだと言ったら……
神子がもっともっと私のことを思ってくれたら……

泰明の中を、数知れぬ「もしも」が交錯する。
五行が乱れ、惑い、胸を焦がす痛みにさいなまれる。

その夜泰明は、小さな庵で端座したまま一睡もしなかった。

泰明には、少しだけ分かったのだ。
「もしも……」と、叶わぬ願いを抱く人々のことが。
彼らの痛みが。

だが、泰明にはまだ分からなかったのだ。
自分の痛みが、「心」の痛みであることも、
それが、あかねへの思慕ゆえであることも――。






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大大大遅刻なので、ハピバSSと名乗るのもおこがましい!!

というわけで、控えめにお誕生日成分を入れました。


今回のあかねちゃんは、
泰明さん攻略ルートをひた走り中。
で、泰明さんも、神子のことであれこれ悩み中。

互いに想い合っているのに
肝心なところが思いっきりズレてる二人ですが、
私にはこういうのがツボ。

無自覚な
「月が綺麗ですね」
「死んでもいいわ」
――的な。



2017.11.10 筆