市の人混みの中で、童が泣いている。
道行く人が声をかけても、ただ泣きじゃくるばかり。
安倍家の陰陽師見習い兼雑用係の浅茅は、思わず足を止めた。
兄弟子から言いつかった用向きを終えての帰り道。
寄り道などせず、真っ直ぐ安倍の屋敷に戻るのが本当だが、
取り立てて急いでいるわけでもない。
何より、一人ぼっちで泣いている子を、放ってはおけない。
「どうしたの?」
その童の肩にそっと手をかけて、聞いてみる。
「うえええええん」
童は、身体を揺すって、浅茅の手を振り払った。
「転んだの?どこか、痛いの?」
「うえええええん」
親と、はぐれたの?…そう尋ねようとした時、
ふわりと、浅茅の隣でよい香りがした。
目をやると、その香りの主は、地面に膝をつき、
童の目を見上げながら話しかけている。
「お母さんが見つからないの?」
優しい声。
きれいな横顔。
年は、浅茅より五つか六つくらい上だろうか。
浅茅の心臓が、跳ねた。
こっくりと頷いた童に、その人は言った。
「泣かないで。私とお母さんを探しましょう」
「ぼくも…一緒に探します!」
浅茅は、思わず大きな声で言っていた。
するとその人は、浅茅を見上げてにっこりと笑う。
浅茅の心臓が、もう一度跳ねた。
どぎまぎしながら、自己紹介をする。
「ええと…その…ぼく、浅茅といいます。
それで、今は、安倍家で陰陽師の見習いをしていて…」
「私は元宮あかね。よろしくね、浅茅くん」
そう言って、あかねは立ち上がったが、すぐに思案顔になる。
「どうやって探そうか。
こんなに小さいと、来た道も覚えていないと思うし」
浅茅は、ごくんと唾を飲み込んだ。
ここには式盤もない。あったとしても、まだよく使い方が分からない浅茅だ。
人探しの法……どうやるんだっけ…。
うろ覚えだ。
でも、こんな広い市の中を、闇雲に探しても仕方ない。
浅茅が得意としているのは、まだ、たった一つの術。
今は、それを使うしかない。
「あの、ぼく、うまくできるかどうか分からないですけど、
式神を使ってみます」
式神などという聞き慣れない言葉に、あかねが恐がるのではないか…と、
おそるおそる表情をうかがう。
だがあかねは、驚いた様子もなく、またにっこりと笑った。
「がんばって、浅茅くん」
その言葉に、驚くほど力が湧いた。
よし!がんばろう!
強く思う。
浅茅は札を取り出し、呪を唱えて息を吹きかけた。
ちゅん…
雀によくにた小さな式神が現れる。
それは一声さえずると、ぱたぱたと羽ばたいて、浅茅の頭に止まった。
泣いていた童が、うれしそうに式神に手を伸ばす。
「この式神で、上から探すんです。
きっと、この子のお母さんも、子供を探しているでしょうから、
そういう人を見つければ、きっと…」
「すごいよ!浅茅くん」
浅茅はますます張り切った。
とその時、ぶっきらぼうな声がした。
「がんばれ、すごいで喜ぶのは、子供の証拠だ」
「泰明さん!」
「泰明さん!」
あかねと浅茅が、同時に叫んだ。
「どうしてここに?」
「どうしてここに?」
二人はまた、同時に尋ねた。
「調伏の帰りだ」
そして泰明は、黙って自分の後ろを示す。
「おかあちゃん!!」
童が叫んで、泰明の後ろにいる母親の元に走った。
「坊!」
母親は、泣きながら我が子を抱きしめる。
何度も頭を下げながら帰っていく親子を見送ると、
泰明は浅茅に向かって、にべもなく言った。
「使いの途中だろう。早く屋敷に戻れ」
「は、はい…すみません」
浅茅は、小さくなって謝った。
「泰明さん、浅茅くんにそんな言い方しなくても」
「いいえ、ぼく、まだ見習いですから」
「そうだ。まだ式盤の文字すら、満足に理解できていない」
「でも、浅茅くんはがんばったんだよ」
「……いいえ、ぼく、何もしませんでした」
「そういえば、泰明さんはどうして迷子のいる場所が?」
「人探しの法を使うまでもない。親子ならば似通った気を持つ。
さらには、互いを探して、どちらの気も乱れている。
そのような気を見つけ出すのはたやすいことだ」
そこで、泰明は一度言葉を切り、あかねを見た。
「それが、清浄な気と共にあれば、なおさらのこと」
「はあああぁぁぁ」
浅茅はため息をついた。
泰明さんは凄すぎる。
でも、そんな泰明さんと、対等に話しているあかねさんて…。
「ねえ泰明さん、浅茅くんに、家で少し休んでいってもらいましょう」
あかねが言った。
「え゛?!」
「え゛?!」
泰明と浅茅が同時に言う。
「ちょうど、家は安倍のお屋敷まで帰る途中にあるし、いいでしょう」
にっこり。
あかねは、泰明が何か答えるより早く、浅茅の手を引いて歩き出した。
「あ…あかねさんて……もしかして…泰明さんの…」
浅茅は、やっと気づいた。
あかねは、笑顔で頷く。
と、泰明が浅茅の反対側にまわりこみ、あかねの手を握った。
お手々つないで三人が並んで歩く。
あかねは真っ赤になってうつむいた。
「泰明さん……ちょっと、恥ずかしいです」
「問題ない」
泰明は、前を向いたまま答えた。
「ちょうど、永泉さんから頂いたお菓子があるんですよ」
あかねがにこにこしながら、菓子を運んできた。
「また、永泉が来たのか」
「ええ、友雅さんも一緒に」
「…………」
浅茅は、落ち着かない。
あかねが席を外すと、とたんに気まずい雰囲気が流れるのだ。
浅茅を見る泰明の視線が恐い。
「喉が渇いてない?お水がいいかな、それともお湯を」
ぎろっ!
「あ、おかまいなく……。すぐ、帰りますから」
「遠慮しないで。今、お水汲んでくる」
ぎろっ!
「ぼ、ぼくが汲んできます」
「ああ、助かっちゃった。
こんなにたくさん運べるなんて、浅茅くんて小さいのに力持ちだね」
「……それほどじゃ、ないですけど」
他愛のないことでも、あかねに言われるとうれしい。
浅茅は少し赤くなった。
ぎろっ!
はっと、我に返る。
「いえ!いつもやっていることですから!!」
「ありがとう」
そう言うとあかねはまた、部屋を出て行こうとした。
「どこへ行く」
「お掃除の終わっていないところがあって。
二人は、そこでゆっくりお話ししていて下さいね」
ぎろっ!
「あのっ!ぼくがやりますっ!」
あかねは薪を運び始めた。
ぎろっ!
「ぼくにやらせて下さいっ!!」
ぜーぜーはーはー
結局浅茅は、安倍家雑用係として鍛えた腕前を
存分に披露することとなった。
「ごめんなさい。ちっとも休めなくて」
ぎろっ!
「い、いいえ、いつもやっていることですから」
「ありがとう、浅茅くん」
ぽっ…♪
ぎろっ!
「あ、あのぼく、遅くなるといけないので…失礼します!」
浅茅は、泰明の家を飛び出した。
ああ……泰明さんの眼、恐かった…。
それでも、
あかねさんのお手伝いができて、よかった。
夕焼けの空を見上げながら、浅茅の顔が自然にほころぶ。
長任さんがいつも「嫁御はいいものです」って言ってるけど、
本当にそうなんだなあ。
あかねさんみたいな素敵な人が待っているんだから、
泰明さんが、あの洞窟から早く帰っていったのも、わかる気がする。
………「がんばって、浅茅くん」
あかねの言葉を思い出すと、それだけで力が湧いてくる。
そうだ、ぼくも!
「がんばって泰明さんみたいに立派な陰陽師になって、
そして…そして……あかねさんみたいなお嫁さんを」
「無理だ」
「うわっっ!!」
突然後ろから声がして、浅茅は飛び上がった。
「や、泰明さん…」
「神……いや、あかねほど、美しく清浄な存在はない。
だから、あかねのような女性を望んでも、それはしょせん叶わぬ夢だ」
浅茅のうれしい気分は、一気に消え去った。
しょんぼりして、尋ねる。
「泰明さん、どうしてここに…」
「あかねが、お前のことが心配だから送っていくと言い出した」
「それで、泰明さんが代わりに?」
「そうだ」
あかねさん、なんてやさしい人なんだろう。
「う、うれしいですけど、ぼく、大丈夫です」
「さっきから、私がずっと後ろにいたことにも気づかず、
それでも大丈夫というのか?
お前の後ろ姿は、隙だらけだった」
浅茅はうなだれた。
全く、その通りだ。
「すみません…」
「だが…」
泰明は、ぶっきらぼうに言葉を続けた。
「?」
「式神を使おうとした、お前の判断はよかった」
浅茅は顔を上げた。
「さっきの、市のことですか」
「そうだ。まだ限られた術しか使えぬ中では、
あれが最も適切な方法だった」
「ありがとうございます」
「しかし、式神を呼ぶ時には場所を選べ。陰陽師の術は見せ物ではない」
「はいっ!!」
安倍家の門衛は、遅く帰ってきた浅茅に顔をしかめたが、
隣の泰明を見て、何も言わず通した。
「浅茅、遅いぞ!あ…」
見習い部屋係の兄弟子が、浅茅を叱責しようとして、
泰明に気づき、言葉を飲み込んだ。
「浅茅に私が所用を頼んだ。それゆえ遅くなってしまった。
なので、詫びを言うために、こうして足を運んできた」
部屋係の目を見据えて、泰明は言った。
これでは、言葉とは裏腹に、相手を威嚇しているようなものだ。
「ひぃぃぃっ、わ、わかりましたっ!
ごっ、ご足労かけて申し訳ありませんっ!!」
幾度も頭を下げ、部屋係が詫びている。
「では、私は行く。
浅茅、これは、あかねからだ」
泰明は、浅茅に小さな包みを渡すと踵を返し、
そのまますたすたと行ってしまった。
浅茅が包みを開くと、お菓子が入っていた。
泰明の家で出されたのに、結局手つかずだったものだ。
口に入れると、ほのかな甘さが広がった。
浅茅の胸が、とくん!と鳴る。
今日、ぼくの憧れの人が、二人になった。
泰明さん、そして…あかねさん。
無理だ……って、泰明さんは言っていたけど、
ぼくはあきらめない。
泰明さんみたいに立派な陰陽師になれば、
きっと、あかねさんみたいにやさしくて、きれいな気をまとった人と
出会えるに違いないから。
浅茅はお菓子をもう一口、頬張った。
甘い痛みと共に、再び胸が、とくんと鳴った。
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あかねちゃん至上の、二歳児な泰明さんに振り回される
浅茅くんの話でした。
「雪逢瀬」で、活躍した後の話ですので、
浅茅くんはただの使い走りから昇格(笑)しています。
お勧めポイントは、
あかねちゃんからお菓子の包みを素直に受け取って、
浅茅くんの後を追いかける泰明さんの図(笑)。
2008.3.13 筆