これからあかねに会うというのに、
泰明の足取りがこれ以上ないほどに重い。
うつむき加減の顔は、いつにも増して無表情。
かすかに眉根を寄せては、時折ふっとため息をつく。
早く神子に会いたい!!!!!
会いたいのに…………
分からない。
私は……どうすればいいのだ………。
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それはつい数日前のこと。
「神子の……親が、私に?」
「はい。二人とも泰明さんにとても会いたがっているんです」
「問題ない。
お師匠も、神子の親には礼を尽くせと言っていた」
「わあ、ありがとうございます!
じゃあ今度の日曜日に家に来てもらえますか?」
「分かった」
だが、問題はここからだった。
「たくさんお話できるといいですね。
あ、でも気をつかわなくていいんですよ。
泰明さんは無理して話さなくても
お母さんがその分おしゃべりするだろうし。
きっと二人と仲よくなれると思います。
ふふっ、楽しみだなあ」
――仲よく?
「この訪問は、話をして『仲よく』なるのが目的か?
いずれ神子の夫になる者として、丁重に挨拶するだけではいけないのか?」
とたんにあかねは真っ赤になり、ふるふるふるふるふると首を振った。
「ま…まz、私たちのこtを認めてもrわないと」
しかも噛んだ。
泰明は小さく首を傾げて確認した。
「最初は仲よくなって認められることが大切なのだな。
婚儀の話はその後、然るべき時に…ということか?」
「は……はい」
あかねは頬を桜色に染めて頷いた。
その愛らしさに逆らうことなどできるはずがない。
「神子のために、仲よくなるよう努める」
「泰明さんなら大丈夫ですよ」
そう言ってあかねはにっこり笑ったのだった。
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あかねの家に行き両親とまみえる――
考えれば考えるほど調子が悪くなる。
あかねの頼みを断る理由は無い。
むしろあかねの願いは全て叶えたい。
全く「問題ない」ことだ。
そのはずなのだ。
が、実際は問題がありすぎる。
まず泰明は、この世界のことをまだよく知らない。
作法を知らねば、不作法になる。
そもそもこの世界で他家を訪問したことがない。
家々の大きさからして藤姫の館とは仕組みが異なることは想像がつくが、
女房の役目をする者はいないらしい。
では取り次ぎを誰に頼めばいいのか。
こういうことは詳しい者に聞くに限る。
天真と詩紋に相談した。
「インターホンってやつがあるんだよ」
天真はすぐに答えた。
「ほら、家の門とか玄関扉の脇に小さな箱がついているでしょう?」
詩紋が丁寧に補足してくれた。
「突起を押すと音が鳴って、家の中の人に来客を報せる仕組みになってるんだ」
「いんたーほん」……知らなかった。
「信号」なる物の見方に次いで大事なことだ。
他にも尋ねたいことが幾つも頭をよぎるが、
最大の問題は「仲よく」だ。
「では、初めて訪れた家では何を話せばいいのだ?」
「へ……?」「ぇ……?」
天真と詩紋はしばし固まった。
「ま、まあ…いきなり、お嬢さんをお嫁に下さい!なんて言うのはナシだぜ」
「あかねちゃんのご両親が気絶しちゃうかもしれないからね」
「それはまだ早いと神子が言っていた」
「………やっぱり言おうとしてたのかよ」
「危なかったね……」
「私と両親に仲よくなってほしいと神子は言った。
だが何をどうすればいいのか、私には分からない。
そもそも仲よくなるとはどういうことなのだ」
「幸せな悩みだな。
お前はいつもの泰明でいいんだよ。
でも仏頂面は止めとけ」
泰明の問いに天真はひらひらと手を振った。
「泰明さんは永泉さんと仲よくなってたじゃない。
難しいことじゃないと思うよ」
詩紋は励ますように何度も頷いた。
違う! なぜ私の言葉は伝わらないのだ。
天真の言葉は何の答えにもなっていない。
詩紋は誤解している。
永泉とは仲よくなったのではない。
永泉は信じるに足る者。それだけだ。
結局、二人からは助力を得られずに終わった。
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そして何の解決策も見出せぬまま、とうとうその日になった。
仲よくなるどころか、あかねの両親に嫌われたら……と
思っただけで苦しくなる。
あかねと出会う前の、孤独だった頃の記憶が押し寄せて来る。
気味が悪いと忌み嫌われ、遠ざけられていた日々。
そう……私は怖ろしいのだ。
あかねの両親に嫌われること。
あかねの信頼に応えられぬこと。
あの笑顔を曇らせることが……。
己を偽ったところで何になる。
問題は……この世界をまだよく知らぬことではない。
私の中にあるのだ。
「親」を知らぬ私は、それがどういうものか理解できない。
理解できぬと分かっていても、克服する術がない……。
逡巡の果てに、あかねの家はもう間近だ。
泰明は眼を閉じ、気を整えた。
強力な怨霊と対峙することも、
これからの出来事に比べたら如何ほどのでも無い。
それでも――揺るがぬ想いが泰明を支えている。
何があっても、あかねと共にいる。
そのためには、どんな試練も乗り越えるのだ。
大丈夫、とあかねは言った。
信じるのだ。
あかねの笑顔を!
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そしてついに―――
「元宮」と表札のかかった家の前に泰明は立った。
「いんたーほん」の突起に気を集中させ、
気迫を込めて一気に押す。
ぽちっとな
ピンポ〜ン
「いらっしゃい!」
不思議な音と同時にドアが勢いよく開いた。
「泰明さん!」
「まあ、あなたが泰明さん!♪」
「さあ、どうぞ中へ。ご遠慮なく」
あかねと、その両親が玄関に押し合いへし合いしている。
考え抜いた挨拶の言葉を口にする間もなく、泰明は居間に通され、
気がつけばお茶とお菓子を前に、四人でテーブルを囲んで話していた。
話題は途切れることもなく、
幾度も笑いの輪が広がっては、互いに笑顔を交わす。
あかねと両親は、互いに何と似ていることか。
面差しも笑みを含んだ声も、
思いやる言葉のあたたかさも身にまとう柔らかな気も、
あかねはこの両親から受け継ぎ、伸び伸びと育まれたのだ。
――ああ、怖れることはなかった。
私が向き合っているのは、あかねを愛し、慈しみ育ててきた二人だ。
あかねを思う心は同じなのだ。
『神子……これでよいか?
私は仲よくなれたのか?』
あかねに目顔で問うと。晴れやかな笑顔が返ってきた。
ピピピチュッ――。
鳥のさえずりが聞こえ、泰明は外に眼をやった。
生け垣に囲まれた小さな庭に、泰明の知らぬ花が咲いている。
垣根の向こうの空には、ほんわりと白い雲が浮かんでいる。
思えばここ数日、鳥の声も耳に入らず
空を見上げることすらしなかった。
「泰明さん、外に何かありますか?」
あかねが首を傾げて外を見た。
泰明の顔に小さな笑みが浮かぶ。
「小鳥の声に誘われて、空の青さに気づいた。
今日は………美しい日だ」