難 問 題



「忘れてはならぬぞ、泰明。常に相手の気持ちを慮るのじゃ」

「問題ない、お師匠。私が神子の気持ちをないがしろにすることはない」

「だが、ここからが難しい。否という言葉は、常に嫌という意味ではないのじゃ。
それを文字通り受け取ってしまうと時に大変厄介なことになる、と心得ておけ」

「よく分からない。
是が是、否が否でないとしたら、何を以て区別すればよいのか教えてほしい」

「ううむ……是の場合は、ほぼ是と捉えて間違いはない。しかし否は違う。
女人の言の葉は複雑だ。『嫌い』は『好き』という意も持ち、
『いや』は『よい』の意も持っている。
最も困るのは、これが当然通じるものと女人が信じていることじゃ」

「では、神子にはいつも正直な気持ちで言の葉を選ぶように言う」

「ならぬ! 男たる者、それは断じてならぬ!
そこを察してこそ、一人前の男なのじゃ、泰明」

「お師匠は察することができるのか」
「できる。これでも若い頃はあれこれかくかくしかじかいや何でもない」
「女人…といえば、友雅もか」
「超人的にできる」
「そうか、友雅も人ではなかったのか」
「桁外れの能力という意味で言ったのだ」

「分かった、お師匠。
友雅は人で、神子の言葉の真意を解するためには察すればよい、ということか」

「お前には難しいかもしれぬが、避けて通れぬことじゃ。
人の心は複雑なもの。少しずつでも解するようにすればよい」

「問題ない。愛憎が生み出す闇の深さを知らねば、陰陽師は務まらぬ。
私の知識に遺漏はない。それよりもお師匠、気になることがある」
「どうした、泰明」
「なぜお師匠の頬は赤くなっている? 熱でも出たのか?」

「………だから心配なのじゃ、泰明」

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――お師匠の言葉の意味が、よく分かった。
知識と実際とは……これほど違うものなのか…。

閨の中、泰明は壊れそうな己と戦っている。

あかねはあたたかく、柔らかく、甘く、この上もなく愛らしい。
初めて見る表情、初めて聞く声、あえかな吐息に、身体中が痛いほどに疼く。

泰明はあかねの襟の内側に手を滑らせた。
しかし、小さな声が拒絶する。
「……いや」

「分かった」
泰明は即答した。
あかねの気持ちが一番大事だ。

しかし、しぶしぶ手を止めたとたん、あかねの視線を感じた。
「どうした…」と言いかけて、喉がつまる。
あかねは目元を桜色に染め、潤んだ眼でこちらを見ていた。
喉がつまったまま、動悸が激しくなる。
このままでは、壊れてしまう…
そう思った瞬間、

「……じゃない…です」
あかねが小さな声で言い、目元の桜色が頬まで広がった。

ぴきぃぃぃん!!
泰明は、やっと悟った。

「……いや」「……じゃない…です」
これが、言の葉の真の意だったのか、と。

――すまない、神子。
お前の気持ちを察することができなかった。

だが、「真のいや」じゃなくて本当によかった。
ここで止めたくない。
もっとお前を感じたい。

唇を白い喉に這わせながら、そっと襟の合わせ目を広げていく。
細い肩が露わになる。
柔らかな双丘を、指先が少しずつ上っていく。

今度は問題ない。

…とその時、あかねが身をよじり、両腕で胸元を隠した。
「いや…見ないで。…恥ずかしいです…」
少し、涙声だ。

「なぜだ、神子。お前は美しい。恥じる必要はない」
泰明は本格的に涙声だ。
難しすぎる。分からない。
今度こそ本当の「いや」だったら、どうすればいいのだろう。

あかねは泰明を見た。
あかねを一心に見つめている眼は、真剣そのものだ。

胸を隠していた片方の腕を伸べ、あかねは泰明の頬に触れる。
「泰明さん…」
そして顔を近づけ、耳元に小さくささやいた。

「ごめんなさい…もう、いやって言いません」

「本当か、神子」
「はい」
「だが、本当にいやな時はそのように言ってほしい」
「大丈夫ですよ。泰明さんは、私のいやがることなんかしません。
そうでしょう、泰明さん」
「当然だ。だが、神子が恥ずかしいなら、灯りは消す」

部屋に満ちていた淡い光が暗くなった。
人の眼には、相手の輪郭がかろうじて見分けられるくらいだろう。

「ありがとう、泰明さん」
そのほっとした声に、あかねが本当に恥ずかしがっていたことが分かり、
泰明も安堵する。

「問題…ない」
泰明はあかねの腕をそっと開くと、隠されていた丘の高みに口づけた。

これほどの光があれば、泰明には十分だ。
だがこれまでの経緯から、それは黙っておく方がよい、と学んだ。

難関は、二人で乗り越えるもの。
その先には、至福がある。

愛し合う二人だけの、至福の時が。






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「花の還る場所」アンケートのお礼として書いたものですが、
諸事情によりすぐに取り下げ、
その後は拍手お礼として時折アップしたり…と、
中途半端な扱いになっていました。
またすぐに消すようなことになりませんように…。

どんな時にも、泰明さんは真剣で可愛い!
あかねちゃんといつまでも幸せに!
書きたかったのは、以上2点です。

晴明様も少々可愛く書いてみました♪

2010.08.06 筆  2011.09.05 再掲