秘めた言葉


分け入っても分け入っても、山はどこまでも暗く、深い。

「神子殿ーーーっ!!」
喉も裂けよと呼ばわる声さえ、鬱蒼と生い茂る木々の間に飲み込まれていく。

それでも、呼び続ける。
心の奥底の想いと共に、血を吐くが如く…。

神子殿……、
何としても、お助け致します。
この身に宿った宝珠が、神子と八葉との絆の証ならば、
龍神よ、どうか私を神子殿の元へ…。

倒木を飛び越え、急峻な道を駆け上がる。
自責と焦燥の念が、心を灼く。
もしも…という、恐ろしい思いに、心が凍る。

なぜ私は、神子殿のお部屋の外に控えていなかったのか。
なれば、神子殿はお一人で出掛けることなどなかったはず。

青龍を解放する日も近い。
鬼が、何か仕掛けてきても不思議はない頃だ。
武士たる私が、もっと警戒すべきだった。

私は…再び…己の愚かさのために、大切な人を…。

…っ!!
不吉な思いを振り払う。

何を考えている!
落ち着け!心を乱すな!
これでは…、判断を誤る。

自分に言い聞かせるため、ゆっくりと声に出して考える。

「女性の足ならば、これ以上山深く分け入ることはできないはず。
闇雲に駆け続けていては、手がかりを見失ってしまう」

……しかし、鬼に力ずくで連れ去られたのなら……

ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。

いや、憶測を重ねても、益はない。
まずは一つずつ、確かめていこう。
神子殿がいつも言っているように、今できることを…しなければ。

逸る心を抑え、足を止めて眼を閉じ、耳を澄ませる。
荒い息を潜めれば、幽かに遠く瀧の音。
ざわめく森の葉擦れの音、鳥の羽ばたきに混じり…

あれは、人の声…か?

思うより先に、全力で走り出す。

神子殿の声を、聞き誤ることはない。
しかし、もう一人、いる。
鬼の娘だ。

木の間隠れに、人影が動いている。
遠目でも、見分けはつく。
神子殿は無事だ。
しかし、安堵できない。
鬼の娘から放たれる、地を這うような押さえ込まれた殺気。

己の足の運びがもどかしい。
鼓動が痛いほど耳を打つ。
目の前に赤い帳が下りる。
見えるのは、神子殿と鬼の娘のみ。

何事もないかのように、二人は言葉を交わしている。
間に合うか?!

その時、娘の殺気が、ひんやりと冷気を帯びた。

振り上げた手に、短刀が光る。
悲鳴。

「神子殿っ!!!」

娘の気が一瞬、逸れた。
間合いを詰めるには、その一瞬で、十分だった。

左手で刀の鞘をつかんで向きを変えると同時に、抜刀。
斬撃。
刃が弧を描く。

鬼の娘は、ひらりと飛んで身をかわした。

仕留め損なったのは、ほんの僅か、踏み込みを躊躇ったからか。

鬼への同情ではなく、
神子殿に無惨な光景を見せたくないという…躊躇い。

鬼の娘は、そのまま姿を消した。


高く上がった月が、梢の上から青い光を注いでいる。
風が止み、木々のざわめきもなく、山は静寂に支配されていた。

その時、自分が震えていることに、気づいた。
敵の刃に囲まれた時も、これほどに恐ろしくはなかった。

そうだ…私は、恐かったのだ。
神子殿が、いなくなっていまうことが。
私の手の届かないところへと…遠く去っていってしまうことが。

気づいた時には、思わず、口にしていた。
言わずに、いられなかった……。

「あなたを…失うかと思いました」



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月が、傾いて参りました。
神子殿、あなたはもう、お寝みになられたのでしょうか。

どうか、安らかに夢路をお行き下さい。
あなたの美しい夢をお守りすることは、私にはこの上もない喜びなのです。

自らの想いに、私はずっと顔をそむけてきました。
この強く激しい想いに、気づかぬふりをしてきたのです。
けれどあなたは、私に本当の気持ちを気づかせて下さいました。
私に欠けていたのは、己の心と向き合う勇気だったのでしょう。

あなたにお誓いした通り、この気持ちは、胸の奥にしまっておきます。
あなたをこの腕に抱きしめた、あの夢のようなひとときの思い出と共に。

私に残された、僅かな日々。
あなたと共にいることを許されるのは、
鬼との決着がつくまでの、あと数日のみとなりました。

あなたは帰っていく。
私の知らない世界。
あなたがいるべき世界へ。
それこそが、神子殿…あなたが心から願っていること。

あなたが笑顔でお帰りになれるよう、
命に代えても最後まで、きっとあなたをお守りいたします。

この頼久にできることは……ただ…それだけです。


ですから…神子殿…どうか、気づかないで下さい。

「お守りいたします」という、私の言葉に秘めた…想いに。

       ずっと、おそばにいたい…
       私だけのあなたでいてほしい…

神子殿……どうか……気づかないで……。










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あとがき

20000打お礼です。
ご来訪下さった神子様方、本当にありがとうございました!!

「遙か」シリーズの原点、「八葉抄」から、
頼久、急展開恋愛第2段階、大文字山のイベントをベースに書きました。
お読みいただいたとおり、イベントの事前事後です。

先日の京都旅行で、大文字山(瀧宮神社)を訪れた時に
もやもや〜〜〜っと浮かんだ妄想を元にした話ですが、
楽しんで頂けましたなら、嬉しいです。

最後に一言……
心配しなくても、神子殿はきっと気づきませんよ、頼久さん(笑)。


2007.8.3 筆