龍の夢


第1章 彼方より来たりて


1 暁の雪原




東の空がほのかに白くなった。
夜明け前の天には、まだ星々がまたたいている。

大地はまだ眠りの中。
しかし、張りつめた冷たい大気を貫き雪を蹴立て、 原野に馬を駆る者達がいる。

先頭を行く黒い馬に乗るのは、長い髪を無造作に束ね、 背に大太刀を佩いた若者。
彫りの深い顔立ち、真一文字に引き結んだ口元、
雪原の彼方に黒々と聳える崖を凝視する眼には、強い光がある。

その若者に、すぐ後ろの男が
伽卦流(カケル)!」
と、野太い声で呼びかけた。
「この辺りからは、用心した方がいい」

伽卦流と呼ばれた若者は、手綱を引き、馬の速度を緩めた。
その横に、男の馬が並ぶ。

「ここからは川沿いの一本道だ。
待ち伏せしようったって、隠れる場所は無いぜ」
伽卦流の言葉に、男は唸るように答える。
「いや、待ち伏せとは限らねえ。とにかく油断しないことだ。
奴等の卑怯なやり口は、骨身に沁みてるからな」

男は、最後の言葉を吐き捨てるように言った。
後ろに続く男達も、一様に頷く。

「ああ、分かった。忠告ありがとな、狗麻。
やつらと何度か戦っただけの俺でも、察しはつくぜ」
伽卦流はそう言うと馬を止め、ひらりと雪上に飛び降りた。

(おさ)、どうしました?」
後ろの若い男が訝しそうに言った。

「よせよ、よそ者にその呼び方は。俺はただの流れ者だ」
「往生際の悪い奴め」
狗麻の野太い声には、親しみの情がある。
伽卦流はやれやれといった仕草をしたが、すぐに厳しい表情になる。

と、目にも止まらぬ速さで、その背の大太刀が一閃した。

ビンッ!と音がして、雪を割って綱が空中に躍り上がり、ぱさりと落ちる。

「馬の足を狙ったか」
「ああ、あの木とこっちの切り株を綱で結んであった。
株の切り口が新しいんで気づいたが、よく見ると、他にもありそうだぜ」
伽卦流は道の先を指さした。

「巫女様を攫っておいて、さらにはこんな仕掛けか」
「どこまで汚い奴だ」
男達は次々と馬を下り、目を凝らしては、綱を切っていく。

狗麻は懐に手を入れた。
「奴が、お前と一対一で勝負をつけようなんて殊勝なこと、
考えるはずがねえんだぞ」
懐から取り出した、一束の黒髪を睨むように見据えて言う。
その黒髪は、美しい紋様を編み出した紐で括られている。

「そんなことは、承知の上だ。
だがあんたの姉さんを助けるためには、奴等の根城に行かなきゃならねえんだろ。
奴が俺を名指ししてきたのは、ちょうどいいってもんじゃないのか。
それより…」
そう言うと、伽卦流は狗麻に向き直った。

「何度も言うようだが、あんたは村に帰った方がいい。
今からでも遅くはないはずだ。俺の代わりに、和議の話を進めてくれ」

「分かってねえな」
狗麻はぎろりと伽卦流を睨んだ。

「巫女がいなくなり、お前まで悪土王に殺されれば、俺達のクニはお終いだ。
遠い都と和議を結んだところで、何になる」

「分かってないのはどっちだ。
本当の族長はあんただろう。ここで俺と一緒に危ない目にあうことはない」
「俺達に、後はねえんだ。都人は関係ない。
この地の者同士、ここで決着をつけるしかないってことだ」

二人の男がにらみ合ったその時、断末魔の悲鳴が上がった。

「どうした!」

前方に進んでいた男達の一人が、転がるようにして駆け戻ってくる。
「や、やられました。吹きだまりの底に、逆茂木が…」

狗麻の顔が、怒りと焦燥で赤黒くなった。
「くそっ!これじゃ間に合わねえ」
「我らが遅れたら、巫女様が…」

だが、
「早く着ける道が、あるじゃねえか」
言うなり、伽卦流は凍った川辺に滑り降りた。

皆は一瞬、あっけにとられる。
しかし、すぐに狗麻が怒鳴った。
「無茶をするな!雪の上からじゃ、岸と川の区別もつかねえんだぞ」
「氷が割れたら…長が」
「どうか止めて下さい!」

口々に止める声に構わず、伽卦流はひゅっと短く口笛を吹いた。
黒馬が、慣れた様子で斜面を下りる。

「心配すんなって。無駄にあちこち流離ってたわけじゃない。
じゃ、後でな」


伽卦流が皆から別れてほどなく、夜が明けた。
紫にたなびく雲を、昇る朝陽が彩っていく。

馬上で振り返り、空を仰いで伽卦流は呟いた。

「こんな時だってのに、きれいな空だぜ…」



同じ時、同じ空を、見ている者がいる。

伽卦流が目指す悪土王の根城、その崖に穿たれた洞穴は、
攫ってきた者達を閉じこめる牢になっている。
形ばかりの焚き火が燃えてはいるが、外も同然の凍てつく寒さ。

ごつごつした壁に、かじかんだ手をかけてよじ登れば、
岩の狭い裂け目から、刻々と色を変え行く黎明の空が見える。

「きれいだね……こんな空、初めて見たよ、白龍…」




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2008.1.24




第1章 彼方より来たりて

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