キャラ語り・安倍泰明

幸福と「雪逢瀬」とその後の物語



最初に、お断りです。
「泰明さん」が自分の中でのデフォルト設定なのですが、 文中は敬称略でいきます。
そして、以下の駄文は、泰明の魅力について語っているものでは ないので、その辺は期待しないで下さい(強調)。
このページを開くくらいですから、これを読んでいる 9割以上の方が泰明ファンと思われます。 そういう方に、あらためて泰明のどこがステキか…なんて、ねえ(苦笑)。
つまり、泰明ステキ大好きは大前提! さらに、管理人が泰明をどれほど好きなのかは、 小説部屋の物語を読んで頂ければ、恥ずかしいほどのデレデレっぷりが 分かろうというもの。

では何を語るのかというと、泰明の物語を書きながら 心に去来した、よしなしごと。
一言で言ってしまえば、泰明って初めから幸せだったんだ… という発見(大げさ)です。

こう思ったのは、「雪逢瀬」を七転八倒 しながら書いている最中でした。
(あ、一言お断りを。以下、「雪逢瀬」のネタバレに類することが出てきます。)

それまでは、私にとっての泰明のイメージは、とても幸薄いものでした。 だって、造化の身と神子への想いの狭間で、 あれだけ惑い迷い悩み、五行の力が失われるほどに苦しんだのですから。 そんな泰明が幸福であるとは、考えられませんでした。
さらには生みの親(?)の晴明だって、幸せになれ、とか言ってますし、 北山の大天狗は、あかねちゃんのことを、泰明に福をもたらす存在かも…と みました。
これらは全ては、泰明が幸福ではないからこそのものでしょう。 ですから、あかねちゃんとのエンディングで幸福になり、 めでたしめでたし、よかったね…と、コントローラー握りしめて、 こちらも幸福感に浸ったのでした。

でも……

幸を祈ってくれる人(と天狗)がいるって、 それだけで幸せではないの?

これに対し、そんなことはない!造られた存在であるだけで、 幸せとはいえないのでは…という見方も当然あるはず。
けれど、神子と出会う前の泰明は、 自分をモノと自覚し、役割を果たすために自分は在ると考えていました。 そこに疑問を感じることはなく、 自分の出自が幸不幸どちらであるか、ということは 考慮の外。自分の生死すらも。

これって、子供の思考そのものではないでしょうか。
あるがままの自分しか知らず、 自分に向けられたあたたかな思いを真に理解することもなく、日々を送るって…。
泰明の「生を受けて二年」(二歳児とも言う・笑)という設定、みごと過ぎます!

そして、ゲームの物語が進むに連れて、泰明は変わっていきます。
その辺りの思い乱れっぷりは、皆様ご承知の通り。
(そこにズキュ〜〜〜ンとなって、世間的には道を誤り、 本人的には幸せにやってるんだから放っておいてちょうだい、な自分がここに…ははは)

これは、何と申しますか、いわば青春です!
自分という存在の在り方を問い直し、 自分なりの「幸福」を定義し、 己の力ではどうしようもないことがあることも知り、 思い悩んで壁にブチ当たる(笑)。
身に覚えがあるといいますか、いつか通ってきた道というか。 恋愛という、甘く苦しく厳しい経験を通して 「大人」への道を進むのも、また然り。

で、得た結論が、「遙か」1は、泰明の成長物語(笑)だったのか…ということでした。


ではなぜ、「雪逢瀬」を書きながら、このような ことを考えたのか、といえば、 晴咒という敵キャラが私の中に降臨(これも大げさ…苦笑)してきたからです。

少年マンガ風に言うなら、 敵は強いだけではなく、主人公を引き立てる役割を担うもの。
泰明を反転させた存在である晴咒は、その役割をきちんと果たしてくれました。

晴咒は倒すべき敵であると同時に、泰明同様、人によって造られた存在。 けれど彼が造られた目的は、呪うこと、壊すことでした(ああ、やっぱりハカイダーだ…)。 いわば人間の持つ負の側面だけを教えられ、それを果たせと命じられ、 目的が果たせなければ、自らを破壊しなければならない。

造化の者同士として、泰明が自らを重ね合わせて、 晴咒という存在に心の痛みを覚えたとしても、不思議はありません。
そして恐らく、自分自身の出自をも、晴咒のそれと引き比べて考えたはず。

晴咒の語る一言一言が、かつての自分とそっくりであることに、 泰明が気づかぬはずはありません。 それでいながら、寄って立つ場所はあまりにも異なります。
けれどそれを、敵であるから当然と、簡単に片付けることはできないのです。 なぜなら、泰明も、晴咒と同じであったかもしれないからです。 晴明ではなく、晴源に造られていたなら、自分も晴咒と同じく、 何の疑いも躊躇いもなく、同じことをしていただろう、と。
ならば、逆の立場であったなら、晴咒も明るい光と共に在れたのではないか、と。


……などということを考えながら物語を書いていたら、 泰明は生まれた時から、幸せ度が高めだったのだな…と 思うようになってしまったのでした。
でもそれを本文の中で書いたらミもフタもないので、 こうして改めて書き綴ることに。 解説めいたことも語ってしまって、かなり恥ずかしいのですが(赤面)。


ともあれ、泰明についてのまとまった考察を、やっとこうして、 (少しだけですが)書けるようになったことは、本当にうれしいです。 泰明大好き好き好き!であるにもかかわらず、考察どころか、短い話ひとつ、 ずっと書けないままでしたので。
理由は単純です。好き過ぎるから(笑)。
すでにこのサイトのあちこちに書いてきたことですけれど、 私がここまで「遙か」にはまったのは、泰明のせい。 あの「声」も含め、管理人の最も弱い部分をピンポイントで 射抜いてくれました。泰明というキャラがいなかったなら、 サイトを立ち上げることも、ましてや小説を書いていることもなかったというのに、 変な思考回路です。かなり壊れていることは確か(苦笑)。

二次小説を書くのは私にとって、そのキャラの本質(これも大げさ…滝汗)を 繰り返し問い直すことでもあります。 初めて書いたエンド後のシリアスな物語「雪逢瀬」ですが、 泰明は、「エンド後」ということで、どう変わったのか。変わらなかったのか。 こればかりは、言葉であれこれ説明できるものではなく、 物語の中で、自分に出来る限り描いたつもりです。
神子と出会う前の泰明、あるいはエンド前の泰明だったら、もしかすると 前述したようなことは考えなかったかもしれません。 人かモノかと問われて、真っ直ぐに「人間」と答えることもなかったはず。

幸いこの「雪逢瀬」では、こういうのは泰明らしくない… というような批判は頂いていませんが、 「遙か」的世界観とキャラらしさを損なわずに、どこまで必然的な 変化(あるいは、人間的成長)が許されるのか、 そのボーダーラインを探りながら、この先も書き続けていければ、と 願っています。同時に、 この雑文が、そのための覚え書き…となることも。


まとまりのつかない長文を、最後までお読み下さり、ありがとうございました!




2008.4.11 筆






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