最後の枯葉が、音もなく枝を離れた。
暮れゆく空はかすかな茜色を残し、夕星が雲間にぽつんと光る。
冷たい風の中で、あかねは空を見上げていた。
耳を澄ませ、愛しい人の足音を待ちながら。
「今帰った、神子」
そっけないほどに短く、
切ないほどに心を揺さぶる声がして、
振り向けば、
泰明が静かに微笑んでいる。
「おかえりなさい、泰明さん」
小さな家の、ささやかな庭に立つ桜の木の下、
いつの間にか約束のように繰り返されるようになった、夕べの出迎え。
あたたかな幸福を確かめるひととき。
「神子、髪が伸びたな」
あかねの髪をなぞる泰明の手が、背中まで下りた。
「もう、半年以上経ったから…」
「神子の降り来たった、あの桜花の季節…忘れることはない」
「あっという間だった気がするけど、もう冬なんですね。
風が、とても冷たい」
泰明は、あかねの身体に腕を回し、堅く抱きしめた。
「こうすれば、寒くないか……?」
「泰明さん…」
「間もなく雪も降る。外で私を待つことはない」
「ええっ、そんなのいやです。私、大丈夫ですよ。
風邪なんかひきませんから」
泰明は、あかねの瞳を見つめて言った。
「夕暮れの庭に立つお前は…まるで…」
「泰明さん?」
「…宵闇に消えてしまいそうだった…」
あかねの髪に顔を埋める。
「笑ってよい、神子。私はまるで、童のようだ。
お前と結ばれ、こうして共にいるというのに、なぜか苦しい」
「泰明さん」
「お前が来る前……私はどのように……
冷たい冬の時を過ごしていたのだろう」
その夜のこと……
冴え冴えとした月が高く上った頃、はっとして泰明は身を起こした。
「お師匠…」
「泰明さん、どうしたんですか?」
隣で眠っていたあかねが、驚いて目を覚ます。
「内裏に行く。神子は寝んでいろ」
「お師匠…って、あの…どうして内裏に?」
「数日がかりの祈祷の最中なのだ。
宮廷の事ゆえ、お師匠自ら執り行っている」
そう言いながら、泰明は素早く身支度を調えていく。
あかねも何くれとなく手を貸していたが、
突然、くらり…と泰明がよろめいた。
「泰明さん!!」
差し出したあかねの手をつかみ、泰明は踏みとどまった。
「く……」
「大丈夫ですか!」
あかねの細い指が、泰明の腕をきつく掴んでいる。
「問題ない…」
泰明は微笑むと、あかねの手をそっと解いた。
その時、どこからともなく、
カタカタ…カタカタ…
何かを叩くような音がした。
「何の音…?」
あかねが訝しげに周囲を見回す。
その音は、部屋の外から聞こえてくるようだ。
泰明の顔が、厳しくなった。
「式神で火急の報せとは、やはり何かあったか」
「急ぎの報せなのに、外で音を立ててるだけなんて…」
「この部屋には結界を施している。だから、入ってこられないのだ」
「結界?ちっとも気がつきませんでした…。
でも、どうして?」
「人ならぬ式神といえど、神子の姿を見せたくない」
泰明の答えに、あかねはやっと自分の格好に気づいた。
「きゃっ!」
例えて言うなら、寝間着のまま。
慌てて、側にあった着物を端から手繰り寄せる。
その間に泰明は部屋を出て、後ろ手に扉を閉じてしまった。
「泰明さん!」
しかし、扉はびくとも動かない。
外から泰明が押さえているのだ。
「もうっ!」
あかねが扉に向かってしかめ面をした時、はらりと戸が開いた。
言おうと思っていた言葉を、あかねは飲み込む。
そこにいるのは、安倍晴明最強の弟子であり、
有能怜悧な陰陽師としての泰明だった。
「神子、行ってくる」
必要なことのみの、短い言葉。
「いってらっしゃい、泰明さん」
あかねは、笑顔を作った。
一瞬、泰明の眼にあたたかな色が浮かぶ。
突然の出立。
あかねは冷気の中、門の前に立ち、泰明の姿が夜陰に吸い込まれるまで見送った。
夜が明け、日が昇り、夕暮れが来て、次の日が訪れた。
しかし、二日が経ち、三日が経ち、七日が過ぎても、
泰明は戻らなかった。
雪逢瀬
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