受難の日・2

(リズ×望美・「迷宮」ED後)



私が最強の存在であること。
それは動かし難い事実。

私の美しい伴侶が、いつも少し離れた所に下がっているのも、
この私に畏敬の念を示してのこと。

遠い故郷の森に比すべくもない、狭小なオリに閉じこめられた今でも、
私は、最強のオスたる矜恃と風格とを忘れ去ってはいないのだ。

つややかな毛並みと、歩を進める毎に波打つ筋肉、
なめらかな動き、鋭い牙、爛々と輝く眸。
私を目にした人間達は、一様に感嘆の声を上げ、
そして心の底で恐れる。
それは血の中にある、根源的な恐怖。
狩るものと狩られるものの間に立ちはだかる、越えられぬ壁だ。

一声、私が咆哮すれば、人間達はびくりと飛び上がり、慌てて後ろに下がり、
私と自分たちとを隔てる、固く冷たい格子に感謝するのだ。


だがある日、私の前に、その男はやって来た。

遠くからでも、私には分かった。
その男が、途方もなく強いこと。
そして、真っ直ぐにここを…私を目指してやって来るこを。

声が、次第に近づいてくる。
私は耳をそばだてた。

「先生、リスはやっぱり可愛かったですね♪」
「神子は小さな生き物が好きなのだな」
「先生に走り寄って来てましたね。 オリに飛びついて大騒ぎで」
「私に上りたかったようだ」
「先生って、動物になつかれるんですね」
「いや、私を木と勘違いしているだけだろう」

オリの前に、他の人間はいない。
男は、静かに私の前に立った。
私を見据え、観察している。
私の力量を推し量ろうとしているのだろう。

連れの女と交わす声は、低く静かだが、力強い。
「先生、これが虎です」
「これが黄色い白虎か」
「虎はこの色が普通だと」
「理解した。白虎は神獣ゆえ、特別なのだな」

その男は微動だにせず、私を凝視している。
――ここで退いてはならない!!
私の中の野生が叫ぶ。

オスとオス、一対一の対峙。
視線がぶつかり合い、火花を散らしながら互いを威嚇する。
私が低い唸り声を上げようとした瞬間、
その男の気がぐわっと膨れ上がり、私を撃った。

私は、その威圧感に耐えきれず、唸り声を止めた。

これは…、この感覚は生まれて初めてのものだ。
足が震える。
動けない。
目の前にあるはずの格子すら見えない。

その男の両の眼だけで、私は圧倒された。
これが…恐怖というものなのか。

私は全身を襲う痺れるような感覚の中で、朧な意識をかき集め、思った。

この男には……勝てない。
何もできぬまま…倒されるのか。

全身が総毛立つ。

こうなったらもう、残された手段は、一つしかない!
決断に時間は必要なかった。
私は本能の命ずるまま、行動した。

ごろにゃ〜ん♪

眼をきゅっと細めて、腹を上にして寝そべる。

「きゃ〜、虎さん、可愛い〜〜」
「この仕草は、大きな猫のようだな」

猫か? あんまりだ、猫なんて…。
私は大いに傷ついた。

しかし、男はそのままオリの前を離れた。
危機は去った。
私はオリの平和を守り抜いたのだ。

後ろで見ていた美しい伴侶を、私は振り返る。
優しい彼女は、傷心の私を慰めてくれるはず。

しかし近づいた私に、虎パンチが飛んできた。

「な、何をする?!」
「あぁぁ? 何をするだとぉ? 偉そうな顔すんじゃないよっ!」
優しい彼女は、豹変虎変した。
「ったく、ダラしないったらありゃしない。
遠い故郷の森だってぇ?
動物園で生まれたくせに、イキがってるんじゃないよ。
今日からは、アタシがこのシマを仕切るからね」
「おい、誰に向かってものを…」
「おいじゃない! 私のことは姐さんとお呼びっ!」
「はい…姐さん…」

姐さんは、鼻先でふんっと音を立ててそっぽを向いた。

男と連れが、話しながら遠ざかっていく。

「先生は、猛獣にもなつかれるんですね」
「いや、私を木と勘違いしているだけだろう。
私によじ上ろうとして、オリに激突するといけないので、
そうではない、と眼で語りかけたのだが、
さらに勘違いして、マタタビと思いこんだようだ」



テレビのニュースを見ていた将臣が言った。
「譲、今日は望美リズ先生、 下野動物園に行ったんだよな」
「ああ、ホワイトデーだから…とか言ってたっけ
望美スペシャル 食らったのに、もう出かけられるなんて、リズ先生、回復早かったな
年のわりにタフだよな…。で、動物園がどうしたんだ、兄さん」
「そこで、珍しいことが起きたらしいぜ」
先輩に何かあったのか?!」
「いや、人間じゃなくて、猛獣たちに異変が起きた」
「異変?」
「ああ、ボスが一斉に交代したそうだ」
「ボスが?」
「面目丸つぶれになって、ボスの座から転落したらしい」
「動物にも面目ってあるのか」
「ボスが腹出してゴロニャンしたら、もうダメだろ」
「俺をかつごうとしたって無駄だよ、兄さん」
「嘘だと思うなら、テレビ見てみろ」
「?…熊が…威嚇しようと手を振り上げて、
そのままどうしていいか分からずに、踊った?」
「猫科の猛獣は、虎からライオンから、チーターまで、全部ゴロニャンだ」
「バイソンは腰を抜かした……って…兄さん、まさか…」
「そ…そんなこと、あるわけねえだろ」
「そ…そうだよな」
「でも、リズ先生なら、猛獣を睨み倒すくらい…」
「できるかもしれないな…」

「ごめんくださ〜い!!」
「あ…」
先輩…

「よかった、二人ともいたんだ。はい、これ動物園のおみやげ」
「悪ぃな、気ぃ使わせちまって」
「ありがとうございます、先輩
「そういえば動物園でね、面白いことがあったんだよ」
ぎく…
ドキ…
「ちょうど私たちが見てる時にね、
虎や豹やライオンがゴロニャン…ってしたの。
可愛かったな〜〜〜♪♪♪」
それだけ言うと、望美はにこにこしながら帰っていった。

「ボスが、ちっとばかし、かわいそうだな…」
「いい気になってると、いつか追い落とされるのさ…」







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ホワイトデーSSでした。

リズ先生と望美ちゃんが、ホワイトデーに動物園でデートです。
「追儺の日」で、望美ちゃんが「一緒に行きましょう」と言ったことを
先生はちゃんと覚えていたのですね。

で、「受難の日」を過ごしたのは、虎さんでした(汗)。

ヒノエくんお誕生祝いの「零零七番の不運」以来の変化球。
管理人はこういう話が好みなのですが、
ネオロマ的には「これではあんまりよ〜〜」と思われるかも…(大汗)。
そのような神子様のために、
短いですが、正攻法な1シーンを書きました。
お口直しの必要な神子様は、 もう一つのホワイトデーSS「波音に包まれて」をどうぞ。


2009.3.9 筆