名前のにゃい邂逅

(リズ×望美・「迷宮」ED後)



私は猫だ。
以前にも登場したことがある。
覚えているだろうか。

相変わらず、名前はまだ、無い。

ん?
題名で、私はまたも「にゃい」と言っているのか。

そうか………
くだらぬ指摘だと思うが、それについてはもう何も言うまい。


おおつごもりも近い、冬にしては暖かな午後。
縁側から射し込んだ陽が、部屋の中まで明るく照らし、
私はリズ先生の凝視を撥ねのけながら、
「みこ」の膝の上で丸くなっている。

今日はなぜか、思い出ばかりが蘇ってくる日だ。
ささやかな回想を少し、話してもいいだろうか。


私にはかすかに前世の記憶がある。
その時の私は猫ではなく、
強い力を持った主に使役されていたようだ。
遠い記憶の彼方に薄れてはいるが、
昔の主を思うと、それだけで今も震えてしまうほどだ。

そして……
現世での私の記憶は、ある寒い朝から始まった。
生まれたばかりの子猫であった私は、
道端で寒さとひもじさに震えながら鳴いていたのだ。

そこで出会ったのが、今の主――リズ先生だ。

その時から私は、猫としての生活を楽しんできた。
起きたい時に起き、心地よい居場所を見つければ、そこで丸くなる。
リズ先生の家を訪れてくる「みこ」にも可愛がってもらえる。

そういえば、「みこ」との初めての出会いには
今でも小さな後悔がつきまとっている。

その時の私はリズ先生に拾われたばかり。
まだ子猫としての本能と「私」の意識とが混濁していて、
とんだ失態をしでかしたのだ。
「みこ」が首に巻いてきたものから、獲物の匂いがしたものだから、
つい爪を立てて飛びかかり、ずたずたにしてしまった。

けれど「みこ」もリズ先生も私を咎めることはしなかった。

私はずっと、幸せだった。
猫に宿りながらも、幸せであると自覚できたこと…
「みこ」と会えたこと、リズ先生を主としたこと…
その全てに、私は感謝している。


本当に今日は、暖かな日だ。
長く射し込んだ陽が、私の背に日だまりを作っている。

私は「みこ」の膝の上で丸くなりながら、
頭上を行き交う二人の会話に、聞くとも無しに耳を傾ける。
二人の交わす言葉は、春の風のように喜びに満ち、
私をぬくもりに包んでくれる。

私はいつの間にか、うとうとと眠っていたようだ。
陽が陰り、かすかな寒さに目を開ける。

ふと気がつくと、二人の声が理解のできぬ音と化していた。
庭に下りてきた雀のさえずりと、区別が付かない。

そのことに愕然とするよりもむしろ、
私の心は、雀の声に惹き付けられる。

思わず外に飛び出しそうになって、私ははっと我に返った。

「どうしたの? 雀を追いかけたいの?」
私の頭を撫でながら「みこ」が話しかけてくれた。
「み…みい」
私は「みこ」の手に顔をすりすりすると、再び丸くなる。

「眠いの? いいよ、眠っても」
毛並みに沿って動く「みこ」の手が心地よい。

その時私の頭に、リズ先生の大きな手が触れた。

「行くのか…?」

リズ先生がその言葉を言ったのか、
それとも私の心がそれを聞いたのかは、分からない。

「みぃ…」
私は小さく鳴いて答えた。

前世の記憶を宿した猫から、普通の猫へ…。
私が消えても、この猫の身体はリズ先生と「みこ」の元で、
幸せに暮らしていくことだろう。

いつかこのような日が来るとは思っていた。
それが、今日のように静かな日で良かったと思う。
雲間から再び現れた穏やかな陽が、白くまぶしい。







寒い…ひもじい……

気がつけば、私は震えながらにゃぁにゃぁと鳴いていた。

その時、
「わあ、可愛い子猫!」
懐かしい声がした。
この声……どこで聞いたのだろうか。
あたたかな気持ちがこみ上げてくる。

「みぃ」
私はまだよく見えない目を上げ、その声の主に返事をした。

よい匂いが近づいてきて、優しい手が私を持ち上げた。
「小っちゃい……まだ生まれたばかりなんだね」

「みみ、みぃ?」

「みこ」か…?
記憶が、少しずつ蘇ってきた。
私はまた、子猫へと生まれ変わったのか。
そしてまた、「みこ」と会うことができたのか。

頭を撫でられて、私はうっとりと目を閉じた……刹那

フギャッ!!

突然、ある気配を感じて私は全身の毛を逆立てた。
しかし、身動きができない。
逃げることなど、以ての外だ。
ただ、じっとしてその気配が近づいてくるのを待つだけ。
私は震えながら、「みこ」の腕の間にもぐりこんだ。

「みこ」の隣で、ぶっきらぼうな声がした。
「捨て猫か」

私は縮み上がった。
間違いない。この気、そしてこの声の主は……!

しかし「みこ」は、怖れる様子もない。
怖れる必要がないのだ。
ぶるぶる震えながらでも、「みこ」がにっこりしたのが分かった。

「はい、この段ボール箱に『かわいがって下さい』って書いてあります」
「己の責任をわきまえず勝手に捨てておいて
他人には平気でそのような頼み事をするのか」

「この猫ちゃん、お家に連れて帰ってもいいですか?
このままじゃ、寒さに凍えてしまいます。
私、ちゃんと世話をしますから」
「神子が手を煩わすことはない。
神子に面倒を掛けぬよう、私がしっかり、しつけをする」

「じゃあ、連れて行ってもいいんですね!」
「問題ない」
「ありがとう、泰明さん!」

おそるおそる顔を上げた私を、仏頂面がにらんでいる。

ふぎいぃぃっっ!!

時空を越えた邂逅とは、こういうことを言うのかもしれない。

私の魂の彷徨は、これで終わるのだろうか。
そして私にも、いつか名のつくことがあるのだろうか。







[小説・リズヴァーンへ] [小説トップ]


泰明さんの式神が転生した、名前のにゃい猫さんの話でした。

切なめな前半から、あんまりな後半へ。
巡り巡って元の主と再会できてよかった…よね……猫さん。

なお、文中で語られている望美ちゃんとの初対面時の失態とは、 「除夜」 に出てくるエピソードです。



2009.12.26 筆