左近衛府少将の多忙な一日・後編

友雅×あかね 「舞一夜」ゲーム本編中



――女は怖ろしい。だが……愚かだ。
自惚れるほどの才もない。
水を向けられると、疑うこともなく話に乗ってくるとは。

右兵衛府伴権佐が薄ら笑いを浮かべたその時、
「機嫌がよさそうじゃないか」
いきなり背後から声がかけられた。

びくんと震えて振り返ると、柱の陰から女が姿を現した。
ぞっとするほど美しいその女は……鬼だ。

権佐は慌てて周囲を見回すと口早に言った。
「このような所に出てきては人目につく。早くどこかに隠れろ…」

しかし、鬼の女は嘲るように口元をゆがめただけで、
男のうろたえた様子など気にも留めない。
「女と話はついたのかい?」
「鬼、もっと小さな声で話せ」
権佐は声を潜めて、先ほどの女とのやりとりを話した。

「豊楽院に? ははっ、いいことを考えつくじゃないか」
鬼は、女の邪な企みが気に入ったらしい。

「姫を内裏からおびき出すまでは、こちらでやる。後は…」
「あたしがやるさ。楽しみだよ。どんな怨霊を置いてやろうかねえ」

荒れ果てた豊楽院の広さと暗さ、
そこにゆらりと立ち現れる怨霊を、権佐は思った。
娘一人には、過ぎたもてなしだ――。
権佐は猜疑心に満ちた目を鬼に向ける。
「私にそこまで助力する理由は何だ、鬼」

鬼はフン…と鼻で笑った。
「あんたを見込んで力を貸してやっただけさ。
でも、あたしの手助けは要らなかったね。
女はもう手に入れたも同然じゃないか。
よからぬ企みに加担したあんたとは、嫌でも一蓮托生だからねえ」

権佐はざらざらと笑う。
「嫉妬に囚われた女は御しやすい。
懸想した相手が悪かったと、早く気づけばよいものを」

鍵の手に曲がった回廊の先から、人の声が聞こえてきた。
権佐はびくりとして、鬼から離れる。
「私はこれから姫をおびき出す手立てをしなければならない。
早く行け、鬼。だが私との約束は忘れるな」

「フン、右兵衛府には、とびっきりの怨霊を送り込んでやるさ。
あんたもしくじるんじゃないよ」
鬼の顔に、あからさまな嘲笑が浮かんだと見る間に、
その姿は権佐の前から消えた。


――馬鹿な男だね。
鬼の力を貸してやろうと言われて、すぐに話に乗ってきたのは誰だい。
自分の腕を見込まれた、なんて本気で信じるとは、ほんとにおめでたいよ。
そのくせ、何が欲しいかと思えば、地位と女。
ありきたり過ぎて笑っちまう。
でも、欲に呑まれた人間が堕ちていく様は面白いねえ。
人間同士、せいぜい憎み合うがいいさ。
龍神の神子を葬り去るのが人間だなんて、皮肉なもんじゃないか。


――女は怖ろしい。だが、愚かだ。
家柄のよい女、鬼の力を持つ女――どちらも存分に利用するだけだ。
梨壺の姫に恨みはないが、仕方ない。
だが怨霊に喰わせるのは娘一人では足りない。
よい機会だ。もう一人、増やしてやろう。あの目障りな男を――
私と同じく没していく家に生まれながら、運と才と容姿に恵まれ
帝に伺候する立場に上り詰めた、あの浮薄な者を……。

怨霊に引きちぎられてしまえば、
その前に何があったかなど、誰にも分かりはしない。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


傾いた陽が、庇に射し込んでいる。
だが日の長いこの季節、空が茜の色に染まるまでには、まだ少しの間がありそうだ。

梨壺には再び箏の音が流れている。
怨霊の封印を終えて、あかねが戻ってきたのだ。

傍らには友雅がいる。
朝の続きを教えてほしいとあかねに頼まれ、
今のところはおとなしく指導者役を務めている…らしい。

先ほどからあかねが弾いているのは、同じ所ばかり。
だが、繰り返すほどに少しずつ上手になっていく。
箏面に向かって俯いたあかねの横顔は少し上気して、
視線が弦を追うごとに、睫毛が上へ下へと小さく動く。

――おや、口元がほころんだね。
一歩進むたびに、君は小さな喜びを素直に表す。
しかし、時には私の方を見てはくれまいか。

ちょうどその時、あかねが振り向いた。
「友雅さん、これでいいでしょうか」
視線に気づいて顔を上げたのではないようだ。

「ああ、どんどん上達しているよ」
「よかった。じゃあ、もう少し先まで弾けるようにがんばります」

放っておいたら、疲れ果てるまで続けるのだろう。
再び箏に向かおうとするあかねの袖をそっと押さえ、
友雅はからかうように言った。
「朝から怨霊と戦いづめだったというのに、
まだこんなに熱心に稽古をする神子殿には敬服するよ。
若いというのはよいものだね」

あかねはにっこり笑って頭を振る。
「だって私、箏が大好きですから。
友雅さんのおかげで箏が弾けるようになって、とても楽しいんです」

いつの頃からだろうか。
陽射しのように真っ直ぐな言の葉に、
あたたかな微笑みがこぼれるようになったのは。

「あ…あの、私、変なこと言いましたか?」
あかねは小首をかしげた。

「いや、君のささやかな幸福が、私はうらやましいのだよ」
「どういうことですか?」
「私には、何かを熱心に稽古して身につけた…という経験がないのでね」
「何でも楽々とできてしまうってことですか!? すごいです!
でも……ごめんなさい。それって、少しつまらない気もします」
「謝ることはないよ。今は、神子殿の上達ぶりを見て
私も楽しんでいるのだから」


その時、女房の一人が控えめな咳払いをして声をかけてきた。
「橘少将様、左近衛府の方がお探しでごさいます。
中将様がお呼びとのこと……」

「やれやれ、もうすぐ夕暮れというのに呼び出されるとはね」
だいたいの用向きは分かっている。昨夜の賊の件だろう。
やはり丸投げはまずかったようだ。

「神子殿、内緒でかくまっ…」
「友雅さん、早く行かないと」


友雅が去った後の部屋に、侍従の香だけが残った。

あかねは、友雅が手をかけた衣の袖にそっと触れると、また箏の前に座る。
だが、箏を爪弾こうとした時、
「……あかね…様」
庭から小さな声が聞こえた。

簀子に降りると、庭に童がいる。
「どうしたの? 何かあったの?」

あかねを見るなり、童は言った。
「だれもいない場所で、足音や話し声がするそうです。
怖くて入れないから、あかね様に急いでお願いするようにって頼まれました。
一緒に来てもらえますか」


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


夕焼け空の下、友雅は左近衛府を後にした。
刻を告げる太鼓が響き渡り、辺りの人影はもうまばらだ。

友雅が呼び出された理由は想像通りのもので、
曲者を捕らえた経緯は自ら報告せよと、
左近衛府中将に苦虫を噛み潰したような顔で言われたのだった。

適当に手柄を分け合っておけばよいと言っておいたのに、
一番の功労者は橘少将であると、生真面目に注進した者がいるらしい。
それが誰であるか、おおよその見当はつく。

真面目も度が過ぎると迷惑なのだが……。
友雅は嘆息し、急に疲れを覚えて足を止めた。
思えば、昨夜の宿直から休んでいない。

――私としたことが、少しがんばりすぎたかな。
神子殿もつれないことだ。
肝心な時に匿ってくれないのだから。

入り日が眼にまぶしい。
今日はおとなしく帰ることにしようか。

と、長く伸びた建春門の影の中から童が現れ、
こちらに向かって駆けてくるのが見えた。
友雅の眉が、ぴくりと動く。

………嫌な予感がする。
童がもたらすのは、凶報だ。

童は息を切らして叫んだ。
「橘少将様…! あかね様が…いなくなりました」


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


ここはどこだろう。
薄暗くて、広い……。

あかねは見知らぬ場所に倒れていた。

薄闇の中に光が僅かに射し込む場所があり、そこが扉だと分かる。

何もない…空っぽの場所だ。
だが、そこかしこで何かの蠢く気配がある。

内裏のどこかかな……。
とにかく、早くここを出よう。

あかねが身を起こした時、ふいに緋色の衣が眼前に現れた。

「お目覚めかい、龍神の神子」
「!!!」

顔を上げ、冷笑を浮かべて自分を見下ろしているシリンと眼があって、
あかねは何が起きたのかを悟った。

童に導かれて人気のない建物の門をくぐった時、
とても強い衝撃を感じて眼の前が真っ暗になったのだった。
そして、気がついてみればここで倒れていた。

「私を連れてきたのはあなたね、シリン。
ここはどこなの? 私をどうしようというの?」
「おやまあ、つくづくおめでたいねえ、龍神の神子。
あたしが正直に答えるとでも思っているのかい」

あかねは立ち上がり、シリンと向き合った。
「私、帰ります」
「生意気な…」
刹那、シリンの眼に危険な光が閃き、あかねは再び床に打ち倒された。

「無様だねえ。このままとどめを刺してやろうか」
「……っ!」
「おや、怖いんだね」
シリンの哄笑が響き渡る。
「じゃあ、もっと怖いことを教えてやるよ。
梨壺の姫をさらって怨霊に喰わせろ…と言ったのは、内裏にいる女さ」

「え……どうして……」
シリンの言葉は、あかねの胸をえぐった。
内裏の穢れを祓おうと、毎日努力している。
誰かに恨まれることをした覚えもない。

呆然としたあかねを見下ろすシリンの顔に、会心の笑みが浮かぶ。
「龍神の神子様は、みんなに感謝されているとでも思っていたのかい?
人間てやつは、憎み合うものなのさ」
「そんなことない! だって、藤壺の中宮様と弘徽殿の…」
「フン、どこまでおめでたいんだろうねえ。
じゃあ、誰のせいで憎まれることになったのか言ってごらん?」

「………」
何も答えられないあかねに、シリンは顔を寄せてゆっくりと言った。
「悪いのは地の白虎さ」
「?????????」

「ああっ、もうこれだから乳臭い小娘はイヤなんだ。
地の白虎に懸想した女が、自分が振り向いてもらえないのは
あんたのせいだと思ったんだよ」
「少し分かりました。ありがとう」
「分かればいいんだ。……じゃなくて、
どうだい、その女が憎いだろう?」

あかねはシリンを見上げたまま、ゆっくりと頭を振った。
「………想いが、届かなかったんですね。
一生懸命想っているのに振り向いてもらえないって…辛いことだと思います」

一瞬、シリンは沈黙した。
「…………龍神の神子、哀れみなんて大きなお世話なんだよ!!」
そう叫ぶなりシリンは姿を消し、扉の前に移動した。

「もうじき夜が来る。怨霊達の宴の時間さ。
浄らかな龍神の神子様は最高の贄になるだろうよ」

軋む扉を閉じてシリンは出て行った。
がらんどうの空間に、閂を差し込む音だけが無情に響き、
薄闇に射していた光も消える。

闇の訪れを待ちわびたかのように、
そこここの蠢く気配が、形となって動き始めた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


振り下ろした剣が空を切った。
「何……?」

闇に慣れた目が追うより早く、反撃が来る。
突き出された剣の柄に鳩尾をしたたかに打たれ、
伴権佐は剣を取り落として横様に倒れた。

「まずは一人…」
橘少将の、ひどく冷静な声。

権佐が痛みに霞む目を開くと、橘少将は落ちた剣を手にしていた。
すぐ後ろに迫った武士を、振り向きながら薙ぎ払う。
入り口の扉を閉じた男だ。
背後からの追撃は予期していたのだろう。

足を打たれてよろけた武士は、二の太刀三の太刀を受け、
そのままなすすべもなく倒された。

「刀身は返したが、かなり痛いのではないかな。
……これで二人。残るは……」

権佐は、最後の一人に一縷の望みをつないだ。
怨霊の出るこの剣呑な場所で待ち伏せするために、
法外な報酬を約して急遽呼び寄せた陰陽師だ。

「きぇぇぇぇっ!」
奇声と共に、闇にほわりと浮かび上がった炎の玉が、橘少将に向かって走る。
だが、橘少将は気にもとめずに陰陽師に近づいていく。

「きぇぇぇぇっ!」
「きぇぇぇぇっ!」
術が効かず、腰の引けた陰陽師の前まで行くと、
「少し静かにしてはくれまいか」
そう言って橘少将は陰陽師の掲げた呪符を取り上げ、部屋の奥に投げ捨てた。

グ…ギギ……
札の当たった所から、怨霊の不気味な呻き声がして、すぐに消える。

「おや、あれは呪符だったのだね」
「そそそ…そうだ! おお陰陽師の呪符の威力…その目でしかと見たか!」
「陰陽師? それは失礼。言ってもらわなければ気づかなかったよ」

「き…斬るな……わ…私は何もしていない!」
悲鳴を上げて逃げ出そうとした陰陽師は衣を捕らえられ、
後ろ首に手刀を叩き込まれてくたくたと倒れ伏した。

権佐は今、鳩尾の痛み以上の恐怖心にさいなまれている。
目の前にいるあの男は……本当にあの軽佻浮薄な橘少将なのだろうか…。

その橘少将が、こちらに引き返してくる。
「ひ…」
ざらりとした悲鳴は、喉にへばりついて出てこない。
気絶した振りをする余裕など、元より皆無だ。

侍従の香が頭上に漂い、凍えるほどに冷たい声が降ってきた。
「一つ目の堂で襲いかかるとは、やり方が甘いのだよ。
それとも、奥で待ち伏せるのが怖ろしかったのかな」

怨霊が怖ろしくない人間などいるものか…。
だが、この男は…違うのか……。
権佐は苦しい息の下で頭をひねり、おそるおそる橘少将を見上げた。
闇の中でも、自分を見下ろす冷ややかな視線が分かる。

「人を斬ったことなどないのだろう?
剣に一瞬の迷いがあった」

その…通りだ。
左近衛府に注進に及んだ時も、使いの童に事細かに命じた時にも、
迷いなど微塵もなかったのに……。
剣を構えた時、その重さに怯んでしまった。

「僅かに残っていた君の良心が、君を助けたのだよ。
そうでなければ、私も迷わずに自分の剣を抜いていただろう」

あの間合いで橘少将はそこまで考えたというのか…。
そして私を助けたと…?
私は、助かる…のか?

しかし、権佐の虫のよい望みはすぐに断たれた。
橘少将が、剣を逆手に握ってゆるゆると持ち上げたのだ。

「だが、許されたなどと思わないことだ」
ぞっとするほど冷たい声と同時に、剣が真っ直ぐに落とされた。

咄嗟に顔をそむけたその眼前に、鼻先をかすめて剣が床に突き刺さる。
恐怖に耐えきれず、右兵衛府伴権佐は気絶した。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


枯れた淡竹の葉がかさかさと鳴る。
荒れ果てた正殿に高御座が置かれたのはいつのことだろうか。

一つ目の堂である観徳堂で襲われたことで、友雅は確信した。
あかねがいるのは、最も奥まった場所に建つ豊楽殿の背後から通じる堂だ。
北の不老門からならすぐだが、導かれた南門からは一番遠い。

「神子殿!」
大声であかねを呼ぶ友雅の声は、むなしく響くだけ。
ここから豊楽殿に届くはずもない。
だがそれでも、友雅は声の限りに呼ぶ。

「神子殿! ……あかね殿!!」



友雅…さん?

あかねは扉に駆け寄り、力一杯叩いた。
だが小さく非力な腕で叩いても、分厚い扉は鈍い音を立てるだけだ。

広い堂を端から調べたが、出口はこの扉だけ。
その間にも、陽が落ちていき、闇は力を得ていく。
壁の破れ目からかろうじて入ってくる光は弱々しく、今にも消えそうだ。

幾体もの怨霊が形を得て立ち上がろうとしている。
だがそれだけではない。
堂宇の中央にある一段高い場所から、
何かがこちらを凝視しているのが分かる。
怨霊だ。とても大きくて……とても強い。

壇上に黒い気が揺らめいたと見る間に、その怨霊が姿を現した。
形は巨大な角のある兜をかぶった、武者の首そのもの。
ぎょろりと大きな目玉が、あかねを見る。

息を呑み、後ずさりするが、あかねの後ろは開かぬ扉だ。
怨霊はズシンと壇上から降り、長い牙の口から障気を吐き出した。

その時――
「神子殿!」
あかねを呼ぶ声と、閂ががたりと動く音。

「友雅さん! 怨霊が…!!」
あかねは叫んだ。

怨霊は爛々と目を光らせ、さらにズシンと近づいた。
大きな口がゆっくりと開く。
逃げ場の無くなったあかねに向けて、怨霊は再び障気を吐きかけた。

その瞬間扉が開き、あかねは友雅に腕をつかまれて外にまろび出る。

「神子殿、迎えに来たよ」
「友雅さん!!」
友雅のあたたかな腕が、あかねの肩をしっかりと抱いた。

「走れるかい、神子殿?」
「はい、友雅さん!」
二人は手をつないで回廊を駆ける。

しかし回廊を抜けて正殿に出た時、
目の前にあの巨大な怨霊がズシンと降ってきて二人の行く手をふさいだ。
空に僅かに残っていた残光が消え、形を得た怨霊が背後から迫る。

「おとなしく逃がしてはくれない…ということか。
少し時間がかかりそうだが、神子殿、一緒に戦ってくれるかな?」
「はい! がんばりましょう、友雅さん」



白虎の咆哮が轟くのを、シリンは豊楽殿の柱にもたれて聞いていた。

「フン、本当に使えない男だったね。
よりによって地の白虎を引き込むなんて、余計な真似をしてくれたもんだよ」

シリンは観徳堂にちらりと視線を走らせると、
小さく肩をすくめてその姿を消した。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


夜の静寂の中、友雅はあかねを腕に抱いている。

あかねに封印され、周囲から怨霊は消えた。
だが、最後の一体を消し去ったと同時に、
あかねは力を使い果たして倒れてしまったのだ。

遅れて上ってきた月が、荒れ果てた庭を煌々と照らしている。
だが、豊楽殿の中に、その光は届かない。

「神子殿…」
頬に手をやると、ひんやりと冷たい。
力なく投げ出された手を取ると、指の先まで冷え切っている。

一瞬、言いようのない恐怖に襲われるが、
あかねの唇からもれた小さな息に、友雅も深い吐息をついた。

頬を押し当て、小さな両手を掌で包み、胸に抱き寄せて
あかねにささやきかける。
「神子殿……すまなかったね……」

事の全容は分からない。
だが、その背後に広がっているのが内裏の闇であることだけは分かる。
笑顔の裏で陥穽を仕掛け、仕掛けられる、華やかで醜悪で空疎な無明の闇。

そこに、巻き込んでしまったのだ。
闇に射し込む、真っ直ぐな光を。
闇に真向かうことになっても、闇が呑み込もうとしても、
決して果たせぬあたたかな心を。

月が動き、青い光が友雅とあかねを照らし出した。

「……ん…」
あかねの瞼がうっすらと開く。
「……友…雅……さん?」

「やっと気がついたのだね、よかった。
急に倒れてしまって心配したのだよ」
「あ………私…怨霊を封印して……それから…」

息がかかるほどに、二人の顔は近い。
月明かりでも分かるほどに、あかねの頬が赤く染まる。

刹那、友雅はあかねを抱きしめていた。

「友雅…さん?」

――いっそこのまま自分のものにしてしまおうか。

華奢な身体が震えているのを、襲越しに感じる。

「私が、怖いのかい?」
幾重もの意味を含んだ問を、甘やかに耳元に吹き込む。

――だが…吐息が混じり合っても
唇が触れ合っても
熱い肌を重ねても
君は……君であり続ける。

「いいえ、友雅さんのことを怖いなんて思いません」
凛とした声が、答えた。

――誰のものにもなりはしないのだ。

友雅は、あかねを抱いて立ち上がった。

「では、戻ろうか、神子殿。
今頃梨壺は大騒ぎになっていることだろう」


その時突然、何かが崩れる音がした。

はっとして音のする方を見ると、草深い庭の彼方で、
中門の壁が崩壊したようだ。

「神子殿! 友雅殿! いらっしゃいますか!?」
丈高い草をかき分けて、鷹通が大声で呼んでいる。
となれば、壁を壊したのが誰かは想像がつく。
似非陰陽師風情には、到底できないことだ。

「鷹通さ〜ん!!」
あかねが大きく手を振って叫ぶ。
「友雅さんも〜一緒で〜〜す!!」

友雅は顔を上げ、空の月を仰いだ。

左近衛府少将の多忙な一日が、やっと終わろうとしている。









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左近衛府少将殿の、 加齢なる もとい、華麗なる自制心に乾杯。

鷹通さんは残業してたんでしょうね。
陰陽師殿は、途中の観徳堂で雑魚を拾ったと思います。

最後の怨霊は、友雅さんの言葉でお分かりの通り金属性で、
「2」で出てくるあれを想定しています。かなり苦戦した記憶が…。
でも白虎とマダラのコンボならさっさと片付くはず(違)。

大好きなシリンにも出てもらいましたが、
当然ながら、モブには真名を明かしてはいません。

なお、豊楽院の描写はなんちゃって的嘘で塗り固めているので、
そちらからの突っ込みは無しでお願いします。

モブの、うひょうえふとものごんのすけは、
伴大納言の裔という想定で書いています。
斜陽族なのです。


最後まで読んでくれてありがとうございました。
長くなっちゃってすみません(汗)。


2012.7.1 筆