聖 夜

〜泰明×あかね〜



今宵はくりすますいぶ。

異国の神の降誕前夜祭だと、
あかねはうれしそうに話してくれた。

一年で一番ろまんちっくな夜なのだそうだ。

ろまんちっくとはよく分からないが、
恋する者の甘い気持ちのことだと、あかねは言う。

つまり………
聖らかで静かな冬の夜、あかねと二人甘い時を過ごせる!!

そう思っていたのに……

「どうしてこうなるのだ、神子」



…………
ということにならないように、万全の態勢を整えなければ。

今夜も明日も、頭痛歯痛腰痛腹痛で家を出られないと
断りを入れて、泰明は安倍家を辞した。

断固としたその言葉に疑義を唱える者は、もちろん一人もいない。

泰明は家の周囲を巡りながら厳重な結界を構築していく。
もちろん、付近一帯の怨霊や物の怪への対策も十分だ。
しらみつぶしに調伏をし、さらに清めの儀式も施した。
今ではこの辺りは、怨霊にとって立ち入ってはならない禁忌の地と化している。

門扉の結界は特に入念に。
源の武士や
鍛冶師見習いや
治部少丞や
左近衛府少将や
法親王や
兄弟子達が
近寄らないようにしなければ。

あかねは幾日も前から、楽しみにしていたのだ。

あかねの世界の聖なる夜祭り……
家族や友達との思い出が、たくさんあると言っていた。

あかねにとっては、遠い世界に置いてきた大切な人々へと繋がるもの。

この京であかねが迎える初めての冬も
よき思い出となってほしい。

誰にも邪魔はさせない。

術の仕上げに魔除けの呪符を扉にぺたりと貼ると、泰明は門をくぐった。


夕暮れ時の寒さの中で、あかねは庭に立つ桜の木の下にいた。
いつもそこで泰明の帰りを待っていてくれるのだ。

夕闇に包まれていても、あかねのいる場所だけは
柔らかな光に包まれて見える。
毎日のことなのに、慣れることはない。
胸を疼かせる喜び。

「今帰った、神子」
「お帰りなさい、泰明さん」

髪も頬も冷たくなっているけれど、
あかねの気はあたたかい。
あかねを腕に抱くと、そのぬくもりが泰明を包みこむ。

「こんなに冷え切って…ずっと私を待っていたのか、神子」
「はい。でも、寒くなんかありませんよ」
あかねはにっこりした。

「早く家に入ろう」
あかねの肩を抱いて歩き出した時、
泰明の脳裏に初秋の出来事がよぎった。
思わず足を止める。

怪訝な顔をしているあかねを先に行かせると、
泰明は空を見上げた。

周囲に気を取られて、忘れるところだった。
この庭の上空にこそ、厳重な結界が必要だ。

七夕の祭りを控えたある夜のこと、
この庭に、空から男が落ちてきたのだった。
内裏にいた帝と永泉の前には、牛が降った。

牛よりも、男の方が質が悪い。
嫁と引き離された男など、不吉の塊だ。

今夜は、何も降ってくるな。
牛はもちろん、馬も未もだめだ。
ねずみも寅もうさぎも、龍神とても例外ではない。
巳など以ての外、申も酉も戌も猪もだ。
永泉の所に降るならかまわないが。

泰明は腕を真っ直ぐに伸ばすと、中空に大きな桔梗印を描いた。
掌を上に向けると、その桔梗印はみるみる広がっていき
まるで天蓋のように、家と庭とをすっぽりと覆う。

桔梗印の中心に向かって呪符を投げ、
泰明は呪を唱えながら気を収斂させていく。
そして一気に呪符へと気を注ぎ込むと……

眩い光が散り、上空の桔梗印は消えた。
先ほどと同じ、黄昏時の空が戻る。

――これでいい。

泰明は踵を返し、すたすたと家に入った。



あかねの作ったくりすますの飾りと、でぃなあというご馳走と
形がひしゃげて焦げて固い、けえきという食べ物。
飾りは可愛らしく、料理は全ておいしかった。
あかねの手作りなのだから当然だ。
そして、贈りものも手渡される。
飾りとけえきと贈りものは、くりすますに欠くべからざるものだという。

「ありがとう、神子」
しかし…

あかねに感謝の言葉を伝えながら、泰明は小さく首を傾げた。
神の祭りであるというのに、
自分が歓待を受けるばかりでよいのだろうか。

「神子、くりすますを祝う作法を私は知らない。
異国の神に捧げる祝詞などがあれば教えてほしい」

あかねは一瞬眼をぱちくりして、次にまたにっこり笑った。
「メリークリスマス!って、言えばいいんですよ」
「それだけでいいのか?」
「ええと…いいんです…きっと」

「わかった。
だが、私も神子に贈りものをあげるべきではないだろうか?」

あかねは首を振ろうとして、何か思いついたように動きを止め、
次に頬を染めて泰明の耳元に口を寄せ、小さな声で言った。

「泰明さんの笑顔が…見たいです」

泰明はゆっくりまばたきした。
「それだけで、いいのか?」
「はい…」

泰明はあかねの手を取ると、おずおずと微笑む。
「これで、いいだろうか…、神子?」

こくんと頷いたあかねの表情が、何よりの返事。
はにかんだ仕草の愛らしさに、泰明はあかねを抱き寄せた。


周到な準備が功を奏して、邪魔者も入らずに夜は静かに更けていく。
小さな灯りを灯して、あかねと過ごす幸福な時間――。

泰明の腕の中で、あかねが言った。
「こうしていると暖かいですね」
「京の冬は寒い。
だが、神子がいれば暖かい」

「雪が降ったらいいな。
今夜はクリスマスだし」
「雪とくりすますは対なのか?」
「ううん、そういうわけじゃないけど
ホワイトクリスマスって、ステキだから」

――ほわいとくりすます…?
雪が降れば、すてきなほわいとくりすますになる、ということだろうか。

「冷え込んできたし、雪が降ってるかもしれないですね。
外に出てみましょう、泰明さん」

冷え込んできたなら、家の中で暖かくしているべきだ。
しかし、あかねは外に出たがっている。

しぶしぶ腕をほどくと、
あかねは泰明の手を引いて部屋の戸を開け、外に出た。

とたんに、ひりつくような冷気が吹き付ける。
しかし雪の気配はなく、空を見上げても雪どころか、月も星もない。

あかねはがっかりしたように、小さなため息をついた。

その様子を見たとたん、泰明はあることに思い至った。
「あ゛……」
「どうしたんですか、泰明さん」
「寒いだろうが、少し、待っていてほしい」
指を立て、印を結ぶ。
「え? もしかして、陰陽の術で雪を降らせるんですか?」

泰明は小さく微笑んだ。
「結界を解く…それだけだ」

泰明が呪を唱えるにつれ、漆黒の空にかすかな鈍色が混じっていく。
片腕を真っ直ぐ天に向けて伸ばすと、空中に呪符が現れ、
立てた指の間に吸い込まれるように収まった。

その刹那、ひとひらの花びらが舞い降りてくる。
あかねの頬に触れると、花びらは冷たい感触を残して消えた。

眼を上げれば、周囲はいつの間にかしんしんと降る雪ばかり。
「雪が…降っていたんですね」
白い息を吐きながら、あかねは眼をきらきらさせている。

「うれしいか、神子?」
「はい」
零れるような笑み。
まるで満開の桜のような……。

泰明は微笑みを返すと、雪の気を受けた先ほどの呪符を再び手にした。

「眼を閉じていろ、神子」
「???……はい」
言われるままに、あかねはぎゅっと眼をつぶり、顔を両手で覆う。

泰明は庭に立つ桜に向かい、呪符を投げた。
そして呪を唱えながら両手を差し伸べ、掌を天に向ける。
刹那、風が吹いて雪が生き物のように向きを変え、
桜の木の呪符の周りに白く渦巻いた。

ほどなくして、
「もういい」
泰明はあかねの後ろに立ち、目を覆っていた両手をそっと離した。

「うわあ……」顔を上げたあかねが、息を呑む。

眼を開けたあかねが見たのは、庭に立つ桜の木。
夜闇の中、枝一面に雪の花びらをまとい、白く輝いている。

「きれい……本当に…きれい…」
あかねは木の下に立ち、満開の雪の花を見上げた。

淡雪のように儚げな青い影を雪上に落とし、
夜陰に浮かび上がる純白の木。
ほのかに光りながら、その周りを群れ飛ぶ雪蛍。

降り続く雪に、世界は白く覆われていく。
音の消えた世界に、二人だけがいる。

あかねは泰明の胸に冷たい頬を寄せた。
あたたかな腕が、あかねを抱きしめる。

「すてきな贈りものをありがとう……泰明さん」

「めりい…くりすます、神子」






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泰明さんのクリスマス話でした。

京で二人きりの「聖夜」は、
幸せ+ちょっぴり切ない感じを目指して書きました。
そのおかげか、今回ばかりは邪魔も入らず、
ギャグ落ちにもならずに、何とか踏みとどまれたようです。

最後は「ろまんちっく」な雰囲気で締めたつもり…。
そうなっているかどうかは不安ですが、
あかねちゃん至上の可愛い泰明さんを感じて頂けたなら、うれしいです。


なお、空から牛が降ってくる云々の所は、
「星降る夜に」をベースにしています。


09.12.19 筆