七夕の雨の夜

泰明×あかね 京ED後

小説部屋の泰あかSS 「星降る夜に」の続きです。


泰明にとって、今宵は年に一度の不吉な夜。

朝から降っていた雨はここにきて本降りになり、
屋根を叩く雨音が次第に強くなっている。

「雨、止みそうもないですね……」
蔀を上げて、あかねが言った。
「せっかくの七夕なのに、残念でしたね」

「同情する必要はない」
「残念なんて言葉じゃ足りませんよ〜〜」
あかねの言葉に、二つの返事が重なる。

素っ気ない一つめは泰明。
もう一つの情けない声の主は、気品のある若い男だ。

泰明はむすっとした顔で、その若者を見た。

自称牛飼いの若者は、以前、牛を探して突然空から降ってきた。
その時牛探しに協力したのがいけなかったようだ。
それ以来、若者は性懲りもなく降ってきては、
迷惑この上ない騒動を引き起こしているのだ。

今夜は幸いまだ何事も起こしてはいない。

――だが、この男がいること自体が、大問題。
即刻帰さねば。

泰明にとって、若者は最大級の穢れに匹敵する。
なぜなら、この若者は
妻と引き離されるという不吉の気
を纏っているからだ。

「年にたった一度なんですよぉ〜〜。
でも、雨が降ったら逢えないんですよぉ〜〜」
若者は半泣き状態だ。

妻の父親から下された命により、この男に許された妻との逢瀬は、年に一度のみ。
今日がその日なのだが、雨が降ると川を渡れないので、逢瀬は叶わないという。

この男の嘆きは、今の泰明には理解(したくないが)できる。

――もしも、あかねと年に一度しか逢えなくなったら――
そのようなことは、想像したくもない。

しかし、一人で落ち込んでいればいいものを、
なぜこの世界に降りてきて泣き言を言うのか。
あかねと二人だけの静かな雨の夜を、なぜ邪魔するのか。

泰明は、若者に不機嫌な顔を向けると、
ぷいっと立ち上がって腕を小さく振った。
部屋中に貼られた護符が剥がれ、ひらひらと宙を舞って落ちてくる。

「泰明さん、いいんですか。せっかく貼ったおまじないの札なのに」
「効かなければ意味がない」

桔梗印の呪符に混じり、「天人退散」と書かれた札もある。
通りすがりの攘夷志士に渡されたものだが、他の護符同様、若者には効かなかった。

「みこさん、このお酒、意外とおいしいですね。
あ、仏頂面の人、私にお酌はしなくていいですから」
若者は、あかねの用意した酒の膳に遠慮無く手を付けている。
あかねはにっこり笑った。
「藤姫が届けてくれたお酒なんですよ。口にあってよかった」

泰明はますます仏頂面になる。
神子の厚意に当然のように甘えるとはあつかましい。

「手酌で呑め。気が済んだらさっさと帰れ」
「冷たいことは言いっこなしですよ。
今夜の天界はことのほか淋しいんですから。
はぁ〜ぁ……逢いたいな……私の……」

若者がひときわ大きなため息をついたとき――
ほんの一瞬、雨音に別の音が混じった。













.
.
.






その頃、宮中の清涼殿では、七夕の儀式が行われていた。

だが、激しい雨音を背景にして始まった詩歌と管弦の宴は、
つつがなく進行してはいるものの、鬱々として盛り上がらない。
帝の側近くで警護に当たっている左近衛府少将だけが、
その場に華やいだ気を添えているのがせめてもの救いだ。

しかし、使いの者に何やら耳打ちされた左近衛府少将は、
帝の元を離れて席を立ってしまった。
御簾の向こうから、畏れ多くも帝自らが小さく頷いて少将を促したからだ。

何事か!?と、居並ぶ貴族は色めき立ったが、
儀式の最中とあれば事情を知らされることはない。
その後も淡々と宴は進んでいった。



盛り下がっている清涼殿とは対照的に、
女房、女官が集まって、大いに盛り上がっている場所がある。

そこは、内裏の北東にある梨壺。
今は定まった主がいないはずなのだが、なぜか今宵は………





「あああっ!! 奥さんの声だ!!」
若者が、顔を上げて叫んだ。

「え? 何か聞こえましたか?」
怪訝な顔をしたあかねに、泰明は答える。
「今度は女が天から落ちてきたようだ」

若者はすっくと立ち上がって、泰明の袖を引っ張った。
「早く行きましょう。奥さんを助けないと!!!」

「どこに行くのだ。なぜ私も行くのだ」
「泰明さん、助けてあげましょう」
「みこさんの言う通りです。私、この世界には不慣れですから。
で、どこに行ったらいいでしょう」

「おそらく……」
泰明が腕を伸ばすと、式盤がすごい勢いで宙を飛んできた。
今回も事は起こってしまった。
こうなったら、一刻も早く解決するしかない。

占いの結果は、泰明の推測と一致した。
「内裏だ」
「また内裏ですか、泰明さん」
「また内裏だ、神子」
「この地の帝の住まいですね。
あそこなら少しだけ、土地勘がありますよ〜」

何が土地勘だ。
内裏で隠密裏に人を探すのは、極めて厄介だと分からないのか。
今宵、友雅は儀式の警護で動けない。さらにこの雨では……。

しかし、何とか手立てを考えるしかない。
この男に協力するのは不本意だが……。

「急ぐぞ。遅れずについてこい」
泰明が部屋の扉を開けたその時、
空気がびりびりと震え、部屋の天井が消え、屋根も消えた。

しかし、雨は落ちてこない。
見上げると、暗い雨空を貫いて、きらきらと光る星屑が、
天上からこの部屋へと、光の道を作っている。

そして光の道を通って、しずしずと牛が降りてきた。
「ンモ……♪」

「牛〜〜」
若者は、牛の太い首にぎゅっと抱きつく。
美しい房飾りをつけたその牛には、泰明も見覚えがある。
若者が世話をしている天帝の牛だ。

「ンモモ……」
牛は、泰明に向かって短く啼いた。

「そうか、分かった」
「泰明さん、牛さんは何て?」
「自分の主……天帝からの言葉を伝えてきた。
『娘を余・路・師・句』……だそうだ」

「はい!! 私は絶対に奥さんを助け出します!!
任せて下さい!!  お義父さ ……帝!!」
若者は膝をつき、天に向かって遙拝した。
「私達もがんばりますね!」
あかねは一緒に行く気満々だ。

「ンモ…ンモンモンモモモモモオオオオオッ!!!!!」
天帝からの勅命により限定解除された牛は、
あかねと泰明を背に乗せると、
引き綱を握った若者を引きずりながら、光の道を驀進した。





とん…ぱたん……とん…ぱたん……

梨壺の中から、機を織る音が絶え間なく聞こえている。

ここには誰もいないはず。
それ以上に、ここに機織り機などあるはずがない。

しかし………
とん…ぱたん……とん…ぱたん……
休むことなく音は続いている。

声をかけても返事はない。
蔀戸を上げて中を覗くと、真っ暗闇の中に、
淡い金色の光で満たされた一隅がある。
音はそこから聞こえてくるのだが、
その前には御簾が下ろされて、奥の様子は分からない。

おそるおそる近づこうとした女房もいたが、
蔀の中には、なぜか入ることができなかった。

だが、女達は好奇心で集まっているわけではない。

時折音もなく御簾が上がると、
中からこの上もなく美しい布が、ふわりと宙に浮かび上がり、
蔀の外へと舞い出てくるのだ。

それらの布は、まるで虹を織り込んだかのような美しい彩りで、
手にした感触は、あるものはすべすべと滑らかで、
またあるものはふわふわとして羽根のように軽かった。

最初に美しい布に気づいた女房から、
話はあっという間に内裏中に広まり、
押し寄せた女房、女官たちが、庇の下にひしめき合って
次にはどんな布が織られてくるのか、胸を躍らせて待ち構えている。

不思議な出来事にもかかわらず、女達の中に
怖ろしがる者は一人もいない。

騒ぎを聞きつけて、警護の男達も駆けつけたが、
女達から返事の代わりにギギッとにらまれ、
なすすべもなく追い返されてしまった。

それでも内裏の異変は一大事。
男達は唯一無二の救援を求め、それを待つことにした。


一方、女達は警護の者共などすでに眼中になく、
押し合いへし合いしながら次の布が織り上がるのを待っている。

今宵は七夕。
中で機を織っているのは、きっと織女に違いない。

このような美しい織り手の夫たる牽牛は、
どんなに素晴らしい貴公子なのだろう……。
女達はうっとりと夢心地だ。

そこに、「救援」が到着した。

言葉より先に、侍従の香が前触れとなって漂い来ると、
女達ははっとして我に返った。
誰もが、香の主を知っているのだ。

群がる女達の中に平然と入り込み、熱い歓迎を受けられるのは、
宮中の男の中でただ一人しかいない。

友雅は艶然とした微笑で女達を見渡した。
「内裏中の美しい花が一堂に会している様は、何と魅惑的なのだろうね。
天の星々が地上に降り立ったかと思うほどだよ」

遠い夢の貴公子より、眼の前の左近衛府少将だ!!
女達の視線は、友雅に集中する。

「ああ、橘少将様……この布をご覧下さいませ」
「いいえ、先に蔀の中をご覧下さいませ」
「それより、私をご覧下さいませ」

「私を歓迎してくれるのだね。うれしいよ。
それでは、なぜここに集まっているのか、私に教えてはくれまいか」

一斉にかしましく語られた言葉を、
友雅はにこやかに笑いながらつなぎ合わせ、だいたい理解した。
と同時に、これまでも少なからず牛騒動に関わってきたことから、
事の真相もほぼ読めてしまった。

清涼殿で、小さく頷いて友雅を促した時、
帝が僅かに口の端を上げたことを思い出す。

――主上は、このことを察しておられたのだ。
だが、今度ばかりは、表沙汰にならずに事を収めるのは難しいだろう。
これだけ大勢の証人がいる上に、彼女たちの推測はほぼ当たっている。
もしもこの場に、「彼」が現れたなら……。
友雅は、心の中で嘆息した。

その時突然、かしましい声が止んだ。
女達が、それぞれ友雅に視線を向けたまま、動かなくなったのだ。

続いて、あかねと泰明を背に乗せた牛が現れた。
その引き綱を握っているのは、やはり「彼」だった。






梨壺の屋根の上に、眩い金色の光が現れた。
その光の中で、牛が「ンモウ…」と啼く。

牛の背にはうら若い乙女が乗り、
あかね達に向かって会釈したが、
降りしきる雨と金色の輝きの中で、
その姿形は、はっきりとは見えない。

金色の光は、ゆっくりと天に昇っていき、
やがて雨の夜闇に隠れて見えなくなった。

だが若者は同行せず、まだ地上にいる。
光に背を向けたまま、ぽろぽろと涙を流すばかりだ。
「………うっうっぅぅ……奥さん……」

「よかったんですか。
あんなに逢いたがっていたのに、
顔も合わせないし、声もかけてあげないなんて……」

あかねが、若者に尋ねると、友雅も続けた。
「今回は天帝に依頼されたのだろう?
君たちが顔を合わせることは天帝も承知のはずだ。
牛だけを彼女の元にやることはなかったのではないかな」

若者はふるふるとかぶりを振った。
「もちろん、私だって逢いたかったですよ〜〜ぐすんぐすん。
でも、今夜地上で奥さんと逢ってしまったら、
ただのズルじゃありませんか。
ついでに、天界の定めを人界で破ることになるし……。
そうなったら、いろいろマズいことが起きるかもしれないし……」

「ついで、と言ったことの方が重要だ」
「意外といろいろ考えているのだね」
「当たり前です。私はいつだってよく考えてますよ〜ぐすんぐすん」
「ならば、早く天界へ戻れ」
「ぐすん……そうします。
止まってもらっている女の人達も、そろそろ動き出す頃ですし」
「とてもいい頃合いだ。遅すぎるくらいだ」

「さようなら、元気を出して下さいね。
きっと来年は晴れますよ」
「ありがとう、みこさんとその他のお二人。
また会いましょうね」
「はい」「いやだ」「ご遠慮願いたい」

若者は着物の袖で涙を拭いながら、
金色の光を纏って天上に還っていった。



そのすぐ後、女達は何事もなかったように動き出す。

しかしその時には梨壺から不思議な光は消え、
辺りは雨音ばかりの静寂に包まれていた。

驚き慌てる女達をよそに、梨壺の中に歩み入った左近衛府少将は、
彼女たちを振り返って、再び艶然と微笑んだ。

「趣深い物語を聞かせてくれて感謝するよ。
美しくて儚い夢こそ、七夕の夜にふさわしい……」





友雅の計らいで密かに牛車が用意され、
泰明とあかねは、人目につかぬように内裏を出た。

「不思議な夜でしたね」
「慌ただしい夜だった」
「牛さんは、何て言っていたんですか」
「『皆さんありがとうございました。
帝と弟君によろしくお伝え下さい』と言っていた。
天帝ではなく牛自身の言葉だ」
「ふふっ、礼儀正しい牛さんですね」
「あの男も見習うべきだ」

「少しだけでもいいから、織姫様とお話してみたかったなあ……。
光が眩しくて顔も見られなかったし、ちょっと残念」
「顔なら見えたが、神子はあの女性の顔に興味があるのか?」
「本当ですか、泰明さん!?
どんな方だったんですか。
きっととてもきれいだったんでしょうね……」

あかねの問に、泰明は小さく首を傾げて答えた。
「ごく普通だが……。
目が二つ、鼻と口が一つずつで
↓このような↓顔だった。

へ   へ
の   の
  も 
  へ

「え゛…………」

泰明はあかねをじっと見つめ、頬を淡く染めた。
「神子の美しさとは、比べようもない」










[小説・泰明へ] [小説トップへ]


今年の7月7日は過ぎましたが、旧暦ではまだまだ先。
なので、いっそのこと8月に……とも思いましたが、
書いたら即アップしたい病なもので(笑)。

勢いで壊れた後日談も書きました。
ただし! 脇キャラのみ登場なので、OKな方だけ、 こちらからどうぞ。


2013.7.12 筆