美しきもの

(泰明×あかね 本編前 → 京ED後背景)
お師匠友人のオリジナル老人キャラが出ます。


葉を落とした枝の上に、青い三日月がかかっている。
冬の月は、凛として冷たい。

だが、夜を背に立つ人ならぬものは
天空の月よりも冷たく、そして美しい。

それは人の形をした、人に造られしもの。
顔の半分に施された封印の呪が、夜目にも白い。

この屋敷の当主、安倍晴明に呼ばれ、
夜闇の中を灯火も持たず、足音も気配もなく、ここに現れた。

左右異なる色をした瞳が、こちらを凝視している。
玻璃の如く透き通った双眸には、敵意も親しみも怖れもない。

「泰明よ、人をそのように見るは礼儀にもとることじゃ。
こちらのお方は室谷の僧都殿。
お前に会いにはるばるやって来られたのじゃぞ」

晴明がたしなめると、泰明と呼ばれたそれは、ゆっくりとまばたきした。
そして問うように小さく首を傾げて、晴明に顔を向ける。
そして、「分かった、お師匠」と短く答えると、
僧都に向き直り、師匠に言われた通りに視線を下に落として言った。
「無礼を詫びる」

その声もまた、感情を欠いて冷たい。

「すまぬな、僧都殿。
泰明はまだ、他人(ひと)に 慣れておらぬ。
安倍家の外の者に会ったのは、今宵が初めてなのじゃ」

だが室谷の僧都は思う。
――無礼を詫びるなど、晴明殿はやはり分かっておらぬ。
礼とは人の心あればこそ存する。だが、このものは違うのだ。

「晴明殿、怖ろしいことをなさりましたな」
老いた僧都は苦渋に満ちた声で言った。
晴明とは昔なじみで年も近い。 知り合ったのはまだ修行中の身であった頃だが、
当時から、その力の凄まじさはよく知っている。
だが、晴明は一度たりとも、人の道に外れた行いをしたことはなかった。
また、悪に堕するような男でもなかった。

なればこそ、晴明を諫めねばならぬと、ここに来た。
俗塵を離れた山奥の庵から、京の街へと数十年ぶりに下りてきたのだ。

僧都の言葉に、晴明は悪びれる風もなく答えた。
「ほう、北山の天狗どもから、泰明のことを聞かれましたか」

「我が庵にまでその騒ぎが届くほどでありましたぞ。
あの安倍晴明が、大天狗の力を借りたと。
稀代の陰陽師と天狗が力を合わせねば抑えられぬほどの力が、
人を模した形に造られた…と」

泰明と名付けられたそれは、眼を先ほどと全く同じに伏せたまま、
微動だにせず庇の下に端座している。
冬の夜気の中、白い単の帷子で冷たい板に座っているというのに、
寒さを感じている様子もない。

しんとして、夜の闇に溶け入りそうな姿の中に、
人ならざる力が渦巻いているのが、行を重ねてきた僧都には分かる。

僧都は晴明を見据えて、再び言った。
「晴明殿ともあろうお方が、なぜ斯様に怖ろしきものを造ったか。
人の形であって人に非ず、人の心を持たずして、人を超えた力を持つ。
それは、人に仇なす化け物に他なりませぬぞ」
深い皺の間から覗く眼光は鋭い。

泰明は、己のことを化け物と断じられても、全くの無表情だ。
だが、二人の交わす言葉の全てを、余さず聞き取っているのは間違いない。

晴明は僧都の厳しい視線を受け止め、眼をそらさぬまま静かに口を開いた。
「僧都殿、泰明は化け物ではない。この晴明が子じゃ。
おとなしゅう器に収まらず、我が手に負えぬほどに迸り滾り立ったは、
己に形を与えよとの、泰明の意志であったと思うておる。
これより先、その身の内に在る力は、人のために使うことになろう。
安倍家の陰陽師として」

「では、安倍晴明殿自らが、陰陽道を教え、導くと仰せられるか。
そして、これを人の世に送り出すと言われるのか」

その時、奥の間を囲む木々のどこかで、梟がホウ…と鳴いた。
泰明はぱちりと眼を見開き、庭の一点に顔を向けると、
白い腕をそちらに向かって差し伸べる。
すると、翼を大きく広げた梟が飛んできて、
泰明が指で示した庇の欄干にふわりと下りた。

「泰明、梟は何か言っているか」
「ここは明るくて気に入らぬようだ、お師匠。
そして何より、ねずみや蛇を食らいたいと言っている」

くぅくぅと喉の奥で鳴く梟を、なおも泰明は首を傾げて見つめ続ける。

僧都は、歯がゆい思いで晴明と泰明を交互に見た。
いかに安倍晴明とて、この泰明なる造化のものがどのように変化するか
先のことなど知り得るはずもない。
虚ろなる魂は、注がれるままの色に染まり満ちていくものだ。
美しき形に惑わされてはならない。

人を遙かに凌駕した知と、人の身の及ばぬ力を持ちながら、
この泰明なるものが無明の闇に堕ちたなら、
どれほど怖ろしい存在になることか……。

突然、泰明がくるりと顔を僧都に向けた。

「お前は兄弟子と同じことを言う。
私はおぞましい存在か。
私が自然の理に反して造られたモノだからか」

その声には怒りも憤りも悲しみもない。
それがかえって不気味だ。

大きな瞳が僧都を一瞬凝視した。
そして先ほどの師匠の言葉を思い出したのか、すぐについ…と睫毛が伏せられる。
表情のないままに泰明の唇だけが動いた。

「モノは人の役に立つためにある。
役に立たぬモノ、人に害をなすモノは不要だ。
だから私が悪しきことをなしたなら、お師匠が私を壊すだろう。
問題ない」

欄干から梟が飛び立ち、闇の中へと消えていった。
燈台の炎が、じじ…と音を立てて揺れる。

僧都は立ち上がった。
「これにて失礼しますぞ、晴明殿」

この泰明なるものの虚ろなる魂は、やがて邪悪な色に染まるかもしれぬ。
あるいは虚ろなるゆえに、美しきものとなるやもしれぬ。

だがいずれの道を行くにせよ、この造化のものは……孤独だ。

「泰明よ…」
僧都は泰明の前に立ち、初めてその名で呼んだ。
泰明は僧都を見上げて、小さく首を傾げる。

「答えよ。美しきものとは何か」

ゆっくりと一度まばたきして、泰明は答えた。
「自然の理の中に在るものだ」
「それだけか」

「眼に触れ、耳に聞こえ、手に触れ、その香の中にあって快いものだ。
……違うのか? 違うなら教えてほしい」

「それは、自らが見出さねばならぬことじゃ」
それだけ言って、僧都は奥の間を出た。


簀の子に降りると中空に灯火が点り、
僧都の歩みに合わせて前を照らしながらふわふわと進んでいく。

僧都の足取りは重い。
ここに来る前は、晴明が造り出してしまった人ならぬものに、
怖れと嫌悪を禁じ得なかった。
だが今、僧都は別のことを思っている。

己が畏友、安倍晴明は、何と悲しいものを生み出してしまったのかと。

その時、中空の灯りが揺らめき、そこから晴明の声がした。

「どうか、ご案じ召さるな。
泰明は、幸せになるために生まれてきたのじゃ。
その誕生を祝い、我が子の幸を願わぬ親がおろうか」

僧都の皺だらけの顔に、ゆるやかに笑みが広がる。
「そうじゃの。だが、幸せもまた……」
灯りがその次の言葉を続けた。
「自ら見出すものじゃ」

「では、弥陀のお迎えがなかったなら、数年後にまた来ようぞ」
「うっかり忘れぬようにな」
「……相変わらず手厳しいのう、晴明殿は」


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「泰明さん、お誕生日おめでとう!!」

あかねの言葉に続いて、その場の全員が
迫力あるお経のような「葉ー比婆ー素手ー露〜♪」を歌った。
以前藤姫の館で歌ったことがあるだけに、
皆、完全にこの歌を習得していて、その力強さはなかなかのものだ。
藤姫とあかねの声がなければ、戦いの歌と間違えても不思議はない。

歌い終わると、藤姫が両手をついて言った。
「泰明殿、お誕生日おめでとうございます。
神子様、私まで呼んでいただいて、とてもうれしいですわ」

続いてみんなも、寿ぎの気持ちを伝える。
「おめでとうございます、泰明殿」
「めでたいって、いいことだな、泰明!」

「泰明殿のお誕生日を心からお祝いいたします。
神子殿、祝賀の席にお招き頂き、ありがとうございました」
「堅苦しいのは無しで願いたいね、鷹通。
ここは無礼講でいいのだろう、神子殿?」
「それは神子に聞かずに私に聞け、友雅」
「ああ、主賓を差し置いて申し訳なかったね。
おめでとう、泰明殿」

「あ、あの……おめでとうございます、泰明殿。
それから友雅殿……その……無礼講は、いつものことかと…」

「考えてみれば、その通りです」
「言うじゃん、永泉!」
みんなが一斉に笑った。

明るい笑いの輪の中に、今年は二人の老人が加わっている。
安倍晴明と、室谷の僧都だ。
方や酒杯を次々に干し、方や般若湯を固辞しつつ、
誰彼となく言葉を交わし、二人はすっかりその場になじんでいた。

晴明がぽつりと言う。
「子とは親の想像を超えてゆくもの…と知ってはいたが、
泰明によもやこのような日が訪れようとは、正直、夢にも思わなんだ」

「泰明は幸せを見出したのじゃな。
だが、何という変わりようか……。
天狗から、泰明に福が訪れたと聞いた時には、これほどとは……」
僧都は、あかねと話をしている泰明に目をやった。
頬を染めたその顔に封印の呪はなく、口元には笑みが零れている。

その時、甲高い声がした。
「みこ わたしを たすけろ ふじひめが はなしてくれない」

せっせと酒や料理を運んでいた小さな式神が、
藤姫に抱っこされて救いを求めている。
丸い目鼻に陰陽師の装束を着た、格好だけは泰明にそっくりな式神だ。

一方藤姫も、あかねに懇願する。
「神子様、すみません。
でも、式神がとても可愛いので……もう少しだけ、いいでしょうか」

「式神さん、藤姫のお願いを聞いてあげてくれる?」
あかねがにっこり笑って答えると、式神はこくこくと頷いた。
「わかった みこの いうとおりにする」

「藤姫、次、オレの番な。オレもこいつと遊びたいんだ」
「いのり わたしは おまえの あそびあいてでは ない」
「いーじゃん、友達になろうぜ」
「……ともだち なる すこし うれしい」
「あ…あの…私も……いいでしょうか」
「じゅんばんだ しばしまて えいせん」

「愛嬌のある式神ですね。神子殿のお話の通りでした」
「永泉様まで興味を示されるとはね。
おや、頼久、杯が空になっているよ」
「これは……ありがとうございます、友雅殿」

「みんな楽しんでくれているみたいですね、よかった」
部屋を見渡して、あかねはにこにこしている。
「式神さんには、ちょっとかわいそうかもしれないけど」

「問題ない。式神の代わりに私が神子を手伝う」
「ありがとう、泰明さん。じゃあ、一つ頼んでもいいですか?」
こくんと頷いた泰明に、あかねは瓶子を手渡した。
「晴明様のところに、これをお願いしますね」



「お師匠……」
慣れぬ手つきで差し出された瓶子から、晴明の杯に酒が注がれた。
晴明は、ゆっくりと味わいながらその杯を干す。

「泰明、お前も飲むがよい」
晴明から受け取った杯を、泰明はくいっと飲み干した。

「こちらのお方を覚えているか、泰明」
美酒を流し込んでも顔色一つ変えない泰明に、晴明が問うた。
言うまでもなく、隣に座している室谷の僧都のことだ。

泰明は僧都を見て、すぐに視線を下に落とす。
「覚えている。
私が生まれて四十八日目の夜、戌の刻を少し過ぎた時に会った」

「では、あの時のように儂を見よ、泰明。
無礼ではないぞ、儂がよいと言うておる」
その言葉に泰明は眼を上げ、僧都を凝視した。

泰明の顔には先ほどのような笑みはなく、仏頂面とも言える顔つきだ。
だが、澄んだ瞳はもはや空虚な玻璃ではない。

「あの日、去り際に儂が問うたことも覚えているか」
「無論だ」
「では、同じことを今ここで問うたなら、お前は何と答える」

僧都が一呼吸置く間もなく、泰明は答えた。
「美しきものは、神子だ」
そしてあかねを見やり、泰明の頬がうっすらと染まる。

「神子を見て、神子の声を聞き、神子に触れ、神子の纏う香の中にある時、
神子の清浄な気に満たされる時、私は……壊れそうなほどに幸福だ。
だが、壊れたくないと強く思う。ずっと神子と共に在りたいと願う。
神子は、私にとってこの世で最も美しいものだ」

「……………」
「……………」
何も言えなくなった二人を置いて、
泰明はさっさとあかねの所に戻っていった。

「………泰明め。臆面もなく……」
「………これは何とも……
泰明はかけがえのない福に巡り会ったのじゃな。
しかし……」
僧都は空に輝く月を見た。
「恋とは、よきものよ」

今宵の月は煌々と明るい。
明日には満ちる月だ。

泰明の家では、その夜遅くまで楽しげな笑い声が絶えなかった。
紡がれた絆は、身分もなく、人も式神もなく、これからも続いていく。








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全くの部外者視点で書いた泰明さんハピバ話でした。
その上、遅刻してしまってすみません(汗)。

まあ、誰の視点であれ、あかねちゃんに関しては、
泰明さんはユルみっぱなしということで。

で、使用前も使用後も(←何)泰明さんは美しいです。

※ 小さな式神は 「はじめてのおてつだい」 に出てきたキャラです。


2012.9.16 筆