水無月十日の宴 前編

(泰明×あかね 京エンド直後)
登場キャラ: 藤姫・安倍晴明・北山の天狗


土御門の長い回廊を、藤姫はゆらゆらと歩いている。
上気した顔をぼんやりと前に向けたままで、
まるで心ここに在らずといった様子だ。

「姫様!」
「どちらにいらっしゃいますか!?」
「空模様が怪しゅうございます」

遠くから女房達が騒ぐ声が聞こえてきた。
しかし、藤姫の耳には入っていない。

じっとしていることができなくて、部屋を抜け出してきた。
何をしたらよいのか分からず、
見えないものに駆り立てられているかのように、
心ばかりが沸きたっている。

ふと、思い立ち、足を速めてみる。
「!!〜♪」
この方が、今の気持ちに似合っているようだ。

しかし、もっと速く! と足を無理に動かしたとたん、
とてっ…!
藤姫は転んでしまった。

床に手をつき、目をぱちくりさせながら立ち上がる。
そして、今度は慎重な足さばきで、速歩を試みる。
襲の装束が重いことも、自分の息が切れていることにも
藤姫は頓着しなかった。

渡殿を通り抜けると、外にはひんやりとした風が吹いていた。
雲が低く垂れ込め、周囲はみるみるうちに暗くなっていく。
ごろごろという轟きが空を鳴らし、黒雲に稲妻が閃いた。

藤姫は足を止め、小さな拳をきゅっと握りしめる。
――鳴神は怖ろしい……はず。
でも、今の私には怖くありません。

この、大きな大きな喜びに比べたら、
怖れることなどあるでしょうか。

大粒の雨が叩きつけるように降ってきた。
庇に立つ藤姫にも、雨の飛沫が吹き付ける。

藤姫は両手を組み、顔を上げて天を見た。

――お母様、ご覧になっていましたか。
神子様が、これからも京にいて下さることになったのです!!

目も眩むような稲妻が光り、雷鳴がびりびりと空気を震わせた。

その瞬間、藤姫は自分が何をしたいのか悟った。
それは、藤原の姫にはふさわしくない振る舞いなのだろうけれど……

天地の轟きに向かって、藤姫は叫ぶ。

「神子様ーーーーっ!
ありがとうございます!!
私はとてもうれしくて!!……とても幸せです!!」

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   ・

その日の夜、北山。
雨が上がり晴れわたった空には、
半月から少し過ぎてふっくりとふくらんだ月がある。

大きな杉の天辺に立ち、天狗は京の街を見下ろしていた。

京の気がめまぐるしく変化した一日であった。

ここ北山からも、その中心となった場所は分かる。
人間が神泉苑と呼び習わしている場所だ。

一時は、そこに強烈な陰の気が凝集し、
瘴気が京の地に広がるかに見えた。
しかし、時を置かずその瘴気は晴れていったのだ。

そして、京には清浄な気が戻った。

今は、調和を取り戻した五行が天地を巡っている。
龍脈はかつてのように力強い流れとなった。

ざわざわと山がさざめいている。
木々が歓びの気を放っているのだ。

北山ばかりではない。
京の街も、それを取り巻く山も川も、
晴朗に澄み渡った大気の中で、伸びやかに呼吸している。

――今宵は、何もかもが浮かれておるわ。
天狗は独りごちた。
その目は、こちらに向かってふわふわと飛んでくる灯りに向けられている。

灯りは天狗の前まで来ると小さく明滅し、隣の木に下りて消えた。
闇の戻った枝に、灯りと入れ替わりに人の影が現れる。

その影が声を発した。
「久しいのう、天狗よ」

天狗はばさりと背の翼を動かし、影の近くに移動する。
今宵は、人もまた浮かれているようだ。

「安倍晴明が自らここに来るとは、珍しいこともあるものよ」
「お前に会いに来たのじゃ」
「儂に何用だ」
そう言いながらも、天狗には薄々分かっている。
「泰明に何ぞ佳きことでもあったか」

「ほう、なぜわかる」
「ぬしらしくもない。
ふわふわと浮かれてここまで来たであろう?」
「浮かれてなぞ……いや…否定はするまい」

「泰明の元に福が来たか」
「福?」
「清澄な陽の気を纏った娘のことよ」
「龍神の神子を知っているのか」
「泰明がここに連れてきたぞ」
「いつのことじゃ」
「二つ前の満月に近い頃」
「やつめ、ちゃっかりと」

苦笑する晴明に、天狗はかかかと笑って言った。
「肩の荷が下りたような顔だ」
「……そうかもしれぬ」
「あれは、大層な暴れ者であったからな」

その言葉に晴明は頷き、天狗に向き直った。
「お前の力無しには、泰明は生を得ることはできなかった。
世話になったのう、天狗」
天狗は愉快そうに、再びかかかと笑った。
「さすがのぬしも、一人では抑えきれなんだな。
やつの気は、まるで爆ぜる火花のようだった」

晴明は、月の光に照らされた京の街を、木の葉越しに見やった。

「あのすさまじい気の奔流が、泰明の形となった。
赤子のように無垢で、鬼神の如き力を持つ泰明の幸福とは、
どのような形で訪れるのか…と、それがずっと気がかりであった」

天狗はばさばさと翼を動かした。
「ぬしは、そんな小難しいことを考えておったのか」
そして、晴明の真上の枝に飛び移ると、足下に向かって言った。

「だからおせっかいを焼いたのだな」
「おせっかいとは、何のことじゃ」
「式神を使って、福を双ヶ丘に呼び出したであろう。
あそこは北山の目と鼻の先だ。よう見えておったわ」

「知られていたか」
晴明は短く笑うと、ぱんと手を叩いた。
と、小さな鬼神が酒の甕を抱えて現れた。
「おおおおお!」
天狗が甕を目がけて飛び降りてくる。

「呑むか、天狗」
「呑もうぞ、晴明」

不思議な宴を照らすのは、月の光ばかり。
その夜の北山は、夜っぴてざわざわと楽しげな気を発していた。


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A様より頂いたリク
「泰明さんとあかねちゃんの、想いが通じ合った時の話。
あかねちゃんが京に残ると決めた時の、みんなの反応」
に基づいて書いたお話です。

前編は、藤姫とお師匠+天狗さんで。
後編は八葉総出演です。

力量不足ゆえ、書きたい方向に話をひん曲げた感がありますが、
それなりに楽しんで頂ければ幸いです。


蛇足のQ&A
Q: 雷が鳴っているのに、藤姫は大丈夫でしょうか。
宝冠て、ばりばり金属ですよね。
A: 大丈夫でしょう。電気タイプですから。

2011.5.31 筆