はじめてのおるすばん

(泰明×あかね・京エンド後)
ブラウザ画面の横幅を広くしてお読み下さい。



私は……ずっと一人だった。
長い夜をこのように過ごすことには、慣れていたはず。

泰明は庭に立ち、月をじっと見上げている。

あかねはいない。
土御門で藤姫たちと「女子会」というのをしているのだ。

短い呪を唱えると、土御門に置いた式神の視界が泰明の視野に重なる。

里下がりしている藤姫の姉と、その女房達も加わって、
絶え間なく笑い声が上がり、にぎやかな話に花が咲いている。

――問題ないようだ。

ふっと息を吐き、式神との繋がりを断つ。

神子の笑い声で、私の胸はあたたかくなる。
一人の時には存在することさえ知らなかった、
静かに私を満たすあたたかさだ。

神子を土御門に行かせてよかった。
神子は今、楽しいのだ。

胸のどこかがつきんと痛み、泰明はふと視線を落とした。

――私は一人の夜を、どのように過ごしていたのだろうか。

もちろん、覚えている。
陰陽道の研究、術の錬磨だ。
お師匠から学んだことをより深く極め、書物を読み、
必要とあれば深夜でも外へ出かけ……

問うまでもない自らへの問いに、即答する。
今夜も、同じように過ごせばいい。
それだけだ。

泰明は部屋に入った。
そこには食膳が調えられていて、
あかねが作っておいてくれた夕餉が乗っている。

『今夜はお留守番、お願いしますね。あ、お夕飯は作っておきますから』
あかねはそう言って、にっこり笑ったのだった。

「いただきます」
手を合わせて箸を取り、もそもそもそ…と口に運ぶ。

あかねが作ってくれるものはどれも美味だ。
だが、なぜかこの料理は味気ない。

それでも残さず食べ終えると、
泰明はあかねに教わった通りに食器を洗って片付けた。

そして自室に入り、陰陽道具の手入れを始める。
すぐに終わってしまった。

書物を読み始めた。
すぐに読み終わってしまった。

覚えているかどうか、思い返してみた。
全部覚えていた。

――お師匠から教わった新しい術を試みてみよう。

だが泰明は立ち上がる代わりに、ぱたんと仰向けに身体を倒した。
天井近くに設えた半蔀から、月の光が射し込んでいる。

そこで初めて、灯りを点けるのを忘れていたことに気づく。
いけない! 神子に叱られてしまう。

だが、あかねに叱られるのは、本当は少しうれしい。
『暗いところで本を読んだら目が悪くなってしまいますよ』
そう言って頬を少しふくらませるところが、とても愛らしいから。
そして、自分を心から心配してくれていることが分かるから。

神子がいなくても、ちゃんとしなくては…。

だが泰明は、立ち上がる代わりに今度はころんと横向きになった。

「神子…」

小さく声に出すと、つきんつきんつきんと胸が痛む。

――土御門に…行きたい。

そうだ! 行こう!

泰明は身を起こした。

「女子会」とは男子禁制の集まりだと聞かされている。
だがそれなら、女房姿になって紛れ込めばいい。
                                                 その時、中空にぽっかりと黒い穴が開き、
                                                 そこから小さなアタマが幾つも突き出された。
                                                 ごそごそ……「ハヤく来いよ」
                                                 ごそごそ……「痛いっ。押すなって」
                                                 現れたのは、バクの子供達だ。

「あーあー、あーああ」
発声練習をして、高い声を出してみる。
                                                 「ねえ、あのオジさんがキョウアクな陰陽師なの?」
                                                 「そうだよ」

「神子、問題ない…わ」
                                                 「……ヘンな声を出したぞ」
                                                 「キョウアクだからだよ」
                                                 「すげえ…」
                                                 「怖いね…」

…いける! 声には問題ない。
                                                  「ユダンするなよ。見つかったらオシマイだ」
                                                  「ダイジョウブだ。オイラにヌカリはない」


だが…今度もまた泰明は立ち上がらず、しょぼんとうなだれた。
――いや、止めて…おこう……。
私は神子に頼まれたのだ。
ちゃんと留守番をするように…と。
                                                  「このままヤツが眠るまでこっそり隠れていれば」
                                                  「オイラたちはオトナの夢を喰えるんだよねっ」
                                                  「わくわく」
                                                  「わくわく」
                                                  「わくわく」
                                                  「早く寝ないかなあ、オジさん」
                                                  「あれ、今日はおねえさんがいない。…どうしたんだろう」
                                                  「きっと、キョウアクだから、おねえさんにキラわれたんだよ」
                                                  「フラれたんだねっ」
                                                  「そーか! だから一人な…」

ぎろっ!
                                                  「あっ! 見つかった!」
「姿を現せ! バク!」
「うわぁぁぁぁっ」

泰明に睨まれて硬直した子バクたちは、
隠れていた穴からぽろぽろと転がり落ちた。

「誰が神子に嫌われたと言うのだ」
「ひぃぃぃぃっ!」
「ほ、本当にキョウアクだ…」


「人の夢を喰らいに来た上に、
私が神子に嫌われたなどと不吉な言霊を投げつけるとは…」

「きぃぃぃ〜(びぇぇ〜〜〜ん! たすけてよぉぉぉ!)」
「きーききー…きゅんきゅん(どーしよー…今日はやさしいおねえさんがいない…)」

子バクたちは、ひとかたまりになって震えている。

その時、空中の穴から、どさどさどさっと親バク達が飛び降りてきた。
「き、きいきききき!(ど、どうかお許し下さい!)」
「きいきいき!(二度とこのようなことはいたしませんから!)」
「きききっきっ!(子供達はキツく叱っておきます!)」

親バク達は長い鼻をひくひくと震わせながら、
幾度もひょこひょこと頭を下げた。

「かあちゃん…」
「とーちゃん〜〜」
「こらっ! お前達ときたら、何てことを!」
「よりによって、この人の夢を喰いに来るなんて」
「このお方の夢には十八禁の標識が出ているんだぞ。
キマリを守らんヤツはおしおきだべ〜」
「だってオイラたち、セイシン的にはオトナだもん」
「そういうことを言うのが子供の証拠なのよ!」
「一緒に謝りなさい!」
「………は〜〜〜〜〜ぃ」


灰色の毛の塊が、泰明の足元で揃ってまん丸くなった。
バクが全員揃って頭を下げたのだ。

不吉な言霊はもう放たれてしまった。
だがバクの子供の弱い呪など、すぐに祓うことができる。

「もういい。行け」
泰明は仏頂面のまま言った。

これ以上バク達を引き留めても仕方ない。
神子がいなかったことが、せめてもの幸いだ。
子バクばかりか親バクまで、神子になつくに決まっているからだ。

キョウアクな陰陽師の思いがけない温情に驚き喜んで、
バク達は帰っていった。

子バク共はしおしおとうなだれていたが、当然のことだ。
きつく叱られるといい。

何が、『オイラたち、セイシン的にはオトナだもん』だ。

二歳児が、自分
 ↑     は大人だ
 だ     と言い
 もの   張る
   ような

ん?

泰明は小さく首を傾げた。
なぜ、言の葉が自分に戻ってくるのだろう。

その時、土御門の式神が泰明を呼んだ。

即座に式神と視界を繋ぐ。
と、そこにはあかねが映っていた。

「神子!」
『やっぱり、木の上の梟は泰明さんの式神さんだったんですね』
「……神子、何かあったのか?」

あかねはにっこり笑って首を振った。
『そうじゃなくて、私は大丈夫ですって言いたかったんです。
私を心配して、式神さんを置いてくれたんでしょう?
ありがとう、泰明さん』
ぽっ…あかねの笑顔が眩しい。
「神子、お前と話せてよかった…」
『私も、お礼が言えてよかったです』
「早く神子に会いたい」

あかねはにっこり笑った。
『じゃあ、明日の朝、迎えに来てくれますか?』
「行く! 必ず行く!!」
『それなら、早く寝ましょうね』
「わかった、すぐに寝る」
『おやすみなさい、泰明さん』
「おやすみ、神子」

泰明の胸に疼いていた、つきんとする痛みが消えた。

明日は朝一番で神子を迎えに行くのだ。
そして神子に、ちゃんと留守番をしたと伝えよう。

ことん……
次の瞬間、泰明は小さく微笑みながら眠りに落ちていた。






[小説・泰明へ] [小説トップへ] [ご案内へ]


有能な陰陽師の泰明さんを続けて書いたので、
今回は二歳児全開の泰明さんです。

ゲストのバクたちは、 「夢喰観音・フクシュウ編」から出張してきました。
「18禁」(笑)云々も、同オマケSSSに出てきたものです。


2011.10.03 筆