蛍 火   (後編)


「神子、気をつけて下さい。この霧には、何か悪しき気配を感じるのです」
「そうですね。私も気分が何だか重苦しくて・・・。
早く泰明さんの所に戻りましょう、永泉さん」

二人は引き返そうと振り返った。
しかし、そこには見たこともない森が続くのみ。

「え?何?道がなくなってる」
「落ち着いて下さい、神子。これは魔性の者の仕業に違いありません。
どうか、私の側を離れないようにして下さい」

その時、幽かな笛の音が聞こえた。
「あ・・・あの音は」
「笛・・・かしら?誰かが、この霧の中で笛を吹いているの?」
「神子、私達は、大変な所に来てしまったのかもしれません」
「ど、どういうことですか?」
「先程の、安倍家の方々のお話によれば・・・」
「あ、行方不明の楽師さんが、笛の音を聞いているって・・・」
「あなたを危険にさらすことはできません。何とかしてここから逃げましょう」

「でも、永泉さん、もしこれが怨霊のしていることだったら、
このままにしてはおけません」
あかねは、霧の奥を見つめている。
「神子・・・。あなたはお強いのですね」
永泉の頬が、うっすらと染まった。
「けれど、このようなところで龍神の神子が行方不明になってしまったら
京の街はどうなるのですか」
「・・・・・・・」
「怨霊の仕業と決まったわけではありません。けれど、この笛・・・」
「永泉さん・・・?」
「何という、悲しい音色でしょうか」

笛の音が近くなった。
霧に巻かれ、方角がわからない。
気がつけば、目の前には、しのぶ草を生い茂らせた、傾いた門。
荒れ果てた庭に、女が一人立っている。

二人の姿を見て、女は笛を下ろした。
妙なる調べがやみ、霧に包まれた庭を静寂が支配する。

意を決して、あかねは前に進み出た。
「あ、行ってはいけません、神子」

「神子・・・?」
女はいぶかしげにあかねを見、永泉に視線を移した。
「私の笛を聞いたのは・・・そちらのお方・・・?」

「きゃあっ!!」
あかねが悲鳴を上げた。
「どうしたのです、神子?!」

永泉があかねの指さす方を見ると、伸びるに任せた草の間に、
いくつものしゃれこうべが転がっている。
「何と恐ろしい・・・」
永泉は数珠を握りしめた。

「神子、大丈夫ですか?!」
「恐いけど・・・、このままにしてはおけないですよね」
あかねの顔は蒼白だったが、永泉に向けた眼には、強い光が宿っていた。

その眼を、真っ直ぐに女に向ける。
「答えて下さい。あれは、あなたがやったことなの?」

女がうっすらと笑った。
「違う者達は・・・いらない。そんなことよりも・・・・・
御坊様・・・あなたは、この笛が吹きたくはないのですか・・・」


「行けっ!!」
泰明の手から式神が放たれ、霧の中、矢のように飛んでいく。

笛の音に向かって、泰明も走る。
この音が聞こえている内はよい。
それが鳴りやんだら・・・その時には神子と永泉が危ない。

霧を起こし、人の心を惑わせるこの音・・・
これは、魔性の笛だ。

神子!
すぐに行く!!
だから、無事でいてくれ・・・!!
どうか・・・。

泰明は、自分の考えていることに驚いた。
自分は今、冷静さを欠いている。これでは正しい対処ができない。

気を整えなければならない。
しかし・・・できない・・・。
神子のことばかりが浮かんでくる。
どうしたというのだ!

その時、笛の音がやんだ。
「神子っ!!!」


女は細い手をのべて、永泉に笛を差し出した。
「どうか、吹いて聞かせて下さいませ。
あなた様こそ・・・あのお方なのかもしれませぬ」
女は潤んだ瞳で永泉を見つめた。
しかし、その周りに立ち上る障気が、永泉には見える。

「神子・・・間違いありません。この方は、怨霊です」
あかねを後ろにかばいながら、永泉は言った。

女は眉をひそめてあかねを見た。
「邪魔な娘・・・。なぜ、お前にこの音が聞こえた・・・?女人は・・・違う。
呼んではいないのに・・・お前はいらぬ!!」

女は腕を振り上げた。
黒い刃があかねの頭上に現れ、女の腕が振り下ろされるのと同時に、
あかねを襲う。

「きゃあああっ!」
「神子っ!」

だが、次の瞬間、刃が宙に飲み込まれるように消え、
「うっうう・・・う・・・」
苦悶の声を上げたのは女の方だった。

何が起きたのかわからず、あかねと永泉は、苦しむ女を呆然と見ている。

そこへ
「遅くなった」
門をくぐって庭に入ってきたのは泰明だった。

「泰明さん・・・」
あかねは泰明に駆け寄った。
「泰明殿、ありがとうございます。よくここがおわかりに・・・」
永泉の言葉を、泰明は素っ気なく遮った。
「問題ない。式神に護符を持たせ、先に行かせただけだ」
女の背に、梟が護符をつかんだまま爪を立てている。

「ありがとう、泰明さん・・・私・・・」
あかねは震えている。
    ズキン!
泰明に痛みが走る。
    すまなかった・・・神子
それを振り払うように、言う。
「無思慮な行動はとるな。永泉も、そのような時まで神子に従うことはない」
「ごめんなさい」
「も、申し訳ありませんでした」
    恐ろしい思いをしたばかりの神子に
    ・・・なぜこのようにきつい物言いをしてしまうのか

「こやつの正体は、怨霊だ。すぐに倒す」
泰明は女に向き直った。
神子を殺めようとしたこの怨霊・・・許せぬ。

女の目が、ぐわっと見開かれた。その顔が、鬼女のそれに変容する。
「そうはさせない!!」
背中の式神が、護符と共に粉々に吹き飛ばされる。
「・・・私は・・・待っているだけだ・・・邪魔をするな!!」
すさまじい障気の霧が三人を襲う。

しかし

「娘、なぜお前は」

あかねの周囲に、霧は近づけない。

「私は龍神の神子。あなたを、封印します」

女は髪を振り乱して叫ぶ。
「だめだ!だめだ!まだ、あの方が来ないのに!」

あかねが両手を伸ばして泰明と永泉に触れる。
二人の周りからも、障気が消えた。
泰明の術が女を撃つ。

「なぜ・・・邪魔をする・・・。永遠の契りを交わしたあの方に・・・
再び会うまでは・・・・何人たりと・・・」

「お前の事情など知らぬ。しかしそのために、お前は多くの楽師の命を奪った。
その罪、贖わずにいられると思うのか」

再び印を結んだ泰明を止めたのは、永泉だった。
「お待ち下さい・・・泰明殿」
「なぜ、邪魔だてするのだ、永泉」
「あ、あの・・・この怨霊に・・・確かめたいことがあるのです」
「怨霊の言の葉に、耳を貸すというのか」
「す、すみません。けれど、この方が横笛にこだわった理由を、
どうしてもお聞きしたいのです」
永泉の必死な様子に、あかねも一緒に懇願した。
「お願い、泰明さん。少し、待ってあげて下さい」
泰明は、黙って印を解いた。

永泉は目礼すると、女に問いかけた。
「あの、あなたのお名前は・・・」
女は永泉を見たが、黙したまま。
「蛍火・・・というのではありませんか?」
女の顔に驚愕の色が浮かび、次には、すがるような表情になった。
「なぜ・・・それを・・・やはり、あなたが、あのお方・・・なのか」

「永泉、そのようなこと、どうして知っている」
泰明も問う。
「笛のお師匠様からうかがったことがあるのです。
聴く者の心をとらえて離さない、不世出と賞賛された笛の名手がいたと。
けれど、その方は胸の病を患って、人々の前から姿を消したそうなのです。
その方が愛し、片時も手放さなかった笛の名が、蛍火・・・と」

「おお!!その方だ!!私が帰りを待っているのは、その方だ!!」
身をよじりながら、女は狂おしく叫んだ。
あかねと永泉は、痛ましげにその様子を見る。

「三日月の晩、私と共にいた・・・私は心からあの方のために歌ったのに・・・
あの方は私を水に落としてしまわれた。
そしてそのまま、私を拾うこともされずに、去っておしまいになられたのだ」

「蛍火殿・・・その方は、もう・・・この世にはおられないのです」
「うそだ!!私を謀ろうとしても無駄だ!
あれほど私を慈しんで下さった。この私がいなければ、生きられぬと仰った。
黄泉路を行くならば、私も共に連れて行って下さるはずだ!!」

「だから、その人にまた会いたくて、楽師さん達を呼びよせたんですか?」
あかねが、涙に滲んだような声で言った。
その声の調子に、女の口調が和らいだ。
「私は、あのお方の顔を知らぬ。だが、いつも私を抱いて、唇を寄せて、私を奏でてくれた。
あの優しく温かな音色は、忘れることがない。
だから私を奏でれば、あの方かどうか、わかるのだ・・・」

女は目を閉じて、両手で己が身体を包み込んだ。
「あの方のように私を奏でる者はいない。
あの方のように私を愛しんでくれる者もいない」

「怨霊よ、お前の主はすでにこの世にない。笛の師匠から聞いたその話、
何年も前のことなのだろう、永泉」
「は、はい。その方は、大量の血を吐かれたのです。隠れ住んでいた庵の庭で
倒れているのを弟子が見つけたのですが、その時にはもう・・・」

女はがっくりと膝をついた。
「ああ・・・、その時、私はずっと、なす術もなく水の中にいたというのか・・・」

「庭の池が涸れ、お前は地上に出た。そして、持ち主への執着が、お前を怨霊としたのだ。
よく見よ!その笛の有様を!まやかしの呪詛を、解く!」
泰明の指先から、女の手の笛に向かい、青い光が放たれた。

光に撃たれ、笛の姿が変わる。
漆黒の色は褪せ、表面はひび割れ、指穴は崩れて、全体の形すら歪んでいる。

「えっ?」
「あの美しい笛が・・・・」

「う、う、うああああーーーっ!!」
女の悲鳴が響き渡った。
「これが・・・私なのか・・・?このように・・・醜くては・・・もうあの方に抱いてはもらえぬ!!
あの方に・・・あの方にはもう・・・会えぬということなのか?!!」
「そうだ」
「いやだいやだ!!もう一度、会いたいのだ!!あの方のために、美しい楽の音を・・・」

「お前は、人ではないのだぞ」
     なぜだ
女は天を振り仰いだ。

「お前は、人に作られたモノだ」
     私は、正しいことを言っている
女は、何かを掴もうとするかのように、中空に手を伸ばした。

「楽を奏でる目的のために作られた道具なのだ」
     なのに、私の言の葉が
女の手が、宙をかきむしる。

「人ならぬお前が、人を想い、身を焦がしても・・・」
     痛い
女は、力なく手を下ろした。

「それは間違いだ!!」
     胸が・・・苦しい
女は泰明を振り返る。

「あの方は、仰った。私が・・・愛しいと・・・」
「お前の想いは、邪恋に過ぎない!!」

「泰明さん、やめて!」
あかねが女をかばうように、泰明との間に入った。

「神子、危険だ。離れていろ」
「泰明さん、この人をもう責めないで・・・」
「違う、神子。これは人などではない!怨霊だ。分をわきまえず、
人と共にあろうと願ってしまった、あわれな道具の・・・なれの果ての姿なのだ」
「この人は、元の姿は人間ではないかもしれない。
怨霊となって、償いきれないこともしてしまった。
でも、人を想うことで、心が・・・魂が宿ったの・・・。
その想いだけは・・・どうか・・・傷つけないで・・・お願い・・だから」

あかねの身体が清らかな光に包まれる。
その光の中で、あかねは泣いていた。

      神子、なぜ泣く
      このようなもののために、なぜお前が泣くのだ

「龍神の神子・・・お前は、私を人・・・と言ってくれるのか?
私のために、涙を流して・・・くれるのか?」
女が、美しい姿に戻っていく。

「蛍火さん、私に、あなたを封印させて・・・下さい。
もう、これ以上、罪を重ねないで。
だって、いくら探しても、あなたの愛した人は、もうこの世には・・・」

女は目を伏せた。
「そう・・・だった・・・あの晩、あの方の唇から・・・私に流れてきたのは
あの方の血・・・だったのか。
ああ、私の衣は・・・あの方の血の色に染まっていた・・・」

「蛍火殿・・・その方の魂は天に昇り、今では京を巡る気となっていることでしょう」
永泉の言葉に、女はか細い声で問うた。
「私も・・・天に昇れるのか?私も気の流れとなり、あの方のもとに行かれるのか?」
「神子の封印とは、そういうものだ。穢れを浄化し、救いとなる」
「そうか・・・」

女の顔に、安らいだ笑みが浮かぶ。
「もう・・・本当に・・・あの方はいないのですね。
私も、行きます・・・浄化されて、あの方と共に、京の気となりましょう」

「蛍火さん、こんなに壊れているのに、あなたの音色はとてもきれいで悲しかった。
それはきっと、あなたの想いが美しかったからだと思います」
あかねを包む光が強さを増す。

「ありがとう・・・龍神の神子。
あなたの力は、温かで、優しい。闇に捕われた私まで、救ってくれる・・・」
女の姿がゆっくりと消えていく。

そのあとには、古く傷んだ笛が残された。
そしてその笛もまた、音もなく崩れ去る。

「永泉、笛を吹いて・・・やって・・・くれないか」
「え・・・?泰明殿、今、何と?」
「一度で分からないのか。笛を・・・あの怨霊のために、吹いてやれないか・・・と言ったのだ」
「は、はい・・・。泰明殿、ありがとうございます」

永泉の笛が響く。
その音と共に、みるみる霧が晴れていく。
澄み渡った空に、三日月がかかっている。

天に向かっていく小さな光。
細い月に照らされながら、それは白くきらめき、消えていった。

庭のそこかしこからも、白い小さな光が浮かび上がり、
明滅しながらゆっくりと天に昇っていく。

「しゃれこうべから出てきたあの光は?」
「己の成したことも自覚していないのか、神子」
「すみません・・・」
「楽師達の魂がこの地から解き放たれ、天に還っていくことができたのだ」
「そうかあ・・・よかった。泰明さん、ありがとう」
「神子も永泉もおかしい。私は何もしていない。なのに、なぜ礼を言う」
「あの蛍火さんのために笛を吹いてあげるように、永泉さんに言ったでしょう?
泰明さんて、優しいんですね」

「私が優しいなど・・・くだらぬ!」
「ふふっ・・・私は知ってますから」
あかねは、にっこり笑うと、空を見上げた。

月の淡い光を浴びて立つその姿を、いつまでも見ていたい・・・
泰明は思った。

どうして神子は、このように無邪気に笑い、他愛もないことで悲しみ
他人のことで心をいっぱいにして、それなのに・・・軽やかに自由なのだ。
それが、龍神の神子たることなのか。

神子、お前は、作られたモノにも魂が宿るといった。
その神子の言の葉に、なぜ、私はこんなにも乱れる?
乱れているのに・・・温かい。
それなのに、苦しい。
何なのだ、この矛盾した激しい気持ちは・・・。
身の内から・・・力が・・・失せていくほどに・・・・
なぜ私は、神子の言の葉に・・・神子という存在に揺さぶられるのか。

だめだ!
これでは神子を守れない。八葉としての役目が果たせぬ。
私が造られた・・・意味がなくなってしまう・・・。

私は、神子の道具・・・
それが全て・・・なのだから


      私は
      何を
      願っている・・・
    

      私の願い・・・
      言の葉にしてはいけない
      この想いは
      誤りだ
 

      あの怨霊の如く
      私も
      穢れ・・・だ


      神子・・・・
      お前と共に
      ・・・・・
      私は・・・・





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あとがき

後編が、長過ぎちゃって、ごめんなさい。
五・七・五でまずお詫びを・・・。

さて、「舞一夜」も観て、頭が少し「遙か・1」を思い出したところで、
泰明の誕生日がやってきました。
どっぷりと「遙か」にハマった理由の大部分は、
泰明・・・でしたので、これはもう、サイト的にはスルーできません。

切なさを目指して突進した話ですが、少しはきゅん、として頂けましたでしょうか?

きゅんのために、前書きに書きましたような時期設定もしました。
第4段階まで行ってはいけない、かといって、第3段階の後は家出中なお方。(笑)。

作中、怨霊のおどろおどろしさを出すために、
もう少しグロい描写も(楽師さんの最期とか)書いたのですが、
いろいろ考えた末、骸骨がごろごろするに留めました(汗)。
笛から怨霊への変化に、アクラムが戯れに関わる、というのもあったのですが
(三日月の朧夜に、美女を目覚めさせるアクラム様って、絵になりませんか?)
短編ですので、焦点がぼやけても、と思い、これも却下。
捨て去られた原稿が、いつか怨霊と化すかも(苦笑)。

間もなくゲームの「舞一夜」も発売。
んふっ♪楽しみですね。