幸せのおまじない

「病は気から」の続きです


安倍の屋敷の奥、花に囲まれた坪庭に、泰明は所在なげに佇んでいる。
微風にはらりと散った花びらが顔の前を流れても、
飛び交う蝶が髪に止まって羽を休めても、
淡い色の空を見上げたまま、動かない。

――私の中で崩れてしまった陰陽の均衡を、
お師匠は直してくれなかった。

私が自ら犯した過ちだからか。
なぜか、自分で為したことなのに、自分自身を直せない。
しかし、私が事情を話している間、
お師匠の頬がひくひくしていたのはどういうことだろう。
よく…分からない。

泰明は小さく首を傾げた。
その動きに驚いて、肩に止まっていた蝶がひらひらと飛び立つ。

お師匠はなぜ、あのようなことを私に命じたのだろう。
――陰陽のまじないで直そうとしてはならない…と。

神子は、まだ来ないのか。
鍵の手に曲がった簀の子の向こうを見やった時、
晴明の部屋の結界が開き、明るい気が流れてきた。
ぱたぱたと走る軽やかな足音が聞こえる。

「神子!」
高欄を跳び越えて簀の子に降り立ち、駆けてきたあかねを腕に抱き留めた。
しかし、あかねはいきなり意味不明のことを口走る。
「泰明さん、ハネムーンですよ!!」

「はねむうん?」
あかねは頬を染めて頷いた。
「泰明さん、お休みをもらったんでしょう?」
「そうだ。しばし療養するとよいと…」
「晴明様は、私達にハネムーンをプレゼントしてくれたんです」
「羽根無運? 振れ前途?」

あかねの顔が、さらに赤くなった。
他に聞いている者はいないのに、泰明の耳のそばでひそひそ声で説明する。
「私の世界の言葉で、プレゼントは贈り物のことで…
ええと、ハネムーンていうのは…ぽっ
結婚したばかりの二人が…ぽっぽっ
もっともっと仲良くなるために、一緒に旅に出ることです」

あかねの言葉を聞きながら、泰明の顔も、どんどん桜色になっていく。
――神子と私が二人きりで、
もっともっと仲良く……ぼぼぼっ!

「派合歓云では、私に熱が無くても、神子はおでこをこつんとしてくれるのか?」
あかねはにっこりした。
「はい」
「手を握ってくれるのか?」
「はい、ずっと手をつないで歩きましょう」
「夜も?」
ぽっ…はい」
「私が眠っている時も?」
「はい」

あかねの耳元に口を寄せて、泰明はささやき声でさらに何かを問うた。
「はい…」
あかねの胸の鼓動が、泰明に伝わってくる。
「だったら…神子……は……のか?」
あかねは泰明の着物をぎゅっと掴むと、こくんと頷いた。

「ありがとう、神子……」

泰明の腕の力が緩み、あかねは大きく息をつく。
そしてドギマギしながら、小さく呟いた。
「で……でもそれだと………が…」
と、その時、泰明の様子に気づく。

神子と…ずっと一緒に…
怨霊にも
兄弟子にも
頼久にも
イノリにも
鷹通にも
友雅にも
永泉にも
子供達にも邪魔されずに……

二人だけで……
もっと仲よく………

ぼわっ!!!!!!!!
……………………………


「どうしたんですかっ、泰明さん!!! まだ具合が!!!?」
火を噴いて動かなくなった泰明に、あかねが心配そうに尋ねる。

しかし、すぐに泰明は元の様子に戻った。
小さく微笑んで答える。
「問題ない、神子。心配させて悪かった」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。さあ、行こう、跳夢雲へ」



二人が屋敷の門を出ようとした時、
内裏の調伏から帰ってきた兄弟子達と鉢合わせした。

「あれ、泰明じゃないか」
「お師匠様に診てもらったんだろ、どうだった?」
「ぴんぴんしてるな。もう治ったんじゃないか」

泰明はにべもなく答える。
「私がどうかしたのか?」

兄弟子達は拍子抜けした顔をした。
「なあんだ、今朝のはやっぱり泰明の式神だったのか」
「どおりで、やけに愛想がいいと思ったぜ」

「本人と式神の区別も付かないのか」

「これは…この憎たらしい言い方は」
「泰明だいつもの泰明だ!!」
「今朝の不気味なさわやか泰明は、本当にお前だったのか?」

「病は完全に治癒した。
二度と『兄弟子の皆さん』などという猫なで声は出さないから安心しろ」

「治ったのか! よかった〜〜」
「やっぱり泰明は無愛想じゃないとなっ!」
「そうだそうだ、失礼なヤツだから堂々とイヤミが言えるんだ」

きょとんとしてやりとりを聞いていたあかねが、
一瞬喜びの表情を浮かべ、次にはっと気がついて青ざめた。
「泰明さん、治ってたんですか!
だったら、旅に出たりしたら、ずる休みになってしまうんじゃ…」

しかし泰明は平然としている。
「問題ない。お師匠が一度口にしたことだ」

兄弟子達は一斉に頷いた。
「遠慮することないぞ、お前がいない間は俺達ものんびりできる」
「休みかあ、うらやましいぜ」
「陰陽師が物詣でってのも、たまにはいいよな」
「しかも可愛い嫁さんと一緒か。行って来やがれだ! がんばれよ」
「そうだそうだ! 男を上げてこい、泰明」

「では行ってくる」
泰明はあかねの手を取ると、くるりと背を向けた。
「あ、ありがとうございます!
しばらく留守にしますけど、よろしくお願いします」
思いがけなくも、あたたかな言葉を贈ってくれた兄弟子達に、あかねは深々と頭を下げるが、
頭を上げる前に、泰明がその手を引っ張って歩き出す。

陽はまだ高い。
京の街はうららな陽の下で、今日も活気に満ちている。

「神子、どちらに向かおうか?」
穏やかな風が泰明の髪を揺らし、あかねの上気した頬を吹きすぎる。
「泰明さんは、どこに行きたいですか?」

泰明は、小さく首を傾げた。
「跳寝夢雲米微意とは、どこで入手できるのか」

「え……泰明さん、どこでそんな…」
「さっき、神子が言った」
「きききき聞こえてたんですか」
「聞こえていた。神子がほしいなら、探す」
「わわわわ忘れて下さいっ!!」
「わかった。しかし、ほしくなったらいつでも言…」
「言えません〜〜〜っ!」

一条の空を、白鷺が舞っている。
その白鷺の目を通して一部始終を見届け、晴明は静かに微笑んだ。

――泰明の病を癒やすまじないは、あかね殿にしか唱えられぬ。
泰明を、よろしく頼みましたぞ。






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「熱が出たなら」から始まるミニ3部作、めでたく完結していたのですが、
未練たらしく続きを書いてしまいました。

泰明さん好きのあまり、いろいろと壊れていた管理人が、
さらにあちこち壊れまくったもので……。
泰明さんが幸せな様子を書きたくてたまらず、
勢いに任せて突っ走りました。
その挙げ句、ブレーキがきかずに滑りまくったのですが(大汗)、
今さらアホをさらしたからって、どうってことないわい。

萌えに任せた話を読んで下さった皆様、ありがとうございました!!


2009.12.15 筆