小望月の夜に

泰明×あかね 京ED後

小説部屋の泰あかSS 「星降る夜に」の続きです。

















夜空から叫び声と一緒に人が降ってきた。
庭に立つ桜をすり抜けて、そのままドサッと地面にぶつかる。

「痛たたた……」
声から察するに若い男のようだ。
空から落ちたというのに怪我をした様子もなく、
若者は木の根方からすぐに立ち上がった。
そして周囲をきょろきょろ見回す。

若者は首を傾げた。
「あれ…? この家でいいはずなのに……誰もいないのかな」

その時暗がりから、怖ろしげな姿をした式神が現れた。
しかし若者は旧知の仲のように親しげに声をかける。
「ねえ、この家に住んでるみこ…ととと、みこさんて呼んじゃいけなかったんだ。
ええと、あかねさん…だったかな。あ! これもダメって言われたんだっけ。

可愛いらしい子と無愛想な人って、もしかして留守?
もうすぐ帰ってくる?」
式神は答える代わりに唸り声を上げた。

若者は腕組みして、式神に向かって話し続ける。
「困ったなあ。ここから帝のところまでは、どうやって行くんだっけ…。
君、分かる? うーん、分かるはずないか」
そしてため息をつきながら夜空を見上げる。
「明るい月だなあ。星がよく見えないや…どうしよう」





「今宵は小望月か…」

ここは内裏の奥の間。
庇に下り立った帝は、煌々と輝く月を一人見上げている。

「永泉も今頃土御門で、
神子や八葉達と一緒にこの月を見ているのだろうか。
祝いの宴に招かれたと言っていたな。
さぞ賑やかで楽しいことだろう…」

帝が小さなため息をついた時、
庭に満ちていた虫の声が一瞬途切れた。

同時にズシン! と、すぐ後ろで地響きがして…

「ンモ…」
振り返った帝の目の前には、
美しい房飾りをつけた毛づやのよい牛がいた。

「お…お前はあの時の」
牛は穏やかな目で帝を見ると、嬉しそうに小さく啼いた。
「ンモッ♪」





土御門の藤姫の館では宴が開かれている。

今日は長月十四日。泰明の誕生日を祝う宴だ。
生まれた日を祝うというのは馴染みのない風習だが、
あかねの世界ではとても大切な日なのだという。

「ならば神子、二人きりで祝おう」
「だから泰明さん、みんなでお祝いしましょう」

――そして結局、泰明はあかねの笑顔に逆らえなかった。

あかね率いる、にわか作りの八葉+藤姫合唱団の
迫力あるお経のような「葉ー比婆ー素手ー露〜♪」に続き、
運ばれてきた祝いの膳を囲む。
気心の知れた仲間同士、話が弾み酒も進むのは当然のこと。

永泉と友雅が、月を見上げて歌など詠み、
いつもは庭にいる頼久も、今夜は庇に上がって、
鷹通と何やら話し込んでいる。
イノリは旺盛な食欲で膳にかじりつき、
あかねと藤姫は笑いながら語り合っている。
今や宴もたけなわ、といったところだ。

――神子が楽しいならば、祝いの宴も悪くはない。
だが…

泰明は小さく首を傾げた。

八葉は、頻繁に私達の家に来ている。
来れば長居をして宴のようになることもしばしばだ。

今夜と、どこが違うのだろう…。

その時、気配に気づいて泰明は庭に眼をやった。
松の高い枝に、留守居に置いてきた梟の式神が飛来したのだ。

庭に下り、報告を聞く。

――家の庭に闖入者? 空から落ちてきた?

いやな予感がした。
七夕の頃に牛を探して降ってきた若者のことを思い出す。
軽佻浮薄な性格だったと記憶しているが、そのようなことより問題なのは、
あの男が、妻と引き離されるという不吉の気を纏っていることだ。

なぜまた現れた…。

理由はだいたい予想がつく。
それは、式神がそのままに伝えた若者の言葉によって、確信に変わった。

「泰明殿、何か変事でも?」
頼久が傍らに来ている。
松の木にいるのが式神だと気づいたようだ。

「泰明さん、式神さんは何て言ってるんですか?」
庭に下りる階の上から、あかねが尋ねた。

「お〜い泰明、どうしたんだ?」
「泰明殿…あの…もしやその梟は、式神では」
「月に浮かれ、宴に加わろうと飛んできたのではないかな」
「友雅殿、式神は用がなければここに来ることはありません」

「皆様、どうなさったのでしょうか?」
藤姫もやって来た。
今やみんなが庇に集まり、泰明を見ている。

――厄介なことにならねばよいが。

そう考えながらも泰明は振り返り、いつもの答えを返そうとした。
「問だ…」
だがその言葉が終わらぬうちに………





「ンモ?」
牛は太い首を動かし、周囲を見回した。
そしてゆっくりまばたきすると、問うように帝を見つめる。

「もしかして、永泉を探しているのか?」
「モ〜」
牛は首を小さく縦に振った。

「永泉の住まいはここではなく、御室の寺なのだ。
だが今宵は土御門の宴に出席している」
「モ」
「永泉に会いたかったか。
せっかく来てくれたというのにすまなかったな」

「モ…モ」
牛は首を振り、帝に頭をすり寄せた。
帝の顔に、笑顔が広がる。

「そうか、私にも会いたかったのか」
「モ!」

そこで帝は気づいた。
「牛よ、私はお前と話している…」
「モッ」
「不思議だ。お前は『も』としか言わないのに」
「モ〜モ」
「そうか、不思議などではないか。
言葉ではなく、気持ちが分かるからなのだろう」
「モモッ」

帝は牛の頭を撫でながら、空の月を眺めた。
「このことを永泉に話したら、どのような顔をするだろうか。
きっとうらやましがるに違いない」
言葉とは裏腹に、帝の声は淋しそうだ。
「モ…」
牛は帝の横顔を見た。

「牛よ、心の通じ合う者同士の宴とは、
きっと楽しいのだろうな」

「モーモッ!!」
力強い鳴き声と共に、牛の身体を黄金の光が覆った。

「牛よ、もう帰るのか?」
問うた帝の身体がふわりと浮き上がり、牛の背にすとんと下りる。

「ンモ〜〜〜ッ!」
牛は帝を乗せたまま、四肢を揃えてぴょんと飛び上がった。

そして、
「おお……」
驚きの声を上げた帝と共に、その姿が空中に消える。

「主上、異な声が聞こえましたが、いかがなさいましたか」
入れ違いに警護の者がやって来たが、元より返事はなく、
部屋にも庭にも帝はいない。

「たっったったっ大変だああああ!!!」
「主上が…主上があああああああ!!!」
「いなくなったああああああああ!!!」

内裏は大騒ぎになった。





「…いない」と続けるはずだったが、
泰明はその言葉を飲み込んだ。
みんなもあっけにとられ、一様に声も出ない。

ズシン!
「ンモッ…」
「おおっ、ここは…」

みんなの真ん中に、牛が降ってきたのだ。
しかもその背中に帝を乗せて。

「モ〜〜〜〜♪」
牛は、固まっている永泉に向かって嬉しそうに鳴いた。

「お…お…お久しぶりです、牛殿」
「モモモ♪」
「牛も再会を喜んでいるぞ、永泉」
「兄上…いえ、主上、牛の言葉が分かるのですか」
「その通りだ永泉。
おお、友雅もいるな。どうだ、驚いたか」
別の意味で 一瞬、心の臓が止まるかと思いました、主上」

泰明は黙したまま、すっと腕を上げた。
その手に式神が止まり、命令を受けるとすぐに飛び立つ。

――すでに厄介なことは起きてしまった。
今できるのは、事がこれ以上大きくならないよう、
あの不吉な若者をここに連れてくることだけだ。

「すぐに戻る」
そう言って泰明は、梟の向かった方角、西に向かい
庭を真っ直ぐに突っ切って歩き出す。
門を使うのも時間が惜しい。そのまま跳び越えるつもりだ。

「牛飼いさんを探すんですか? 私も一緒に行きます」
あかねが追いかけてきた。
泰明は足を止め、微笑んで頭を振る。
「神子は、ここで待っていろ」

「でも泰明さん…せっかくのお誕生日なのに」
「案ずるな。私のことなら心配は要らない」

「泰明殿には、あの若者の行き先に心当たりがあるようだが?」
友雅もやって来た。
「そうだ」
「彼はきっと今度も牛を探しているのだろうね。
だとすると、その行き先とは内裏…かな?」
「そうだ」
「天上人と言ってもずいぶん人騒がせなものだね。
だが主上は、突然の出来事を楽しんでおられるようだ」
友雅の言葉に、あかねも頷いた。
「私にもそう思えます。とても嬉しそうですね」

「帝は牛と永泉に任せておけ。私はもう行く」

泰明は暗夜に紛れて歩み去った。


――そうか…内裏に行くなら、泰明さん一人の方がいいよね。

泰明の後ろ姿を見送りながら、あかねは深呼吸して気を取り直す。

お祝いは中断してしまったけれど、泰明さんはすぐに戻ると言っていた。
泰明さんを信じよう。

「がっかりしているのかな、神子殿?」

顔を覗き込んだ友雅に、あかねは元気よく頭を振った。
「大丈夫です! 友雅さん」

そしてみんなの元に戻ると、あかねはにっこり笑って提案した。

「牛さんは、帝と永泉さんに会いに来てくれたんでしょう?
だったら泰明さんが戻るまで、ここでみんな一緒にお月見をしませんか」

みんなが喜んで賛成したのは、言うまでもない。





――あの男、許せぬ!

あかねから見えない所まで来ると、泰明は全力で走り出した。

あかねの悲しそうな声が、まだ耳に残っている。
『でも泰明さん…せっかくのお誕生日なのに』

これでは宴が台無しだ。
私の祝いはどうなってもよい。
しかし、この宴は神子の気持ちなのだ。

許せぬ!!

泰明の怒りは激しくなるばかりだ。


一方内裏では、すでに騒ぎが起こっていた。
若者と衛士達との追いかけっこが、延々と繰り広げられている。

「いたぞ!」
「こっちだ!」
「曲者待てっ!」
「だーかーらー私は曲者とかじゃなくてー」

若者は意外と足が速く、なかなか捕まえられない。

「あっ! ここにいた!」
「殿上人の姿をしたところで」
「ごまかされぬぞ!」
「ごまかすなんて、人聞きが悪いなあ。
礼を尽くしてるつもりなんだけどなあ。
なんで気持ちを汲んでくれないのかなあ。
お義父さんもあなたたちも」

「ええい、よくしゃべるやつめ!」
「今度こそ!」
「ていっ!」

何とか追いついた者達が、一斉に飛びかかる。
しかし、むんず…と袖や襟を掴もうとすると、
なぜか手応えなく、するりと逃げられてしまう。

それが一度や二度なら、逃げ足が速く悪運が強いやつ…と思うだけだが、
何回も繰り返し、同じ事が起きるとなると、話は別だ。

次第に皆、薄気味悪い心地がしてきている。
雲を掴もうとしているかのように、若者には手応えがなさ過ぎるのだ。

これではまるで、幽霊…ではないか。
それにしては、かなり饒舌で軽薄だが。

しかし、たとえ若者が本物の幽霊だったとしても、
このまま取り逃がすことは断じてできない。
この者は、帝がいなくなったのと同じ頃、
清涼殿にほど近い仁寿殿の庭に現れたのだ。
帝の行方不明と無関係ではあるまい。
一刻も早く捕らえて、帝の居場所を聞き出さなければならない。

「待て!」
「いやですよ〜、あななたち、恐すぎます。
私は牛を探しているだけなんです。無実です」
「出任せを言うな!」
「信じて下さい」
「信じられるか!」
「なんで信じてくれないのかなあ。
お義父さんもあなたたちも」

その時、若者の頭に名案が浮かんだ。
「そうだ、どこかに隠れればいいんだ!」
若者は、ふわりと透渡殿を横切って反対側の庭に下りる。

しかしその姿が追っ手の視界から外れた瞬間、
凄まじい気が迸り、若者の脚がガクンと止まった。
五角形の光が、その身体を縛している。

若者は眼をぱちくりさせながら、
行く手に立ち塞がる仏頂面の泰明をまじまじと見た。
「わぁ〜、すごいなあ。
地上の人なのに私を押さえられるなんて」

そして若者は嬉しそうな顔になって続ける。
「あなた、あの桜の木のある家の人ですよね。
ちょうどよかった。牛を探してるんです。
きっとまた帝の所に…」

泰明は際限なく続きそうな言葉を、ぴしゃりと遮った。
追っ手が迫っているのだ。必要なことだけ言えばいい。

「同意する。
黙れ。
さっさと帰れ」

一番目は、文月の夜に若者に問われた事への答え。
二番目は、この場を脱するための命令。
三番目は、結論だ。

「へ……?」
若者はわけが分からない。

しかし泰明には、いちいち説明する気など全くない。
躊躇なく掌を若者に向け、呪を唱える。

ほぼ同時に、透渡殿を越えて追っ手達がわらわらとやって来た。
「こっちだ!」
「ん? いないぞ」
「おかしいな…確かに渡殿を横切ったはず」
「横切ったと見せかけたのかもしれない」
「植え込みの陰に潜んでいるのかも」
「逃げ足の速いヤツのことだ。もうこの辺りには」
「手分けしよう」

そんな彼らの様子を、泰明と若者は間近で見ている。
若者は心底感心した、という声で言った。
「完璧な隠形の術ですね〜」

「ん?」
「声が聞こえたような?」
「やっぱりヤツはこの近くに?」

「あ、まずいこと言っちゃいました。ごめんなさい」
泰明は若者の口に、ぺたりと呪符を貼る。
「むんぐぐぐぐっ!」

梟の式神が、少し離れた木の枝で葉末を揺らし、
地上に急降下した。

「おい! 今あっちで何か見えなかったか」
「何かが地面に飛び降りたようだ」
「行ってみよう」

追っ手の注意が逸れたのを見定めると、
泰明は若者の首根っこをつかんでその場を離れた。






「しばしの間だったが、よいひとときを過ごせた」

牛に乗って、帝はみんなに別れの言葉を告げた。

「神子殿、私を宴に招いてくれたこと、感謝する」
あかねはにっこり笑った。
「みんなで一緒にお月見ができて楽しかったです。
牛さんも喜んでいるみたいですね」
「ンモンモンモッ!」

「終わりよければ全てよし、ってことですよね」
若者は心底ほっとしたようだ。

「そういうことは、主上を内裏まで無事お届けしてから言ってほしいものだね」
「大丈夫ですよ、牛は天の道を間違えたりしませんから」

「牛が道を違えないのに、お前はなぜ間違えた。
仁寿殿の庭をうろうろと歩いていて見咎められるとは」
「仕方ないですよ。今夜は月明かりで星が隠れているので、
道しるべが無いのと一緒ですから。
それに、こう見えても私は方向音痴なんです」

「そのようなことで威張るな」
「堂々としているだけです」

「では、勝手に逃げ出さぬよう、堂々と牛に言い聞かせてはくれまいか。
このような騒ぎは二度と起こしてほしくないものだからね」
若者は、どんと胸を叩いた。
「…げほげほ…任せて下さい、私は練達の牛飼いですから」

「牛殿、私はここでお別れですが、どうかお元気で」
「ンモ…」
「そうか、牛、お前も別れは淋しいか。
だが、私も永泉もお前を忘れない。
小望月の夜には、必ずお前を思い出すと約束しよう」
「私も、約束します、牛殿」
「ンモ〜〜〜ッ♪」



こうして帝は内裏に戻り、牛と若者は天界に帰り、
宴も大いに盛り上がってお開きとなった。

家に戻った泰明とあかねは桜の木の下に立ち、
明るい月のかかった空を見上げる。

「不思議な夜でしたね…」
「不吉な気は遠く離れた。今はもう問題ない」

ちょうどその時、真夜中を知らせる鐘の音が聞こえてきた。

「あ…今日のうちにもう一度言わせて下さい、泰明さん」
「何を言うのだ、神子?」

あかねはにっこり笑って言った。
「泰明さん、お誕生日おめでとう」

泰明はあかねの頬を両手でそっと包み込む。
「ならば神子、二人きりで祝おう」

あかねの返事を、泰明は待たなかった。





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今年の9月14日は過ぎましたが、旧暦ではまだまだ先。
遅刻もフライングも何のその!で書いた泰明さん生誕祝いでした。

拙作「星降る夜に」の後日談という感じですが、
今回は舞台を土御門にして、藤姫や他の八葉にも出演していただきました。

でも一番活躍?したのは、帝と牛くんでしょう。
隠しタイトルはもちろん、「牛降る夜に」です。

もしも永泉さんが牛に乗るとしたら、
両足を揃えて横座り…でしょうね♪
少し身を縮めて、両手を胸の前でぎゅっと握って
…という、乙女な構図が浮かんできます(笑)。


2010.9.29 筆