舞0.1夜 その4

(泰明×あかね・京エンド後)



放たれた式神は薄闇の中を滑るように走っている。

だが前方に気配を感じ、正体を見極めようと足を止めたその時、
何かが式神の足に絡みついた。
振り払おうとしても、絡んだものはまとわりついて取れない。
式神は瞬時に自らの姿を糸のように細く変えるが、 それは身体に貼り付いたまま。
もがけばもがくほど、自由は奪われていき、 とうとう式神は身動きすらとれなくなった。

音のないざわめきに囲まれて、
獣の姿に戻った式神は、宙にゆらり…と吊るされた。


* * * * * * * * * * * * * * 


「あっ! ぷはっ! ぅぅ…ぅぅ」
「どうなさいました!? 永泉様」
「も、申し訳ありません。不作法なことをいたしました。
何かが顔にまとわりつきましたので」
「永泉様、それは蜘蛛の巣です。
顔の前に腕をかざしてお避けになってはいかがでしょう」
「ああ、そのようにすればよいのですね」
「遅れるな、永泉」
「す、すみません…。不慣れなもので…」

泰明の後ろに永泉と友雅が続き、
三人は背を目一杯屈めた姿勢で清涼殿の床下を進んでいる。
昼とはいえ、広い殿舎の床下だ。
奥に行くに従って暗くなり、今は足下も分からない。
頼りになる灯りは、泰明の手にある淡く光る呪符だけだ。
内裏に慣れた友雅も永泉も、自分がどの辺りにいるのか、
すでに分からなくなっている。

どんっ…
「痛っ…す、すみません、泰明殿」
突然立ち止まった泰明の背中に、永泉がぶつかった。
「静かに…」
泰明は呪符を凝視し、次に前方に眼を凝らした。
「式神の動きが止まっている。
視界に映っているものを見ようとしたが、目が何かに覆われてしまったようだ」
「捕らえられた…と考えてよいのだね」
「自由を奪われたことは確かだ」
「泰明殿の式神を行動不能にするとは、いったい何者なのでしょう」
「それを見極めに来た。二人とも油断するな」
泰明は短く答えると足を早めた。


* * * * * * * * * * * * * * 


吊るされた式神の周囲でさわさわと動いていたものが
ぴたりと動きを止めた。
泰明たちの接近に気づいたのだ。
だが、それが地に潜ろうとした瞬間、
土の上を青い光が走り、光に触れるとそれは粉々に飛び散った。

「仕留めたか…」
が、次の瞬間、それらは再び寄り集まって大きな影となり、
ざざざと流れるように地を這って逃げ出した。

泰明は友雅と永泉を置いて全力でその後を追う。
腰を落としたままの姿勢でも、並外れた速さだ。

前方に宙吊りになった式神の姿が見えた。
泰明が術を放つと、その身体を縛めていた糸がふつふつと切れる。
自由になった四つ足の獣は、ひらりと地面に下り立ち、
すぐに身を翻して薄闇の奥に向かって走り出した。

「そちらに逃げたか…。伏せろ!」
泰明の命令に、式神は腹這いになる。
その上を、泰明の投げた呪符が矢のように飛び、
大きな影に突き刺さった。

しかし、呪符は手応え無く下にぽとりと落ち、
影は何事もなかったようにするすると動き続けている。

「これで分かった」
泰明は掌を立てて腕を真っ直ぐに伸ばした。
下に落ちた呪符が、ふわりと浮き上がる。
「光に触れて飛散し、呪符は素通りさせる。
つまり、あの影は……」

泰明は呪を唱えた。
と…呪符が眩い光を放ち始める。

光に照らされるやいなや、逃げていく影は動きを止めた。
その表面から何かがぼろぼろわらわらと崩れ落ち、
影はみるみるうちにその形を失っていく。

「ひぃ…はぁ……泰明殿……やっと追いつきま…」
「……残念ですが永泉様、泰明殿はさらに先まで行ってしまったようです」
「はぁ…はぁ…、そ、そうですね。もう…少し、走ります……」
「土埃の中で何か光っています。きっと泰明殿の術でしょう。
遠くはありません。あと少しです」
「泰明殿が戦っているのですね。急がなければ」

そして友雅と永泉が泰明に追いついた時、
まさに二人の眼前で決着はついた。

もうもうと上がった土埃の中、地面にうずたかく何かが積もり、
その中心に膝を付いた泰明がいる。
泰明に向けて、地面から次々に糸のようなものが吐きかけられるが、
それらは泰明に触れる前に、バチバチと爆ぜて溶けていく。

「隠れても無駄だ。逃さぬ! 友雅、永泉、目を閉じていろ!」
泰明は地面に手を当て、呪を唱えた。
その刹那、友雅と永泉の閉じた瞼に強い光が一閃する。

二人が眼を開くと、中空には泰明の点した灯りが幾つも浮かび、
周囲を明るく照らし出していた。

土埃がおさまると、地面に積もったものがはっきりと見える。
そこには童の拳ほどの大きさの、白い綿毛のようなものが
無数に寄り集まって、ふるふるさわさわと震えていた。
眼を転じれば、灯りに照らされた地面は全て、白い綿毛に覆われている。

「こ…これは……」
「何でしょうか?」
「今さら何を聞く。これが怪異の元凶だ」


* * * * * * * * * * * * * * 


「雨上がりの庭は気持ちがいいな」
あかねはうーんと伸びをして、藤姫の庭を見回した。
木々の葉から落ちる雫が、陽の光を受けてきらきら光る。
雨に洗われた空は鮮やかな青い色だ。

「ね? 式神さん」
あかねは欄干に止まった小鳥の式神に声をかけた。
小鳥はぱたぱたと翼を動かして返事をする。

――あ、そうか。あまり話しかけると泰明さんを呼び出してしまうかも。

どんな状況下でも、あかねが呼んだなら泰明は必ず応えるだろう。
つまらないことで邪魔してしまったらいけない。

あかねは小鳥に手を差し伸べた。
ちょんと跳ねて、小鳥は嬉しそうに掌に載る。

――泰明さん、早く怪異を解決して帰ってきてね。

指先で柔らかな羽毛を撫でると、
小鳥は身体を丸くして心地よさそうに目を細めた。


* * * * * * * * * * * * * * 


ふるふるふわふわさわさわ………
地面の上で蠢く白い綿毛は、
想像していたおぞましい妖異とはあまりにかけ離れていた。

「このようなものに振り回されていたとは、何とも言い難い気持ちだね。
大山鳴動して……とでもいうところか」
友雅は苦笑いで、どっと押し寄せてきた疲労感を押し隠した。

永泉はきょとんとして綿毛の集団を見回している。
「あの……このものたちはとても弱そうなのですが…」

訝しげな表情の友雅と永泉に、泰明は素っ気なく説明した。
「そうだ。弱すぎるのだ。
だからこそ、こやつらの存在はなかなか見つからなかった。
発する気も小さく、弱すぎたからだ。
それゆえ、こやつらは寄り集まって大きな姿となり、
非力な力を合わせて櫃や几帳を動かした」
「そして、人が踏み込んでくると、一匹ずつに分かれて、
素早く床の隙間に潜り込んだ…というわけか。
暗がりの中では、見つけることができなかったのも無理はない」
「これは……もしかしてあれでしょうか…。
ニコニコしてれば悪さはしないし
いつの間にかいなくなってしまうという、まっくろくろす……
あ、でも黒くありません……」
「似たようなものだ。
ただ、こやつらは光を嫌う。それゆえ容易く力を奪うことができた」

その時、友雅が美しい眉を少し持ち上げた。
「……おや?」
白い綿毛の半分がゆらゆらと動き出して、友雅を取り囲んだのだ。
心なしか、どれも綿毛が桃色に染まっている。
「ふふっ、誰に見とれているのかな?」
友雅が艶然と微笑むと、綿毛たちはふるふるぷわぷわころころと転げ回った。
だが残りの半分はぺしゃりと平たくなって反応しない。

「このものたちは、私にはどことなく可愛らしいく思えます。
けれど何のために悪さをしていたのでしょうか」
「見かけに惑わされるな。
現と異界のあわいに生じた妖かしの為すことに、道理も理屈もない。
己の心地よい居場所を縄張りとし、限りなく増えていくだけだ」
「藤壺を自分たちの縄張りだと思っていたのだね。
泰明殿が式神に見せた糸のようなものは、その印なのではないかな」
「そうだ」
「あの…このものたちは、他の場所にもまだいるのでしょうか」
綿毛たちはふるふるふるっと身を震わせたが、
泰明が一睨みすると、一斉に青くなる。
「一匹残らず、この内裏から立ち去れ」
泰明の言葉に、綿毛たちはかくかくと激しく頷いた。



こうして藤壺の怪異は、内裏の床下でひっそりと解決され、
陰陽師の姿に戻った泰明と友雅は藤壺へ、
帝の元に参上することになっていた永泉は、
すぐに清涼殿へと向かった。

内裏には、一日だけ出仕した美しい女房の噂だけが、
長くささやかれ続けたという。


* * * * * * * * * * * * * * 


「今帰った、神子」

暮色に包まれた土御門の庭に立ち、泰明はあかねに呼びかけた。

「泰明さん!」
愛らしい声と共に、あかねが部屋を飛び出してくる。
「神子!!」
ひらりと高欄を跳び越え、泰明はあかねをしっかりと腕に抱きしめた。

「今朝出発したばかりなのに、怪異はもう解決したんですか?」
「藤壺にもう怪異は起きない。マッシ○シ○スケが全て内裏から引っ越したからだ」
「え…?」
「会いたかった、神子……」
「泰明さん…あの…」
「問題ない。男であることはばれなかった。
女房装束も汚さなかったので、弁償の心配もない」
「白いス●ワ●リ、私も見たかったです……」
「私はお前の顔が見たかっ…………
神子は、私よりもあのふあふあ綿毛の方が見たいのか?」

あかねはにっこり笑ってかぶりを振った。
「そのお話は、後でゆっくり聞かせて下さい。約束ですよ」
「約束する、神子……」
「おかえりなさい……泰明さん」

背伸びしたあかねの唇と泰明の唇が、そっと重なった。

夕餉の支度ができたことを告げに来た女房が、
そっと回れ右して戻っていく。

夜の帳が下りる中、二つの影は重なったまま、いつまでも離れなかった。


終わり





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最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました!!
一夜もかからず、怪異を解決してあかねちゃんの元にびゅんっと戻った泰明さんでした。
というわけで、「0.1」。
アホなオチが待っているのに長くなってしまって焦ったのなんの……。
くだんなくてゴメンぺこんであります。

なので以下、ちょっとおまけというか、蛇足など……。

蛇足・その1 見える:
二歳児には、トト□(←これは四角形です・為念)も見える……はず。

蛇足・その2 前日談:
泰明さんが女装して内裏に行くと決まる前には、
お師匠との間にこんな遣り取りがあった!……かもしれない。
「安倍家の仕事の幅を広げる好機じゃ、泰明」
「ふざけているのか面白がっているのか寝ぼけているのか、どれだお師匠」
「この晴明、ふざけたりはせぬ。面白がっても寝ぼけてもおらぬぞ。
内裏の問題は政と切り離せぬ。
これは真剣な話なのじゃ、泰明……っぷぷぷ」

蛇足・その3 予想:
1:永泉さんは翌日に足の筋肉痛。
2:友雅さんは翌々日から腰に来る。


2011.12.16 筆