舞0.1夜 その3

(泰明×あかね・京エンド後)



「泰明殿? 泰明殿ではありませんか?」
清涼殿へと続く回廊の向こうから、永泉の声が聞こえた。

恐れていたことが起きてしまったようだ。
永泉様……なぜ今日に限って御室からわざわざ……。
友雅は小走りになる。

「どうしてそのようなお姿をなさっているのですか、泰明殿?」
「泰明…殿ですと?」
「法親王様は何を仰っているのか?」
永泉の声に混じって、ほかの人々の声も聞こえてくる。

遅かったか!!
友雅は絶望的な思いで前方を見た。
すでに二人の周りには人が集まっている。

「何が悲しくてそのようなお姿に…。
世をはかなんで僧形になる方はいらっしゃいますが、
神子がおられるというのに、泰明殿は男をはかなんだのでしょうか」
「こ…この女性は藤壺の女房ではないか」
「法親王様とお知り合いとは」
「その法親王様は、この女房殿を男と仰っている」
「男がなぜ女房姿になっているのだ」
人々の騒ぎは次第に大きくなっていく。

だが泰明は顔色一つ変えず永泉に向き合い、素っ気なく答えた。
「こんな所で声をかけるな、永泉。 子細あると察することもできないのか」
しかし、まじないがその声と言葉を優しげな女性の言葉に修正する。
→「畏れながら、人違いでございましょう。 法親王様とは初めてお目にかかります」
修正しすぎだ…と泰明は眉を顰めるが、今まじないを解くことはできない。

一方、永泉も泰明相手に一歩も譲らない。
玄武として八葉を務めた経験が、とても「役立って」いるのだ。
「いいえ、私には分かります。泰明殿を見間違えることはありません」
「空気を読め、永泉。今の私は藤壺の女房だ」
→「法親王様、私は藤壺にお仕えする泰明子と申す者にございます」

「そのように据わりの悪いお名前をなぜ名乗られるのですか、泰明殿」
「この名は、まじないの言の葉が勝手に名乗っただけだ。
とにかく邪魔をするな」

→「申し訳ありません、法親王様。人違いでございます。
御前を下がらせていただいてもよろしいでしょうか」

だが、泰明がその場を離れようとすると、やんわりとその前を塞がれる。
「失礼ながら…貴殿は男なのか?」
「女装して内裏に潜り込むなど、何を企んでいる」
「中宮様にお知らせしなければ」
騒ぎは大きくなっていくばかりだ。
警護の武士達も何事かとやって来た。

この場をどうやって切り抜ければいい……。
友雅は、割って入る言葉を探しあぐねている。

その時、無愛想な声が響いた。

「私を呼んだか、永泉」
後涼殿に続く庇から、いつもの陰陽師装束を纏った泰明が
すたすたとやって来た。
「何か用か。幾度も私の名を口にしていたようだが」
「や…泰明殿!?」
永泉は、女房と陰陽師を交互に見た。

その場の緊張が、一気に緩む。
本人が現れたのなら、藤壺の女房は泰明という 男ではないのだ。
そもそも、このような美女が男のはずがない。
法親王様の見間違いだろう。

しかし、二人を囲んでいた人々が、三々五々散っていこうとした時、
二人の泰明を見比べていた永泉が、得心がいったように笑顔になった。

「分かりました。どちらかの泰明殿は、式がm…むぐっ!」
永泉の言葉が途切れ、
一瞬向けられた泰明の怖い視線で、術で口を塞がれたことに気づく。

「すまぬ。だがそれ以上言うな、永泉。友雅、事情を説明してやれ」
→「法親王様、橘少将殿がいらっしゃいました。
お探しだったのではありませんか」
好機を逃さず、友雅は前に進み出る。
「永泉様、畏れながら…次回の歌合わせのことなのですが…」

永泉は眼をぱちくりしながらも、泰明と友雅の様子から、
何かの事情があることにやっと気づいた。
泰明は術を解き、永泉に向かって小さく頷く。
永泉も泰明に頷き返すと、無難な言葉を選んで答えた。
「と…友雅殿、ちょうどよいところに来て下さいました。
私も伺いたいことがあったのです」

その一言で、周囲の者達は今度こそ去っていった。
法親王は、橘少将と話したい、と言ったのだ。
美しい女房は気になるが、この場にぐずぐずと残るほど不心得な者はいない。


* * * * * * * * * * * * * * 


「やれやれ…何とか窮地を脱することができたね。
こんなに肝の冷える務めは、若い者に任せたいものだが…」
「あの…私には何が何やら……」

人払いをした部屋に入り、友雅はほっと胸をなで下ろした。
だが、何の説明も受けないままについてきた永泉は、まだ混乱している。
友雅は、これまでの経緯を手短に話した。

その声を背中に聞きながら、泰明は自分へのまじないを解き、
次にするりと女房装束を脱ぎ捨てた。
そして袖の内側からいつもの陰陽師装束を取り出して着替える。
友雅がさらに安堵する気配を感じるが、泰明にその理由は分からない。

泰明の式神はすでに、ほっそりとした四つ足の獣の姿に戻り、
主の足元にうずくまっている。
その鼻先に、泰明は掌を差し出した。
泰明の手の上で透き通った糸が、僅かに動く。

「追え」
泰明が命じると、式神は糸をぱくりと呑み込んだ。
そして自らも糸のように細くなって、するすると床下に吸い込まれていく。
間髪入れず、泰明は式神が消えた場所に桔梗印の札を置き、呪を唱えた。

「ああっ……式神はどうなったのでしょうか」
「ご安心下さい、永泉様。どうやら泰明殿は手がかりを掴んだようです」
「そうだ、友雅。あの式神に手がかりを追尾させている」
「ほう、犬に似ていると思ったが、ずいぶん鼻の利く式神のようだね」
「陰陽の術は完全無欠ではない。術によって顕現できないものも多い。
だがあの式神は、微かな兆候も眼に見えぬ痕跡も追うことができる」
「つまり、痕跡を式神に追わせ、泰明殿は式神を追う、ということか」
「その通りだ」

だが泰明は部屋を出ることも式神を追うこともせず、
女房装束を丁寧に畳み始めた。

「あの…泰明殿、急いで追わなくてよろしいのでしょうか」
「急いでいる。だが、この装束は大切に扱うようにと、言われている」
「え……?」
「汚したら弁償かもしれないと、神子は真剣に案じていた。
だから、脱ぎ散らかしておくなど以ての外だ」
「そ…そうですね…神子がそのように仰ったなら……」

その間も、泰明は床に置かれた札から眼を離さない。
友雅が覗くと、札の上では小さな黒点が、虫のように這い回っている。
陰陽の術を知らぬ友雅でも、その意味は分かった。
黒点は式神の動きを報せているのだ。

と、点の動きが止まった。
同時に、泰明が立ち上がる。

「泰明殿、私も同行させてはもらえまいか」
「ど、どうか私もお連れ下さい。
兄う…主上がお心を痛めておられるのに、何もせずにいることなどできません」

泰明はゆっくり瞬きした。
「本当に来るのか?」
友雅と永泉は即座に頷く。

「進むも退くも困難な場所だが、よいのか?」
二人は今度も、きっぱりと頷いた。

「……分かった」
泰明は短く答えると、札に手をかざした。
すると札はふわりと浮き上がり、淡い光を放ち始める。

「行くぞ、友雅、永泉。
これから札の灯りを頼りに進む。私から離れるな」

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まだ続きます。
真剣にボケつつ超カッコいい陰陽師の泰明さんも、
天然な法親王様も、有能な中間管理職っぽくなってきた左近衛府少将殿も
みんな大好きなので、書いていると楽しいのですけれど…。
すみません、もう少しおつきあい下さい。


2011.11.24 筆