舞0.1夜 その2

(泰明×あかね・京エンド後)


評判の「美女」を待ちわびる貴族達を横目で見ながら、
友雅は正直なところ、ほっとしていた。

彼らが顔見知りの女房や女童に取り次ぎを頼み込んでも、
そこは左大臣が選りすぐった女達ばかり。
はいはいそうですか、と話を通すはずがなかったのだ。
女達は泰明が男であるとは知らないが、
藤壺に関わる異変を調べるために来たことはよく承知している。
その仕事の邪魔立てなど、させるわけがない。

――これだけ時間が経ったということは、
泰明殿はもう藤壺を出て別の場所を調べているのだろう。
よく考えてみれば、それほど心配することもなかったのだね。
幸いなことに、私の出番はないようだ。

友雅は雨の庭を見やり、扇の陰で微笑んだ。


* * * * * * * * * * * * * * 


渡殿の扉の外で、女房がくすくすと笑っている。
反対側にいる女房も、会心の笑いを抑えることができない。
二人で示し合わせて、藤壺の生意気な新参者に思い知らせてやったのだ。
「いい気味」
扉に向かって言い放った時、真後ろでぶっきらぼうな声がした。
「何がいいのだ」
「ひっ…」
思わず悲鳴を上げて、こわごわ振り返った女房は、
心の臓が止まるほど驚いてへなへなと座り込んだ。
無理もない。
渡殿に閉じこめたはずの女が目の前にいるのだ。
表情もなく見下ろす目が怖ろしい。
しかも、その声はまるで男のようだ。

渡殿の中で、泰明はゆっくりと瞬きした。
式神の声に、まじないをかけていなかったことを思い出したのだ。
少し驚かせすぎたかもしれない。
だが、もしもあかねが来ていたら、
閉じこめられて大変な思いをしたことだろう。
それを思えば、何の問題もない。

むしろ、問題があるのは、この姿だ。
内裏に女は同じような衣の女がたくさんいるというのに、
なぜか目立つようだ。
このままでは密かな行動ができない。

その時、前方の扉が開いた。
女房が逃げ去るのを見届けた式神が開けたのだ。
泰明に向かって頭を下げ、式神はゆらりと揺らめいて消えた。

同時に泰明の姿も消える。
隠形の呪で身を隠した泰明は、藤壺の北にある梅壺へ向かった。


* * * * * * * * * * * * * * 


友雅の「出番」とは、
泰明に誰かが歌を詠みかけた時に 助け船を出すことだった。
ある意味、泰明にとってはこちらの方が女装よりも難題だ。
泰明は陰陽道には長けていても、歌など詠んだことはない。
だが、藤壺の中宮に仕える女房なら、
当然のように歌を詠みかけられるだろう。

どうしたらよいかと相談された友雅は、
とりあえず勅撰の和歌集には一通り目を通しておくようにと助言した。
歌を作ることは付け焼き刃でどうなるものでもないが、
せめて渡された歌の意味が理解できるように、と考えたからだ。

驚いたことに、泰明は一晩で友雅から指示された歌集を全部覚えてきた。
そしてなんと、
「もののあはれを感じた時のことを詠んでみた」
と、友雅に自作の歌を一首、見せたのだった。

【神子が女子会に行ってしまい、
一人で留守番をしていた時に詠める歌

小さき穴 通う夢路は 夜もすがら
留守番淋し 泣き濡れており】

「説明する。この歌の大意は
――私の夢を喰らおうと獏たちがやって来たが、
なすすべもなく帰っていった。
神子がいないので、私は一人淋しく夜通し泣いていたことだよ
――というものだ。
歌なので誇張した表現をしている。
私は夜泣きなどせず、ちゃんと早寝をした」

友雅、藤姫ばかりでなく、あかねまで
固まってしまったことは言うまでもない。
とにかく、何としてでも泰明が歌を詠まないようにする!
ということで、友雅、あかね、藤姫の意見が完全に一致したのだった。


* * * * * * * * * * * * * * 


「間違いないわ! 私、この目で見たの! 耳でも聞いたのよ!」
「まあ、落ち着きなさいな」
「話がよく分からないわ。何があったの?」
梅壺では大層な騒ぎが起きていた。
一人の女房が、喚き叫んでいるのだ。

――怪異に関係することか?
泰明は姿を隠したまま、庇の下で堂々と立ち聞きしている。

「あの女、物の怪よ! さもなければ男よ!」

――怪しい女を見たのか。特徴は、男らしい女ということだな。

「あの女って、誰のこと?」
「決まってるじゃない! 藤壺の…」

――内部犯だったのか。

「新しく来た女房よ!」

――……………。
先程扉を閉めたのはこの女か。

「怖ろしいわ……。渡殿に閉じこめたはずなのに、
いつの間にか私の後ろに来ていたの」
「有り得ないわ」
「勘違いじゃないの?」
「あなた疲れているのよ」

そこへ、女がもう一人、息を切らせてやって来た。
渡殿の反対側の扉を閉めた女のようだ。
「ひぃひぃ…私、見たの。聞いたの。物の怪で女で男…ひぃひぃ」

「あなたもあの女の声を聞いたのね!?」
「ひぃひぃ…ええ、ぶっきらぼうな男の声だったわ」

「でも、おじさんみたいな声のおばさんっているわよ」
「おばさんじゃないわ! あの女はくやしいけどうら若い美人よ」
「噂になってる女房でしょ?
私も見たけど、あれが男だったら、私は女をやめるわ」

――くだらぬ。
これ以上聞いていても無駄だと判断し、
泰明は騒ぐ女達の横を通り、部屋に入ろうとした。

その時、それまで口を閉ざしていた年かさの女房が、ふいに笑い出した。
驚いた女達が沈黙すると、女房は扇で口を隠して小声で言う。
「面白い話だわ。使えるではありませんか。
その女が物の怪でも男でもどうでもよいの。
噂にしてしまいましょうよ。
後がどうなるかは、私達のあずかり知らぬ所」

女達はこぞって大きく頷いた。
「いいお考えですわ」
「ではすぐにでも…」

年かさの女房は、今にも出て行こうとしている女達に、
念を押すように言った。
「くれぐれも、余計なことは口にしないように気をつけなさい。
この梅壺には、何事もないのですからね」
「分かっておりますわ。藤壺と同じ怪異が起きているなど、
口が裂けても申しません」
「呪われているのは藤壺だけ。そのことを忘れないように」


余計なことを口走ったのは、あの女の方だ。

泰明は足早に梅壺を出た。

異変は藤壺に留まらないことが分かった。
だが、泰明にはよく分からない理屈で
梅壺の人々はそのことをひた隠しにしている。
ならば、同じことが他所でも起きているかもしれない。

一方、異変が起きていないことが確実な場所がある。
帝の御座所のある清涼殿だ。
ここで異変があったなら、それこそが一大事。
すぐにお師匠が呼ばれるだろう。

だが、藤壺の北にある梅壺に異変が起きている。
それより離れてはいるが、藤壺の南にあるのは清涼殿だ。

藤壺を通り過ぎ、誰もいない場所で泰明は隠形を解いた。
手の中の糸を呪符に乗せ、呪を唱えながら指先を滑らせると、
糸はゆっくりと反転して僅かに南に動いた。

清涼殿に行ってみよう。
異変は、これから起きるかもしれない。


* * * * * * * * * * * * * * 


藤壺の女房達は、数多の貴族を尻目に、
友雅を取り囲んで談笑していた。
友雅としても、泰明の姿をまた見るよりも、
教養ある美女たちと会話を楽しむ方が、ずっと好ましい。

とはいえ、女房達の口は固く、怪異の話題は巧みに避けている。
最初藤壺が荒らされた時こそ騒動になったが、
それ以降の彼女たちは表立って騒ぎ立てることはせず、
むしろ何でもないという姿勢を取り続けているのだ。

後宮の微妙な勢力図を鑑みれば、それも無理からぬこと。
ここぞとばかりに、
「怪異が続くことは即ち、背景にいる左大臣の不徳によるもの」
などと、まことしやかにふれて回る者がいる。
呪いが我が身にも降りかかるのではないかと、
藤壺と距離を取ろうとする者も少なくない。

帝も心を痛めているのだが、
藤壺の中宮も左大臣も沈黙しているというのに
帝が調査を命じれば、あちこちに軋轢が生まれてしまう。

そのような中、左大臣が内々にあかねに協力を依頼した。
泰明がそれを却下すると左大臣は晴明に話を回し、
さらに晴明から泰明に戻された。

怪異の解決に陰陽師が動くのは、まさに帝も望むところ。
八葉としても帝の懐刀としても、友雅が助力を惜しむことはない。

調査は始まったばかりだが、泰明の能力は友雅自身がよく知っている。
男であることを伏せたまま藤壺に泊まり込んで、
怪異の瞬間を押さえれば………ん?

何かが引っかかる。
大事なことを忘れているような気がするのだ。

泰明が男と知られることは、まずあり得ない。
目の肥えた貴族から口うるさい年増女房まで、
誰も、露ほども疑ってはいないのだ。
なのに、なぜこんなに胸騒ぎがするのだろう。

しまった!
友雅はその可能性に思い当たった瞬間、腰を浮かせていた。

「友雅殿、どうなさいましたの?」
「いきなり、何か思い出したのですか?」

怪訝な顔の女房達に、友雅は艶っぽく微笑みかけ、
回廊を曲がった瞬間、半ば駆け足になる。

一人、いたのだった。
泰明殿の正体を悪意なく暴いてしまいかねない、危険人物が。
普段は内裏にいないが、
最も悪い瞬間に、ひょっこり現れかねない間の悪い方が。
泰明殿と違って、周囲に大変な気遣いをするのに、
泰明殿と同じくらい、その場の流れを感じ取らない高貴な方が。
永泉様が!!

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アホネタを長くするのは以ての外なのですが…
まだ続きます。
異変の正体…期待しないで下さいね(大汗)。


2011.11.18 筆