※ 泰明×あかねED後背景「雪逢瀬」の続編です ※

花の還る場所

プロローグ  永訣



煙とも雲ともならぬ身なりとも 草葉の露をそれと眺めよ
                              中宮定子

野辺までに心ばかりは通へども 我が御幸とも知らずやあるらん
                              一条帝



雪の夜――

六波羅蜜寺を出た葬列が、六道の辻へとさしかかる。
金銅飾りの牛車に付き従う者達は、皆うつむき、音もなく歩む。

色も光もない街に、雪ばかりが白い。

六道の辻は、現世と冥界の境。
そこを越えて、葬送の列は進む。

京の東に連なる山の峰の一つ、
鳥辺野の頂にある御霊屋に向かって。

降りしきる雪を払うこともせず、
黒い影となって進む葬列は
すでに現のものではないかのようだ。

牛車の中に横たわるのは、帝の中宮、定子。

十一歳の帝の元に上がってから、
わずか十年ほどの内裏での日々であった。

その間に、彼女は内裏を一度辞している。

だが帝は、定子を中宮として、再び召し出した。
前例無きを忌み嫌う朝廷にあって、異例中の異例といえる。
内裏に戻ってから後、その立場がひどく脆弱であったことは
言うまでもない。
それが、彼女と共に在りたいという、
帝の強い願いのゆえであったとしても。


今、亡き中宮のために涙する者は、
葬列の中にはいない。

心なき者達に送られて、定子は御霊屋へと運ばれゆく。
京の葬送の地を、永遠の眠りの場所とすべく。

しかしそれは、定子の最期の意志であった。

死しても煙となって天に昇ることはない…と歌に託して残した。

帝はその願いを叶えた。
幼い頃から共にあった愛する女性にしてあげられることは、
それしか、もう、なかったから。


街を離れ、何もない野辺をゆるゆると進む葬送の列は、
やがて雪に閉ざされた暗き山道に入り、
遠く見えなくなった。





同じ時、帝は内裏にいた。

しんしんと冷たい夜の清涼殿に一人座したまま、
こぼれ落ちる涙をぬぐうこともせず、
ただひたすらに、一人の人を思っていた。

三つ年上の人だった。
初めて会った時、何と美しい人だろうと思った。
そして、この人が后なのだと、教えられた。

同じ書を読み、同じものを愛で、同じ思いを語れる人だった。

私の心を支えてくれる人だった。
帝としてではなく、私自身を愛してくれる人だった。

思い出はとめどなく溢れ、悲しみは痛みとなって胸を刺す。

許してほしい……
帝ゆえ、葬列を見送ることさえできぬ私を。

……お前ならばきっと、許してくれるのだろう。
少し悲しげな、優しい笑顔で。

―――その笑顔を見ることは、二度と無いのだ。

拳を握りしめ、帝は嗚咽をこらえた。
声を出せば、人が来る。
人が来れば、こうして泣くことさえ、ままならぬ。

『再び…会いたいか……』

空耳…だと思った。
己の心が聞かせた、願望であると。

しかし……

『会わせて…やろう…』

空耳ではない。

「何者!」

身を起こし、周囲を見回す。
しかし燭台の炎が一つ、ぼんやりと灯るのみ。
その向こうには、底知れぬ闇。

闇の奥から、再び何かの声がした。

『…帝が望むなら……呼び戻す…』

呼び戻す?

「お前は何を言っている」

『……言の葉の通り…
…愛しき者と別れ、さぞ辛かろう…
……望むか? 帝よ……』

帝は、護身用の太刀をすらりと引き抜いた。

「妖しのものよ!
余を惑わそうとしても無駄だ!」

かすかに、嗤う気配。
『………また…来よう』

その時、闇が払われた。

「主上!!」
灯りを掲げた部下を従え、背の高い武官が飛び込んでくる。
「ご無事ですか?!主上!!」
「友雅か!」

友雅は、帝の無事を見て取り、同時に、その手に握られた太刀を見た。
素早く部下に、曲者を探し出すよう指示を出す。

帝は、かすかに震える手で、太刀を鞘に収めた。

友雅は帝の前に平伏する。
「曲者の侵入を許し、主上自ら太刀を抜かねばならぬ事態に、
陥るとは……申し訳も立ちません。
必ず、捕らえて」
しかし、その言葉を帝は遮った。
「咎めはせぬ」

静かながら、きっぱりとした口調。
いつもの帝のままだ。
しかし、その声にかすかな惑いがあるのを、友雅は聞き逃さなかった。

帝は続けた。
「曲者は、おそらく見つかるまい。
見つからぬ者のために、お前が咎を負うことはない」

「お言葉ながら、内裏に侵入した者を見逃すわけには参りません。
曲者を捕らえられぬ理由を、伺ってもよろしいでしょうか」

「友雅、お前がここに来たのは、私の声が聞こえたからか?
他には、何の気配も感じなかったというのか?」

帝の惑いは、このためなのだろうか。
禍々しい気を、友雅も感じたのだ。
「では、あの気配は、ただの曲者ではない…と?」

帝は黙って頷いた。

「ではすぐに、陰陽寮に報せを入れます」
「頼む。さもなければ、あやつは…」
「その者は、何か主上に」
「余は危害を加えられてはいない。
心配は無用だ」

しかし言葉とは裏腹に、その顔には苦悩の影がある、と
友雅は思った。
后を失った悲しみのせいであろう、とも思う。

その頃には、清涼殿は内裏の各所から駆けつけてきた者達で
いっぱいになっていた。

一歩外に出れば、厳しい寒さが身体を打つ。
雪は止む気配もない。

清涼殿から、紫宸殿まで足を運んでみるが、
闇を透かして見ても、雪明かりの庭には、怪しい足跡も無い。

門の辺りが騒がしくなった。
報せを受け、陰陽寮から殿居の者達が駆けつけてくるようだ。

泰明殿は、いないのか……。

残念だ。
もしも泰明殿がいたならば、内裏に妖しきものが入り込むなど、
決して許さなかっただろうに。

そしてふと、冬の初めの内裏呪詛の事件を思い出し、
友雅は我知らず身震いした。





その頃、清涼殿での一件など知らぬまま、
葬送の列は峰の頂に辿り着いていた。

真新しい御霊屋が開かれ、そしてまた閉じられた。

身軽になった牛車は、すぐにその場を離れ、
雪に覆われた山の道を、しずしずと戻っていった。



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―― 花の還る場所 ――
1.陰陽勝負・前編  2.迷子  3.陰陽勝負・後編
4.裁定  5.惑い  6.夢魔  7.宗主  8.治部少丞の不在
9.蠢くもの  10.月影  11.妖変  12.右大臣  13.童子  14.露顕

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この話は、拙作「雪逢瀬」 の続き&完結編です。
したがって、「遙か」本編の泰明さんED後という設定。
すみません…「舞一夜」をプレイした方には、
いきなり痛い始まりかもしれませんね。

物語を脳内にしまったままにしておくと、思い描いている風景が、
どんどん萎んでいきますので、見切り発車で書き始めました。
どうしていつも、このパターンなんだろう……(汗)。
中〜長編(予定)のご多分に漏れず、
大風呂敷を、めいっぱい広げた構想を考えています。
不定期な更新になりそうですが、
気長におつきあい頂ければ幸いです。

なお、次の第1話「陰陽勝負」には、ちゃんと泰明さんが出演しますし、
これほど暗くないので、どうぞご心配なく(笑)。


――― 付記 ―――
参考文献: 「源氏物語の時代〜一条天皇と后たちのものがたり〜」
山本淳子著(朝日選書)



2008.9.22 筆