龍の夢


プロローグ


6 夏・ふたたび




一年前……。

同じ大学のキャンパスの隣、古い神社の境内を、四人で歩いていた。
室山、美鈴、嗣務に、室山の妹、由唯が一緒だった。

室山章人の渡米が決定し、準備に余念がない頃でもあったが、
その前に一度、大学の研究室というのを見てみたい…と、由唯が言い出したのだ。

「それなら、美鈴ちゃんも誘うといいよ」
そう言ったのは室山だ。

由唯に誘われた美鈴が声をかけ、その時も「付き人」の嗣務が一緒に来た。

一渡り研究棟を見て回ると、
由唯は、隣の神社の上にある公園に行ってみようと言った。

はっきりと物を言う由唯に、茫洋とした美鈴は否と答えたことがない。
嗣務はぶっきらぼうに頷いただけ。

いつでも行けると思うせいか、意外と近くのことは知らなかったりするものだ。
室山もご多分に漏れず、その神社には、参拝どころか足を踏み入れたこともない。

「この暑さにめげないなんて、元気だね…」
出発日が迫れば、近所をぶらつく時間もなくなる。
軽口を叩きながら、室山も同道した。

そして公園へと上がる坂道で……由唯は消えたのだ。

あまりに唐突な失踪。

当然、警察からの取り調べもあった。

しかし、暑い中でジョギングをしていた近所の男性と、
道に迷って偶然通りかかった中年女性の旅行者が、その場に居合わせていた。

「気がついたら、女の子が一人、いなくなっていたんだ。
いや、確かだよ。きれいな子がいるなあと思って、 年甲斐もなく見とれてたんだよ。
そうしたら、その子が…」
「ダブルデートかしらって、思ったの。だから間違いないわよ。
四人だったのに、私がちょっと地図見て顔を上げたら、三人よ。
もう、驚いたわ〜。私、心臓が悪くてね、だから…」

第三者である彼らの証言のおかげで、
三人が由唯の行方不明に関わっているという疑いは晴れた。

しかし由唯はその後、戻ることはなく、
その日のことは、それぞれの心に棘のように刺さったままだった。
室山の渡米も中止になった。

そして、一年後の今日。
同じ日に、同じ場所を訪れたからといって、どうなるものでもない。
単なる気休め、傷口を舐め合うようなものだ…と室山は思う。

が、それを必要とするのが人間なのかもしれない。
生きていくために為さねばならぬ、数多の不合理の一つだ。




「美鈴、俺も一緒に行く」

踵を返して早足に歩き出した美鈴の後を、嗣務が追う。
ちり…と嫌なものを感じながら、室山も歩き出した。

その時、太陽の向きがふいに変わった。
背にしていたはずの太陽が、いつのまにか三人の右側からまぶしく照りつけている。

周囲を見回せば、キャンパスの風景は消え失せ、

ここは、
あの時の、公園へと上っていく道。

坂の下から、保育園の子供達の元気な声が聞こえてくる。
道は、古い社を回り込むように大きく左にカーブしている。

「ここで、私…転んだんだね」

背後から、熱にうかされたような美鈴の声がして、室山は振り向く。

先頭に立っていたはずの美鈴が、今は一番後ろにいて、
坂の途中から室山と嗣務を見上げている。

何かが…起きた。
あの時のように。

「美鈴っ!俺から離れるな!!」
嗣務が美鈴に駆け寄った。

嗣務の言葉が耳に入らなかったかのように、美鈴は続ける。
「私が転んだから、章人さんも嗣務くんも、私の方を振り向いた」

そうだ。
先頭を歩く由唯を、誰も見ていない一瞬があった。

「私、大丈夫なのに……転んでも痛くないのに…」

「痛く……ない…」
刹那、室山の眼に、陰が射す。

「私のせいで、みんなが由唯ちゃんから目を離したから…」

「違う!そんなこと考えてたのか、美鈴!」
嗣務が、叱りつけるように言った。

と、その時、坂の上から中年女性が下りてきた。
きょろきょろと辺りを見回している。

続いて後ろから、ジョギングの男性が走って来る。

同じだ……
まるっきり同じことが繰り返されている。
いや、それとも…

室山は叫んだ。
「ここから逃げるんだ!!」

しかし……

いつの間にか、周囲の音が消えている。
蝉時雨も、子供たちの声もない、全き静寂。

その静寂の向こうから、美鈴の耳に、遠い音が届いた。

「あ…」
美鈴は、空を見上げる。
「この音……夢から覚める音…だ」

嗣務が美鈴の腕をつかむ。
「走るんだ、美鈴!!」

その時、三人の前方に、うっすらと少女の輪郭が浮かんだ。

「あれは…」
「まさか」
「由唯ちゃん!!」
理由はない。
そうだという確信だけが、三人にはあった。

嗣務の手を振りほどき、美鈴が由唯の影に駆け寄ろうとした。
その時、中年女性とジョギングの男性が消えた。

いや……
坂の途中から姿が消えたのは……

三人の方だった。

周囲の景色がぐにゃりと曲がる。






次の瞬間、何もない空間に、三人は放り出されていた。

「美鈴ちゃん!!」
「美鈴っ!!」

室山と嗣務が、美鈴に向かって手を伸ばす。

しかし、見えない激流が三人を押し流した。
激流は抗う術のない三人を翻弄し、やがて滝となって流れ落ち、
滝壺の底の渦の中に飲み込んだ。

その渦は、鋭い刃のように荒れ狂い、三人に襲いかかる。

美鈴の頬が切れ、服を裂いて腕が切れた。

「うわっ!」
「ぐっ…!」

そして美鈴の眼前で、嗣務と室山も切り裂かれ、傷ついていく。

非現実の光景の中で、二人から飛び散った血は本物だった。

「いやああああああっ!!!」
美鈴は叫ぶ。
「嗣務くん!!章人さん!!」
必死に手を伸ばすが、届かない。

二人の身体は、渦の底に開いた黒い淵へと沈んでいく。

「だめ!行ってはだめ!!」

ふいに、激流の中で手足が自由になる。

美鈴は、二人を追って黒い淵に飛びこんだ。


もっと速く……

しかし、二人はどんどん遠ざかっていく。

黒い深淵に二筋の赤い糸を残して。

あきらめない……

だが、二人の姿は闇に飲まれて消えた。

美鈴は、一人になった。
それでも、進む。

こんな流れの中で、なぜ眼を開いていられるのだろう…。

切り裂かれた傷が……痛い。

ここは、夢じゃないんだ。

そう思った時、涙があふれ出た。
視界が滲む。


「神子……」


ふいに、周りが凪いだ。


「神子を……泣かせてしまった…ごめんなさい…」

気がつけば、白く透き通った壁が、美鈴の周囲を囲んでいる。

「あなたは……!!」

壁と見えたのは、幾重にも巻いた、長く巨きな身体。

「やっと、会えたのに…泣かせてしまった…私の神子…」

「龍…龍なの…?」

「そうだ…神子」

龍の声は、ひどく弱々しい。

「どうしたの、龍?」

「時空の流れが……乱れている」

美鈴を守る白い龍の身体が、激流の刃に傷つけられていることに気づく。

「龍…あなた、ケガをしているの…」

「大丈夫。私は…神子を守るよ」

「お願い!嗣務くんと章人さんも助けて!」

「神子と一緒に狭間に入った者たちのこと?」

「できるよね、私を助けたみたいに、二人を助けて」

ずん…!と、鈍い震動が走った。

オ・オ・・ォォォ・・・・・ン!!

狭間の空間に、白い龍の咆哮が響き渡る。

「龍、龍!どうしたの?!」

龍の身体が解けていく。

「ごめんなさい…神子…今の私は…彼の地に入れない」

「龍!」

「遠い地に、降り立つよ」

「どこ?どこに行くの?」

「白く清浄な雪の大地。
神子、私はもう……この姿でいることが…できない」





プロローグ 了


2007.12.15





プロローグ

[1.まどろむ龍]  [2.神泉苑]  [3.遠い鈴音]
[4.夏]  [5.襲来]  [6.夏・ふたたび]

間章 北の夢幻  [1.地]

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