あやかしの辻 1

泰明×あかね 京ED後背景

空の色が刻々と変わっていく。
家々の屋根の上には、鮮やかな夕焼け雲。

「急ごう…」
あかねは足を速めた。

市からの帰りが、いつもより遅くなってしまった。
「少しおしゃべりし過ぎちゃったかな」

街の人達と話し込むのは、いつものことではある。
あかねが顔なじみの店で買い物をしていると、
いつの間にか両隣の店の主や客も加わって、
にぎやかな話の輪ができるのが常なのだ。
泰明と一緒の時には、買い物は極めて短時間で終わるのだが…。

「ああ…もうすぐ日暮れだ。
早く戻らないと、泰明さんに心配かけてしまう」
あかねは小走りになった。

秋の夕暮れは早い。
先ほどまでの明るさは見る間に失せていき、西の空だけが燃えるように赤い。
陽の射さない京の小路は、もう薄暗がりの中に沈み始めている。

その時、大路に向かって走っていたあかねは、ふと足を止めた。
北に向かう細い道が、すぐ目の前にある。
名前は知らないが、確か前にも一度通ったことがある小路だ。

「近道しよう」
あかねはその細道に駆け入った。
京の小路は入り組んでいるが、日のある内ならば太陽が方角を教えてくれる。

暮色に包まれ始めた路地をしばらく行くと
まだ明るさの残る小さな四つ辻に出た。
慌ただしく行き交う人々を、
粗末な家の前で、老婆が所在なげに見ている。

「あれ…? ここって前来た時にも通ったかな? 見覚えがないけど」
あかねは慌てて周囲を見回し、
消え残る入り日の色を空に探して、方角を確認した。

その時、
「まってぇぇ」
甲高い声に振り向くと、茶色い小さなものがあかねの足元を横切り、
次に幼い女の子が、目の前を駆け去っていった。

茶色いものは小犬だろうか。女の子は一生懸命に追いかけていたようだ。
手伝ってあげたいが、その姿はあっという間に小路の薄闇に消えてしまった。

「いけない! 立ち止まってないで急がなくちゃ」
あかねは気を取り直して再び駆け出す。

しかし……

「あ……なぜ?」
路地を抜けて出た場所は、先ほどの四つ辻。
さっきと違うところは、人々の影が暮色の中に沈んでいることだけ。
粗末な家の前で、老婆はまだ、所在なげに辻を見ている。

真っ直ぐ北に向かったはずなのに、どこで道を間違えたのだろう。
とにかく、急いでいる時には人に訊くのが一番早い。

「あの…道を教えていただけますか」
あかねは老婆に声をかけた。

すると老婆は、もの珍しそうにあかねをまじまじと見て、
しわがれた声で問い返した。
「道に迷ったのか、お前さま」
「はい。真っ直ぐ行ったつもりなのに、またここに戻っ」
「ふおっ…ふぉっ」
あかねの言葉が終わらぬうちに、老婆は引きつった声で笑い出した。
「あ…あの……」
あかねはじりじりと後ろに下がる。
こんな黄昏時に、おかしな人に声をかけてしまったと後悔しながら。

老婆はずいっと前に出て、あかねに皺だらけの顔を寄せた。
「気をつけるがええぞ。今は逢魔が刻。ここは……の辻じゃ」

「あ、ありがとうございました!」
あかねはくるりと背を向けて走り出す。
少し足が震えている。
晴れているはずなのに、黄昏の空に一番星が見えない。

「泰明さん…」
胸に下げた護符をぎゅっと握りしめながら、あかねは全力で駆けた。
しかし……

「い…いや。……また…」
あかねはさっきの四つ辻にいた。

道を行く人は朧な影。
所在なげに立つ老婆の姿も黒く不確かだ。

真っ直ぐに走ったはずなのに、どうして……。
平らな道なのに、深い所に向かってどんどん下りていくみたい。

見上げると夕暮れの空が遠い。

「まってぇぇ…」
「まってぇぇ…」
「まってぇぇ………」

影の小犬と女の子が、あかねの前を走りすぎた。

「あなたは…?」
あかねは女の子を呼び止めようとした。

「誰に話しかけていなさるのかね、お前さま」
「誰に話しかけていなさるのかね、お前さま」
「誰に話しかけていなさるのかね、お前さま」
老婆がゆらゆらと近づいてくる。

「女の子と小犬が…」

老婆が目をかっと見開いた。
「お前さまには見えるというのか!?
ええい…追うのじゃ……追うてくれ!」
刹那、くっきりと浮かび上がった老婆の輪郭は、すぐに薄闇に溶けた。

あかねの足元から、見えない鳥が羽音をさせて飛び立つ。
周囲には、ざわざわと見えない人々が行き交う雑踏の音。

重なり合うことのない風景と音とが二重写しとなって混在している。

自分まで二つに引き裂かれるような感覚。

くらり…とめまいがあかねを襲う。

見知らぬ街…
見知らぬ人達…
ここは…どこ?
なぜ私はここにいるの?

助けて………さん……





土御門――

以前あかねが使っていた部屋の前に、沈痛な面持ちの頼久が警護に立ち、
室内には泰明と藤姫、イノリ、鷹通、友雅が集まっている。

彼らに囲まれて、褥に横たわったあかねがいる。
ゆっくりと呼吸をしているが、幾ら呼びかけてもその瞳は閉ざされたままだ。

「なぜ目覚めぬ…神子……」
泰明が悲痛な声を上げた。

あかねは市で買い物をした帰り、夕暮れ時の辻で倒れたのだ。

騒ぎで駆けつけたイノリ、鷹通と時を同じくして、式神の群があかねを見つけた。
あかねの帰宅が遅いことを心配した泰明が、
京の街中に式神を大量に放っていたのだ。

そのまま家に連れ帰りたかった泰明だが、
病や負傷であったなら、細やかな手のある場所の方がいい――という
鷹通の言葉を渋々ながら受け入れて、
あかねを土御門に連れて行くことにした。

大きな通りに出たところに友雅が通りかかり、そのまま一行に加わった。
「所用」のためにどこかへ向かう途中だったのだが、
あかねの様子を、ただごとではないと感じたからだ。

夜の帳が下り、イノリが調達してきた松明の灯りを頼りに見ても、
あかねの顔は蒼白で、手足は氷のように冷たかった。

それは、ここ土御門に運び込まれてからも同様で、
泰明が知る限りの陰陽の術を施してなお、全く効果がなく、
瞼を固く閉じたまま、一向に目覚める様子もない。

「外傷はない。病に罹った者の気も発していない。
穢れに触れたわけではない。呪詛も受けていない。
なぜだ、神子…何があった」

元より、あかねからの答えは返らない。

「そうだ…神子に渡した護符だ!」
泰明は思い立って、あかねの首に掛けた紐を探した。

「泰明殿、神子様にお守りをお渡ししていたのですか」
「こんなことになっちまうなんて、あかねは家に忘れて出たんじゃねえか」
「いや、赤い紐が見える」
泰明は紐を引っ張った。
「護符を調べれば、何か異変の痕跡があるかもしれないということですね」
「唯一の手がかり…か」

「あっちを向け」
唐突に泰明は言った。

「え? あっちとはどちらでしょうか」
「何だよ、やぶからぼうに」
「とにかく見るな」

「護符の紐が、神子殿の着物の胸元に引っかかっているのですね」
「今の泰明殿は、我々が場を外すだけの時間も惜しい…ということなのだよ、イノリ」

泰明はあかねの着物を丁寧にはだけ、紐をたぐり寄せようと指をかけた。

その時、ぱちりとあかねの目が開く。

「神子!!」
喜びの声を上げた泰明を、あかねは驚いたように見つめ、
次に視線を自分の胸元に移して、
開かれた着物と、その中に差し入れられた泰明の手を見た。

「神子! よかった…」
泰明が抱きしめようとした瞬間、
「きゃああああああああっ!!!」
あかねは身を捩って泰明を押しのけた。

「あ…すまなかった、神子。
みんな後ろを見ているから、お前を抱きしめてもかまわぬかと」

「いやああああああああっ!!!」
あかねは胸をしっかり押さえ、身を縮めて、さらに大きな声で叫んだ。
完璧な拒否の体勢だ。

が〜〜〜〜〜〜〜ん!!!

泰明は衝撃で動けない。

「神子様、落ち着いて下さいませ」
「お前、目ぇ覚ましたとたんに、どうしたんだよ」

あかねは泰明に警戒の眼を向けながら、驚いたように藤姫とイノリを見た。

「神子殿、京の辻にいたはずが、いきなり土御門で目覚めたのですから、
あなたが驚かれるのは無理もありません。
けれど、もう大丈夫です」
「泰明殿も藤姫も、我々八葉もこうして揃っているのだから、
心配は要らないのだよ、神子殿」

あかねはぶるぶると震えながら、怯えたように周囲を見回した。
またすぐに気を失ってしまいそうに、顔が青ざめている。

「ここは、どこ? あなた達は、誰なんですか?」

が〜〜〜〜〜〜〜ん!!!

泰明をさらなる衝撃が襲った。

「神……子………」
「神子様!」

「みこ…って…誰のこと? 人違いです。
私は…元宮あかね。
天真くんと詩紋くんは…どこにいるの?」


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裏返し(?)設定です。

大げさなタイトルの割に大事件にはならないのでご安心を。

タイトルが最初にアタマに浮かび、
それに見合った大風呂敷な話が浮かんだのですが、
何とかスケールダウンできました。
でも、タイトルは気に入っているのでそのまま。

全部で2〜3話の見込みなので、今回は第1話ですが
次回でうまくおさまったら、前後編表記に書き換えます。

2011.8.17 筆