あやかしの辻 3

泰明×あかね 京ED後背景

翌日、藤姫と共に部屋を出たあかねを、
頼久、イノリ、鷹通、友雅と永泉が揃って出迎えた。
隠形で姿を消しているが、泰明も一緒だ。
一晩中泰明が傍らにいたことを、あかねは知らない。

彼らはそのまま供に付いて街に出るが、あかねは少し居心地悪そうだ。
土御門の壮麗な門や京の大路を見ても、何か思い出した様子もない。

皆にとって、あかねとこうして京の街を歩くのは久しぶりのこと。
あの頃の感覚が呼び起こされるのでは、という切実な思いから、
あかねの隣には友雅と鷹通が付いて三人連れという形を取り、
他の者達はその前後に分かれ、少し離れて歩いていく。

道案内役のイノリが先頭で、その後ろにあかね達、
次が永泉と、姿を隠した泰明。
最後尾は頼久が守っている。

「目的地はもうすぐだぜ。あかねが倒れてたのはこの先の辻だ」
イノリが細い路地の入り口で立ち止まり、道の奥を示した。
昨日、友雅の扇に泰明が書いた言葉は、
あかねが倒れていた現場を調べようということだったのだ。

路地を覗くと、斜めから射し込む光のせいで、陰になった家々も道も薄暗い。

あかねはかすかに身震いした。
「怖いのかい?」
「オレ達がついてるんだから心配ねえって」
「背後は守っております。ご安心を」

皆の励ましに、あかねに少しだけ笑顔が戻る。
「ありがとう。私、みんながいるから大丈夫です」
「任せとけって」
少し肩をいからせて路地に入ったイノリの後を、皆ついていく。

「京にこのような小路があったとは…知らなかったよ」
「私も、昨日初めてここに来ましたが、
これまで道があることすら気づきませんでした」
「ちょっと薄気味悪いだろ? オレも滅多に来ないんだ」
永泉は黙って数珠を握りしめている。

泰明はあかねの横をそっと通り、少し足を速めてイノリの前に出た。
路地の奥の気を探るためだ。

妖しい気配はない。
穢れも澱んでいない。
通り過ぎる街人にも怪しい者はいない。

だが、どこかおかしい。

「イノリにも薄気味悪いと感じる時があるのだね」
「認めるのはちょっとしゃくだけどな。
でも怖がってなんかいないぜ。
ぞっとする場所とか、噂とか言い伝えとかさ、
そんなの怖がってたら、京で暮らしてなんかいられねえからな」

「あかね殿の倒れていた辻にも、そのような話があるのかな」
友雅の問いに、イノリはカリッと爪を噛んだ。
「ああ……あの辻は、神隠しの辻って呼ばれてるんだ」

――神隠し…。
泰明は足を止めた。
『イノリ、辻の名の由来は文字通りのものか?』




――あの子は、同じだ。

あかねは女の子を追いかけて走っていた。

――現実の世界でも、この不思議な空間でも、
あの子は小犬を追い続けている。
……泣きながら…。

しかし、あかねはなぜか、女の子に追いつけない。
子供の足ならば、全力で駆けてもその速さは高校生には及ばないはずだ。
それなのに、いくら走っても女の子の背中は遠ざかっていくばかり。
夢の中を走るようなもどかしさが、あかねをさいなむ。

「待って…」
あかねは、女の子に呼びかけた。
「足を止めて」

女の子は初めてあかねを振り返った。
「とまれないの…小犬がまいごになっちゃう」
「あなたはいつから小犬を追いかけていたの?」
「ちょっとまえから」
「え……」
「小犬をつかまえたらすぐにおうちにかえるよ。
おかあちゃんがしんぱいするから」

あかねの胸がずきんと痛んだ。
この子は…気づいていないんだ。
自分の身に起きたことに…。

「ねえ、もうお家に帰ろう。
私も一緒に小犬を追いかけるから」
喉元にこみ上げる熱い塊をぐっと押さえ込み、あかねは言った。
「あなたは、止まっていいんだよ…。
走らなくて…いいんだよ」





ある時は男が消え、ある時は女が消えた。
老若男女を問わず、その辻からは、ふいに人が消えるのだ。

ある者は半時と経たぬうちにひょっこりと現れ、
ある者は何年もの後に戻ってきた。
春に消えて冬の最中に帰ってきた者もいる。
そして、戻らないまま人の記憶から消えていった者もまた…。

薄気味悪い噂は人の口に上ったが、さりとて道の往来は留められない。
先ほどイノリが言ったように、京という街の至る所ーー
辻、井戸、古木、橋、廃屋などなど、
薄闇を抱えた場所は数え切れぬほどにあるのだから、
気に病み始めたらきりがないのだ。

ましてや、この貧しい界隈にあっては、
無頼の徒が娘や子供を拐かすのは珍しいことでもなく、
神隠しだと役人に訴え出ても、
税を逃れるための嘘と決めつけられるのが関の山。

「あの辻の噂でオレが聞いてるのは、こんなところだ。
役に立ったか? や…じゃなくて、みんな」

『十分だ。先に行く。神子をしっかり守れ』
小声でそう言うと、見えない泰明はすたすたと行ってしまった。

「やりきれない話です。一人一人きちんと調べていれば、
解決できていたこともあったはず…」
黙ってイノリの話を聞いていた鷹通が小さく嘆息した。

「…帰れなかった人がかわいそう…」
あかねがぽつんと言う。

「消えた方のご家族は、どれほど悲しい思いをなさったことでしょう」
永泉は憂い顔だ。

「神子殿…いや、あかね殿が消えてしまわなくて、本当によかったよ」

――その代償として、神子殿の記憶が消えたのだったら…。
背筋に冷たいものを感じながら、頼久は腰の剣を握りしめた。


その時、一行は四つ辻に出た。
京のどこにでもあるような、貧しい家に囲まれた小さな辻だ。
行き交う街人は、好奇心を露わにしながらも足早に通り過ぎ、
所在なげに佇んでいた老婆は、
突然貴族が現れたことに驚いたのか、まじまじとこちらを見ている。

「こうしてみると、普通の辻に思えます」
鷹通が四囲を見渡して言った。
「このような場所で人が消えるとは…」
永泉は落ち着かなげに辻の周りの家々を見ている。

イノリが、辻の真ん中を指さした。
「ここだ。ここにあかねが倒れてたんだ」

「そのことは覚えているかい、あかね殿?」
「はい…。イノリくんと鷹通さんが助けてくれました」
あかねは小さく頷く。
「だが、ここに来るまでのことは覚えていない…そうだったね」
「……はい」
消え入りそうな声で、あかねは答えた。

そのやりとりを、あの老婆は目を爛々と光らせて睨めつけるように見ている。
周囲に目配りしていた泰明と頼久が、同時にそれに気づいた。
『頼久、あの曰くありげな老人、何かを知っているようだ』
「はい。話を聞いて参ります」
「異様な気を発している。油断するな」

しかし、大柄な武士が近づいてくるというのに
老婆は気にも留めない様子で、あかね達を見続けている。
まるで、頼久の存在が目に入っていないかのようだ。
いや、あれは…神子達をすら、見ていない…。
では、老婆が凝視しているのは何だ。
視線の先にあるのは……辻そのもの…か?

その瞬間、泰明は最前から感じていた違和感の正体に思い至った。

――歪み、傾いているのだ、この辻は。

首にかけた数珠に、すっと指を滑らせる。
と、繋いだ紐をすり抜けて、珠が一つその掌に収まった。
芯央に黒い揺らめきを宿したその珠を、
泰明は地面に置く。

すると珠は、左右に蛇行しながら辻の中央めがけて 転がっていった。
しかし、そのまま真っ直ぐに進むかと見えた珠は、
途中で進路を変え、再び辻の真ん中へと戻っていく。

転がる珠に気づいた皆の注視の中で、
それは様々に向きを変えては、辻の中央に引き戻されていった。

珠の動きに伴い、擂り鉢のように窪んだもう一つの辻が
平らな道と重なり合って、ゆらゆらと揺らぎながら現れては消える。
歪んだ鉢の底は、辻の中央。
その底は浅いと見れば深く、深いと見れば浅い。

突然、老婆のしゃがれ声が響いた。
「やはりお前様か!?」
それは、あかねに向けられた言葉だ。

「昨日、神子殿…を見たのですか」
頼久が問うが、老婆はそれに答えず、
頼久を押し退けて、よろよろとした足取りで あかねの方へ行こうとする。

「あのご老人を覚えているかい?」
「いいえ」
友雅の問いに、あかねはきょとんとして答えた。

しかし老婆は大きな声で喚き叫んだ。
「いや、そんなはずはないぞえ!
お前様は見たはずじゃ。
女童を……わしの娘を!」

この老婆に、幼い娘が?
皆が不審な顔で目を合わせたその時だ。

「この辻の歪みを正す」

泰明が隠形の術を解き、姿を現した。

「辻には魔が潜む。この辻の魔は時の澱み。
歪みを正し、澱みを解放する」


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長くなったので2話に分けました。
次回で今度こそ終わります。

2011.8.28 筆