あやかしの辻 2

泰明×あかね 京ED後背景

土御門の回廊――

急の報せを聞いて駆けつけた永泉が、あかねの部屋に急いでいる。
しかし、途中の庭で頼久を見つけて足を止めた。
警護の場を離れて、何をしているのだろう。

「頼久、なぜこのような所に? 神子のご容態に異変があったのですか」
「永泉様…」
頼久は、ずるずると何かを引きずりながら永泉の前に来て膝を付いた。
「神子殿のことは、藤姫様からお話があると存じます。
この場でお答えできぬこと、どうかご容赦頂きますよう…」
その沈鬱な口調から、事態は深刻なのだと永泉は悟った。
しかし同時に、頼久が引きずってきたものに気づき、
永泉はあっと小さく声を上げた。

「頼久、後ろに引きずっているのは…まさか」
「はい。ご覧の通り、泰明殿……です」
「くた〜〜んとしていらっしゃいますが、一体何があったのでしょう」
「はい…その…大変な衝撃を受けて、泰明殿は抜け殻のようになってしまい
この通りどよ〜んと…。
冷たい風に当てれば元に戻るのではないかと、友雅殿が仰いましたので
どこか適当な場所に夜干しでもと思い、こうして運んで参りました」

「神子ばかりか、泰明殿まで……」
永泉は庭に下りると、泰明の傍らに自分もひざまずいた。
「泰明殿! どうかしっかりなさって下さい!
神子の側を離れるなど、泰明殿らしくありません!」

その瞬間、泰明の眼に光が戻った。
頼久の手を振りほどいてすっくと立ち上がる。

「そうだ。神子の側にいなくては。
部屋に戻るぞ、永泉、頼久」

それだけ言うと、泰明はあかねの部屋に向かって全速力で駆けていった。

「頼久……泰明殿はもう…心配しなくて大丈夫でしょうか」
「はい…永泉様、お見事なお声かけにございました。
……あ!」
「どうしました、頼久」
「あの勢いのまま神子殿の前に現れたら、また泰明殿は……」
「?」
「畏れながら、先に失礼いたします。
泰明殿を止めなくては」
「?????」





夜と朝と、覚束ない黄昏の光と影を奪う白昼の眩しさが
めくるめく入れ替わり、反転する。

闇と光、静寂と喧噪を縫って、小犬と女の子が走り来て走り去り、
また走り来ては背を向けて走り去る。

その只中に、あかねは呆然と立ちすくんでいた。

泰明からもらった護符を握りしめた時、自分に起きた異変に気づいたのだ。
手も着物も足も半ば透き通って、光を受けても影がない。

――ここは…現実世界じゃないんだ…。
私は悪い夢を見ているの?

自分の頬をぎゅっとつねってみる。

………痛くない!!
じゃあ、夢?
夢だと思いたい。…思いたいけど……。

心の奥で、そうではないのだ、と感じている。
それは確信に近い。

「泰明さん…」
唇から零れ出た言葉が、水面に広がる波紋のようにゆるやかに広がった。
愛しい名前の響きが、あかねを包む。
護符があたたかな感触を伝えてくる。

――そうだよね…負けちゃいけない。

あかねは顔を上げた。

――帰る、絶対に! 泰明さんの元へ!
みんなのいる、現実の世界へ!

その時、女の子が再びあかねの前を通った。
一瞬、涙をいっぱいにためた、今にも泣きそうな顔が見える。

あかねは女の子を追って駆け出した。





「なるほど…。京に来てからの記憶が無い…ということですね」
「ごめんなさい…。どうしても思い出せないんです…ええと、鷹通…さん」
「そんなに落ち込むなって。謝ることもないぜ。
あかねは悪くないんだからさ」
「ありがとう…イノリ?…くん」

「神子様……」
藤姫はぽろぽろと大粒の涙を流している。
「そんなに泣かないで……藤姫。
私、一生懸命思い出すから」

――神子……案ずるな。
私が必ず、お前の記憶を取り戻す。

泰明は蔀戸の陰に身を潜め、部屋の中の話を聞いている。
混乱しているあかねにこれ以上精神的な負担を与えないよう、
あえて隠れているのだ。

泰明にとっては、この上もなく焦れったい状況だが、
そのまま手をこまねいているようなことはしない。
気を凝らし、右手の人差し指を立てると、
空中に流れるように文字の形を描く。

と、友雅の扇に文字が浮かび上がった。
『護符がどうなっているか確認したい』

微かに頷いて、友雅はあかねに向き直る。
「ええと…あかね殿、疲れていると思うのだが、もう少し大丈夫かな」
あかねはこくんと頷いた。
「もちろんです。皆さんこそ、こんなに遅くまで私のために…。
申し訳ありません」
「神子…あ…すみません…あかね殿、
あなたはどんな時もお優しいのですね」

「ではあかね殿、首にかけているお守り札を見せてはくれまいか」
「え? お守り…?」
あかねは首元を探り、赤い紐に結ばれた札を引っ張り出した。
「これのことですか?」
「ああ、泰明殿は、これを確かめようとしていたのだよ」

泰明の名が出た途端、あかねは険悪な表情になった。

「決して不埒な行為に及ぼうとしたわけでは「やめてっ!
もうあんな人のこと、考えるのもイヤです!」
取りなそうとした鷹通の言葉を遮り、
あかねは胸を押さえて激しく首を振った。

が〜〜〜〜〜〜ん!!!

泰明の眼に涙が滲んだ。

最初の印象がよほど強烈だったのだろうか…。
完全に…嫌われている。
神子……。

「間が悪かっただけなんだぜ。分かってやれよ」
「くすっ」
「このような時に笑うのですか、友雅殿」
「笑ってはいないよ。鷹通の気のせいではないかな」

いや、笑った! 何がおかしい、友雅!!

しかし、あかねが札を手渡すと友雅の笑いは消え、皆も一瞬、息を呑んだ。

「まあ…何という…」
「泰明殿の札が…このようになるとはね…」
「ど、どうしたんだよ、これ……」
「白紙…ですか」
「桔梗印までも…残らないとは…」

泰明は札に残る気を探った。

――呪力は残っていない。
ただの札に戻っている……ということは……
私が護符にこめた力はどこに消えたのだ。

……そうだ……消えたものがもう一つある。
神子の記憶だ。

泰明は庇の向こうの暗い空を見上げた。

私の呪が、神子の記憶と共に今在るならば……
取り戻すことができるだろう。
いや、必ず取り戻す!
待っていろ、神子!!

『明日、神子を……』

友雅の扇に新たな文字が現れた。
友雅は黙って扇を鷹通に渡す。
鷹通は永泉に扇面を見せながら言った。
「私も同じことを提案しようと思っていました。
何が起きたかを知るためには、これが一番よいと考えます」
「私もご一緒させて下さい」
「何が書いてあるんだ?」
「イノリの出番、ということだよ。協力してくれるかな」
「よく分からねえけど、あかねの記憶を戻すためなら何でもするぜ!」

「あの…私はどうすればいいんでしょう」
皆の話を聞いていたあかねが不安そうに言った。
「神子様、皆様は八葉です。心配なさらなくて大丈夫ですわ」
「そうだぜ。オレ達、あかねを全力で守るからな」

「では、今日はそろそろ切り上げようか。
庭で頼久が警護しているから心配は要らない。
今夜はゆっくり休むといいよ、あかね殿」

『神子にそれ以上近づくな』

飛び出しそうな勢いで扇に浮かんだ泰明からの「指示」に、
友雅は笑いを懸命に押し隠した。


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やっぱり、まだ続きます。
最後までおつきあいいただければ幸いです。

2011.8.20 筆