あやかしの辻 4

泰明×あかね 京ED後背景

「あ……」
突然姿を現した泰明を見た途端、
あかねは小さく叫んで飛び退いた。

しかし、それを眼にしても泰明は表情を変えない。
つきんと胸を突く痛みを抑え、皆に指示を出していく。
ここに来たのは、嘆くためではない。
あかねに何が起きたのかを知り、
失われたその記憶を取り戻すためなのだから。

「その老人を退がらせろ。この辻には誰も入れるな。
これから初めての術を施す。
頼久、イノリ、鷹通、友雅は辻の入り口で人を止めろ。
永泉、お前は笛を吹け。
術の前に辻を祓い、気を平らかにする必要がある」

それだけで、皆は指示以上のものを理解した。

泰明がこれほど念入りに術の準備をするのは、
彼らが知る限り初めてのことだ。
その理由は、あかねに関わる大事というだけではない。
泰明にとっても、きっと難しい術なのであろうと…。

頼久達が四方に散ると同時に、永泉の笛の音が辻に響き渡った。

「泰明…さん。私にも、何かできることはありますか…」
泰明の指示で皆が動く様子をじっと見ていたあかねが、少し震える声で尋ねた。

――神子…心を開いてくれたのか?
芽吹いた小さな希望に胸の奥が疼くが、それがあえなく潰えるのは怖い…。

泰明はあかねから離れたまま、事実だけを伝えた。
「先ほども言ったが、これから執り行うのは、この辻の歪みを正す術だ。
術が成れば、お前の記憶は戻り、この辻で神隠しに遭う者はいなくなる。
ここまでは理解したか」
あかねは、こくんと頷く。

「お前はこの辻で、過去の記憶と分かたれた。
それは、辻と重なり合う歪み…時の澱みに取り込まれたからだ。
記憶を取り戻すよすがは、お前の持つ護符にある」
あかねは大きく息をして胸元の札を握りしめた。

「私が術を施す間、歪みの中心…この辻の中央に立ち、
護符を通じて失われた自分に呼びかけるのだ。
できるか…」
「はい」
「怖ろしくは…ないか」
泰明に真っ直ぐ眼を向け、
かすれてはいるが、しっかりした声であかねは答えた。
「少し怖いです。でも、私は大丈夫です」

――その言葉だけで、十分だ、神子。
泰明は小さく微笑み、手の中の五色の札を見た。
四方と中央…五行を象徴する呪符だ。

これから行おうとしている術は、その成り立ちと方法とを
師、安倍晴明から教えられただけのもの。
一人で成すのは困難な術だとも、晴明は言っていた。
泰明自身、未だこの術を行ったことはない。
晴明や兄弟子が行うのを見たこともない。
だが、陰陽の術はその時と場、関わる人により千変万化するものだ。

――お師匠の教えと異なるのは、神子の持つ護符の存在。
その力が、現の辻への道標となる。

泰明の心に迷いはない。

「待っていろ、神子。私も八葉も、お前を呼ぶ。
お前の記憶を、必ず取り戻す」

辻の中央に進み出たあかねは、頬を少し上気させて泰明を振り返った。
そして、ぴょこんと頭を下げる。
「ごめんなさい…泰明さん。
あなたのこと、変態の人だと思っていました。
誤解して、ひどいことばかり言って、すみませんでした!」

泰明の中に、力が満ちてくる。
「案じるな、神子。
何があっても、お前を助ける!」

あかねはにっこり笑った。
「はい。泰明さんを…ここにいるみんなを、信じます」

泰明の手から呪符が舞い、四方に散った。
東西南北、そしてあかねの頭上で、呪符は五彩の光を放つ。
泰明は大地に手を置いた。
渾身の呪力を一点に注ぎ込む。

「術を始める!
神子、己を呼べ!
頼久、イノリ、鷹通、友雅、永泉、
気を合わせて神子を呼べ!」





「おかあちゃんがね、おしごとがあるから、
おそとであそんでおいでっていったの」
小犬を抱いた女の子が、あかねを見上げて話している。
まだ舌足らずの言葉で語られたのは、女の子の日常の風景だった。

母親の「仕事」で外に出された女の子は、
いつものように家の近くで遊んでいた。
迷い込んできた小犬を見つけ、戯れているうちに日が傾いて、
急いで帰ろうとした時、小犬が腕をすり抜けて逃げ出してしまった。

だが小犬は、幸いにも家の方に向かって走っていった。
そして女の子は、小さな辻に面した家の前に立ち、
自分の帰りを待っている母親の姿を、確かに見た。

しかし、「おかあちゃん…」と呼びかけようとした時、
辻にたむろっていた鳥達が一斉に飛び立ち、母の姿が消えた。

家の中に入ってしまったのだろう、と女の子は言い張ってきかない。
全ては、女の子にとって、ついさっきのこと…なのだ。

「ここはどこなの、おねえちゃん? はやくかえろうよ」
「そうだね、早く帰ろう。みんなのところへ」
あどけない目で見上げている女の子の手を、あかねはしっかり握った。

その時、胸に下げた護符が光った。
同時に、虚空の彼方から不思議な声が届く。

『私…
いなくなった私…
どうか、帰ってきて。
みんなが呼んでる。
どうか、みんなの声を聞いて……』

――これは、私?
なぜ私の声が遠くから聞こえるの?

しかし、戸惑いはすぐ確信に変わった。
胸の護符が熱を帯び、あかねは懐かしい声を聞いたのだ……。





五行の呪符が弾け飛んだ。
空気がびりびりと振動し、
激しいつむじ風が石と土煙を巻き上げ、辻の回りに渦を巻く。
辻の外で足止めをされた人々がどよめき、悲鳴を上げて逃げていく。

だが、あかねが立つ辻の中央だけは
風もなく、しんとして静かだ。

あかねは、真っ直ぐに手を差し伸べた。
手を伸ばした先には、もう一つの辻が蜃気楼のように揺らめいている。

薄い皮膜を隔てて向き合う蜃気楼の辻。
そこを人々が行き交い、鳥が飛び立ち、
そして…こちらに向かい、駆けてくるのは……

「お…お…おおおおお」
老婆がつむじ風にあおられながら転がるように走り来た。

桔梗印が蜃気楼を突き破り、現の世界へと光の帯を描く。
その光に導かれ、小犬を抱いた女の子とあかねが、
蜃気楼からふわりと飛び出した。

そして、二人のあかねの手が触れ合った瞬間、
蜃気楼もつむじ風も無となり、辻は静寂に覆われた。






ちぎれ雲が色を変えながら、紫の薄闇に溶けていく。

昨日心細い思いで見た黄昏の空を、今日は愛しい人と見上げている。

だが、泰明と共に家に戻ってきてからも、あかねの心は晴れない。

「神子、まだ気にしているのか」
「はい…。私は…あの子に何てことを……」

あかねを苛んでいるのは、現実世界に戻った瞬間、眼にした光景だ。

女の子の母親は、あの怪しげな老婆だった。
しかし、親子がやっと再会できたのもつかの間……

「おばあちゃんが…おかあ…ちゃん?」
「そうじゃよ……わしを忘れたか?」
「だって、おかあちゃんはきれいだから」
「お前を待っていたからじゃ…。
その間に、こうして…年老いてしもうたが…」

言葉を交わす間に、老婆の姿がどんどん薄らいでいった。

「ずっと? おばあさんになるまでまっていてくれたの?」
「ああ…もちろんじゃよ」
「おかあちゃんなんだね! ただいま、おかあちゃん!」
「おおお…どれほどお前を待ったことか…」

そして女の子を抱きしめた老婆は、古びた家もろともに、
跡形もなく消えてしまったのだ。
女の子の悲鳴が、まだあかねの耳に残っている。

「時の理だ。
あの老人は、とうの昔にその生を終えていた存在」
「え? でもあのお婆さんは生きていました」
「神子……あれは、生き人の形をした死霊だった。
娘を思う一心のみが生前の形となり、生き続けていたのだ」
「そんな…」

泰明は、おずおずとあかねの肩に手をかけた。
引き寄せられるままに、あかねは泰明の胸に身体を預ける。

「あの辻の歪みを正したのは私だ。
責めるなら自分ではなく私を責めろ、神子」
「そんな…泰明さんは何も悪いことなんて…」

「私が成したのは、陰陽師が成すべきこと。
そして神子、お前が成したのは封印と同じ業だ」
「いいえ…私がしてしまったのは、あの子を連れ帰ったことだけ…」

泰明は、あかねの肩を抱いた腕に、そっと力をこめた。
「そうだ。神子は送り届けたのだ。
その者の在るべき場所へと…。
そして、娘を待ち続け、あの辻に縛された哀れな女の魂をも救った」

あかねは顔を上げ、泰明を見た。
「あの人は、救われたんでしょうか」
「神子がいなければ、女童は永遠に彷徨い続け、母親は待ち続けた。
だから、お前が後悔することはない。
間違ったことをしたのかもしれないと、迷うこともない」

「でも…あの子は一人になってしまいました」
「だが、イノリにはすぐになついていた」
「今頃、何をしているのかな…。
イノリくんの子分さんたちと仲良くなっているといいけれど…」
「神子、心配ならば、明日一緒に会いに行こう」

「ありがとう……泰明さん…」
あかねは泰明の胸に顔を埋めた。

「神子…」
泰明は胸元の柔らかな髪に、そっと手を滑らせる。
あかねが嫌がる様子はない。

よかった……もう、嫌われていない。絶対嫌われていない。

心に留まっていた最後の不安が去った。
術で疲弊した心身に、一瞬で力が蘇る。

泰明はあかねの頬に手をやり、愛らしい顔をそっと仰向かせた。

つややかな頬を少し染めて、あかねは微笑む。
花のような唇が動き、言の葉を紡いだ。

「疲れたでしょう、泰明さん。
急いでお夕飯の支度をしますね」

………………神子………………

脱力した腕をすり抜けて、あかねは行ってしまった。

「神子! 私も手伝う!」
はっと我に返り、泰明は足早に追いかける。

あかねの唇に触れるのは、もう少し待とう。
あかねと共にいる…それだけで、私は満たされるのだから。

神子…
今までも、これからも……
私はお前を守る。

「すみません。じゃあ、お水をお願いします」
桶を差し出したあかねの手に、泰明は自分の手を重ねる。
「一緒に汲みに行こう、神子」

そして、いつまでもお前と共に…在ろう。

あかねはにっこり笑った。
「はい、泰明さん」

お前の笑顔は、いつもまぶしい。

泰明の顔にも、幸福な笑みがこぼれた。


終わり





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泰明さん、それ、手伝ってない…。
2歳児にちゃんとつき合うあかねちゃんは、できた人だ。
でも…夕飯はいつできるんでしょう。
泰明さんはご飯よりもあかねちゃんをいた…げほげほっ

そして翌日のこと……

「神子、今回のようなことが二度と起きぬよう、
これからは私が必ず買い物に同行する」
「お仕事をお休みするのはよくないですよ」
「神子の方が大事だ」
「ずる休みはいけません」
「だめか…神子?」
「だめです」
「では、この護符を持って行け」
どさどさどさっ!
「こ…こんなにたくさん…」
「たった百枚だ。これでも厳選した」
「…うれしいですけど、全部持つと重くてお買い物ができません」
「では、私が荷物を持つために同行しよう」

エンドレスで仲よくやってなさい〜♪
…って感じの二人が好き。

2011.8.31 筆