4.別れ


「今日で今学期の授業はお終いになります」
恒平が教壇に立っている。

望美の顔は昨日からひきつったままだ。

「最後なので、とっておきの・・・・」

また、始まった・・・・。

「源氏物語、いってみましょうか」

え?

教室内がざわついた。

「やーねえ、私だって古文の教師なんだから、源氏の授業くらいするわよ。
じゃ、プリントを配るわね」

どうしたの、何があったの?
恒平はなんだか生き生きしていて、ちょっと美人になったように見える。
昨日、銀と会ったから?
ううん、考えすぎ。でも・・・。


「春日さん、ちょっと、いいかしら」
下校時刻になっても、教室でぐずぐずしていた望美に、恒平が声をかけてきた。
「はい、何でしょう・・・」
いやな相手につかまっちゃった。望美はいやいや振り向いた。

「私、あなたに謝らなくちゃいけないの」
「え?・・・何のことですか?」
「あなた、重衡さんの話を聞くの、辛かったんでしょう?」
「・・・・・」
「私、てっきりあなたが平家物語を嫌いなんだと思っていたの。
だから、重衡さんの話をしても嫌そうな顔をしてるんだって・・・
ごめんなさい」
「先生、なぜ・・・?」
「あなたの彼氏が話してくれたの。昨日会ったわ。銀さん・・・素敵な人ね」
恒平はにっこりした。
「じゃあ・・・先生は」
「本当に真剣に、一所懸命話してくれた。あなたのこと、とても大切に想っているのね」
「銀が・・・そんなことまで・・・」
「きっと、私の重衡さんも、あんな人だったと思うのよ。
あ、ごめん、あなたの彼氏と私の中の重衡さんを一緒にしちゃ、悪いわよね」
「先生・・・ごめんなさい、私、自分勝手な思いで、先生にイヤな思いをさせていたんですね」
「ううん、いいの。重衡さんのことになると見境がつかなくなる私が悪いんだから。
でも、最後に許してもらえたみたいでよかった」
「え?最後って?」

見れば、恒平は大きなバッグを両肩に下げ、後ろにはキャリーケースをひいている。
「私、臨時の教員でしょ。だから・・・」
「今日の源氏物語が、最後の授業だったんですね」
「うん、どうだったかな。みんな、少しは平家や源氏、好きになってくれたかな。
ま、意余って力足らずってことは、分かってるんだけどね」
笑いながら恒平は、ずり下がってきたバッグの肩ひもを引っ張り上げた。
「あの、私、荷物お持ちします」
「え、いいの?これ重いんだけど・・・でも、助かる。ありがとう」
何冊もの分厚い本を入れた恒平のバッグは本当に重かった。
よろけながら運ぶ。

「春日さん、・・・私なんかが言う事じゃないけど・・・銀さんを大切にね」
教員玄関で靴を履きながら、恒平が言った。
「大事な人が目の前にいて、想い合うことができるって、本当に素敵なことだから」
「あの、先生には・・・」
「私は、現実にはいない、言葉を交わすことも触れ合うこともできない人に恋・・・しちゃってるから。
あなたは、現実にしっかり立って生きていける人だけど、私はそうじゃないの。
そう、生まれついちゃってるみたい」
「すみません・・・私にはまだよく分かりません・・・」
「いいの。分かる人には、分かるんだから。じゃ、荷物、ありがとうね。 あなたの銀さんにもよろしく」
「先生!ありがとうございました!」
「じゃ、春日さん、さようなら」

こうして恒平は去っていった。

恒平好子・31歳・オタクは運命であり、意志でもある。
彼女にしては、最後にちょっといいことを言ったかもしれない。

続く



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