ウィスタリア家の犬

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2.不機嫌な当主



(ロンドン) の近郊にある、O州領主ウィスタリア家の別荘。

重い玄関扉を開けて三人の前に出てきたのは、銀色の髪をした白皙長身の美青年だった。 望美を一目見るなり、品のよい笑みをたたえて、その手を取る。
「ああ、あなたのような方が来て下さるとは何という幸運でしょうか。 さあどうぞ、お入り下さい」
望美を中に招じ入れ、そのまま扉を閉じようとする。

リズヴァーンが素早く片足をドアにねじ込んで阻止し、その間に ヒノエが望美を引き戻した。しかし青年は望美の手を離さない。
「後の方はお引き取り願います。美しい女性に勝るメイドはいません。 あなた方のような女装したいかがわしい輩が、この方と並んで立つことさえ許し難いのです」
「ヒノエくん、先生、この段階でバレてますよ」
「O州にこんなに眼が肥えたヤツがいるなんてね」

青年はヒノエとリズヴァーンには眼もくれず、望美の手に唇を落とすと自己紹介をする。
「私は当家の主・泰衡様の執事で従者で護衛で汚れ仕事もあっさりこなす銀と申します。 あなたがお望みであれば、たとえ泰衡様のご不興を買おうとも、白馬の王子の役目も喜んで…etcetcetc.」
「気に入らねえな。初対面の女の子の手をいきなり握って、キスまでするなんて馴れ馴れし過ぎるぜ」
「この国では普通の習わしだ。神秘の国日本で同じことをしたら、××で×××だが」
「耳が痛いような気がする…。それより、こいつどうやって突破しようか」
「どのような運命も己の力で切り拓くしかない」

リズヴァーンが少しだけ動いた。次の瞬間には銀の背後を取っている。

ガコッ!
ぐふっばたっ

「さすがリズ先生」
「ちょっとかわいそうかも…」
「執事にとって玄関先は戦場。決して気を緩めてはならない。 その鉄則を忘れた者には当然の帰結だ」
「さ、歯の浮くようなセリフしか言えない野郎は放っておいて行こうか」


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雑魚1「揃いも揃って、美人ばかりが三人も入っていったぜ」
雑魚2「いいなあ。あんなきれいな人の中から選ぶなんて、 贅沢過ぎるよ。一人だけでいいから、俺達の所に来て、一緒に見張りしてくれないかな」
雑魚3「く〜〜〜〜っ! 想像しちゃったじゃないか。いいよなあ。 女の子が一緒なら、すげえやる気が出てくるよな」
雑魚4「本当だよな。見張りっつっても、俺達のは空しい仕事だしな」
雑魚5「だいたい、ここに戻ってくるって確証はないんだろ?」
雑魚6「そうだそうだ。そもそもお邸で何かあれば、すぐに報…」
雑魚長「しっ! よけいなことは言わんでいい。それより、一箇所に固まって 雑談してたら見張りにならんだろうがっ!! さっさと持ち場につけ!」
雑魚1〜6「は〜〜い」
雑魚長「…ったく、こんな時、きれいで有能な女性の部下がいればなあ…はぁぁ〜〜」


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広い邸の中はしんと静まりかえり、三人の歩く足音だけが、やけに大きく響く。 ヒノエは、きょろきょろ見回す望美と油断なく目配りするリズヴァーンの先に立ち、 「ここが書斎かもね」と言って、玄関ホールの左奥にあるドアをノックした。
不機嫌そうな声が「入れ」と答える。

薄暗いその部屋は、ヒノエが思った通り書斎のようだ。 高い天井と壁一面の本に囲まれ、心地よさそうなソファとテーブルが配されている。 中央に置かれたマホガニーの机に向かい、難しい顔で書類にペンを走らせているのは この邸の主にしてウィスタリア家の次期当主、ウィスタリア・泰衡だ。

泰衡はちらりと顔を上げると、すぐにまた書類に眼を落とした。
「メイドの志願者など、ここに取り次ぐ必要はないと言っておいただろう、銀。 しかも三人か。一人だけ採用しろと命じたはずだが」

「ええと…すみません。銀さんは一緒じゃないんです」
望美が遠慮がちに言うと、初めて泰衡はドアの前に立つ三人を真っ直ぐに見た。 眉間には深い縦皺。不機嫌さを隠す気はないようだ。
「いきなり当主の部屋になだれ込むとは、礼儀をわきまえない女達だ。 そのような不作法者は誰一人採用しないからそう思え」
望美がにっこり笑った。
「ヒノエくん、先生、ここではバレていませんよ。よかったですね」
「執事の野郎とは、経験の差ってやつだよ」

泰衡の方眉がひくりと上がる。
「ヒノエだと…?」
「やあ、久しぶり。泰衡とこんな所で再会するとは思わなかったぜ」
「フ…お前に女装趣味があるとは知らなかった」
「ヒノエくん、泰衡さんとは知り合いだったの?」
「まあね」
「だったら、女の子のフリをして雇われようとするなんて、 ちょっと大胆すぎたんじゃ?」
「今の反応見ただろ? 全然バレてなかったんだぜ」
「あ、そうか。じゃあ黙ってればよかったね」
「いや、あの執事のせいで、こっそり潜入ってのはもうダメさ」

泰衡が、さらにむっとした表情になる。
「俺なら騙しおおせると思っていたのか」
「もちろん。でも、そのつもりは最初からなかったぜ。 正体を隠したかった相手は、あんた以外の、この邸の住人さ。 でも執事の野郎にバレたし、計画は変えなくちゃいけないね」
「目的は分からんが、お前の探偵ごっこに付き合ういわれはない。 帰ってもらおうか」
しかしヒノエは反論するでもなく、話を続ける。
「こいつはシュミでやってるわけじゃないよ。ちゃんと、依頼が来てるんだぜ。 御館(ミスター秀衡)が 俺の親父に相談して、それが回り回ってオレの所に来たってわけ」
「親→子だと、あまり回ってない気が…」

泰衡の眉間の皺がさらに深くなった。
御館(父上)か…余計なことを。 O州のことは、O州の中でけりを付けるものだ」
「でもここは(ロンドン)だ。O州じゃないぜ」
泰衡は低い声で言った。
「どこまで聞いている」
御館(ミスター秀衡)は、 余計なことなんてしてないし、言ってもいないよ。 あんたから直接聞いてくれってさ。それから、事が成った時こそ身辺に注意しろってね」
泰衡の眉が高々と上がった。
「俺の口は、お前ほど軽くはないが…」
リズヴァーンが、小さく呟く。
「身辺に注意…か」

「立ち話ってのも落ち着かないから、座らせてもらうよ」
ヒノエは机の側の椅子に歩み寄ると優雅な仕草で腰を下ろし、 望美とリズヴァーンにも、隣のソファを示した。
「リズ先生も、気づいていたのかい?」
「うむ。私達を見張っていたな。少なくとも七人はいた」
「ほう、あの怪しい奴らに気づくとは、まっちょなオスカル殿はブジュツの心得でもあるのか」
「いや、実は私は女性ではないのだ。ヒノエが正体を明かした今、隠し立てする必要もあるまい」
「フ…あやうく騙されるところだった」

ヒノエが真顔で泰衡に向き直った。
「単刀直入に言うぜ。O州に関しては、近頃いろんな噂があるんだ。 そんなO州の領主である御館(ミスター秀衡)が、 息子に助力が必要だと判断して親父に連絡を取った。 何かあるって思わない方がおかしいぜ。だが決めるのはあんただ。 本当に助けが必要ないなら、オレ達はこのまま帰る」

泰衡は鋭い眼をヒノエに向けた。やおら口を開こうとしたところを、ヒノエが片手を上げて制する。 リズヴァーンが音もなくドアの脇に立った。

と、ノックの音。続いてドアの向こうから丁重な声がした。
「お茶をお持ちしました」
「銀か、入れ」
「よかった、銀さんの傷はたいしたことなかったんだね」
「峰打ちだ。安心してよい、 神子(かんりにんさん)
「それにしても、立ち直りが早いね」

静かにドアを開けると、頭に包帯を巻いた銀が、優雅に微笑んで会釈した。
「泰衡様…失礼します」
その後ろから、小さな旅行鞄を持った女の子が入ってくる。 年の頃は、10歳ほどだろうか。 女の子は、年に似合わぬ落ち着いた仕草で泰衡に頭を下げた。

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10.02.28 筆