ウィスタリア家の犬

「赤毛萌同盟」と共通設定の、ヒノエ主役のオールキャラ・パラレルです。
ルビを多用していますので、IE等、ルビ対応ブラウザでの閲覧推奨です。



1.朝の訪問者



(ロンドン)は今日も霧の朝を迎えました。 え? ルビが強引? ふふっ、手厳しいですね。 でも、ここは僕に免じて許していただけませんか?

そういえば、あなたには「赤毛萌同盟」の事件で一度お会いしていますね。 おや、覚えがない…ですか? 失礼しました。 あなたのように可愛らしい人とは滅多に会えるものではありませんから、 見間違えるはずはない、と思ったのですが。

では、改めて自己紹介させて下さい。 僕は、弁慶といいます。 ゴジョー橋の近くで開業医をしていますので、具合が悪い時には来て下さいね。

さて、ぼくの表向きの職業は医者なんですが、 時には友人のヒノエと探偵の仕事をすることもあります。 ヒノエは一応、探偵なんです。 彼とは古いつきあいで、しかも迷宮( ベイカー)街221bの「めぞん遙か」に二人とも間借りしているので、 彼に仕事が入ってくると、いやでも巻き込まれてしまうことがあるんです。 ふふっ、こういうのを腐れ縁…とでもいうのでしょうね。

ぼく達が関わった事件の中には、事の重大性から公表を控えなければならないものも 少なからずあるのですが、それ以外の事件については、ぼくが事のあらましをまとめて 発表しているんです。だから、ヒノエのことを名探偵と思いこんでいる人も 多いようですね。

では、人違いのお詫びに、あなただけにそっとお話ししましょうか。 古びた屋敷で起こった、不可思議な事件の一部始終を。

この事件も、始まりはいつものような朝でした。


* * * * * * * * * * * * * * * * * 


「しばらくは様子見だな…。焦って飛びついたヤツらはきっと後悔するぜ」
ヒノエが新聞の株式欄を広げながら言った。
「ここ数日、株価は乱高下しているようですね。どう出るつもりですか、ヒノエ」
弁慶は窓辺に立ち、いつものように外の通りを眺めながら、紅茶を飲んでいる。

「ま、相場が荒れるのは珍しいことでもないけどね。 ただ気に入らないのは、胡散臭い噂が流れているってことさ」
「金の鉱脈がO州で発見された…とかいうものですか?」
「そう、それだよ。あくまでも噂なのに、陰で動きがあり過ぎるんだ」
「ふふっ、確かに胡散臭いですね。飛びつく気にはなれません」
「まあ、噂だの気分だの雰囲気だのって曖昧なもので動くのが、 株の奥深いところだけどね」

外を見ていた弁慶の眉が少しだけ上がった。
「新しい依頼人のようですよ。まっすぐこちらに歩いてくる」
そう言うと弁慶は、空になった紅茶のカップをテーブルに置く。
「うまくいくように祈ってますよ、ヒノエ」
そしてそのまま愛用の黒い外套を纏うとドアに向かった。
「今日はやけに早いね」
「ええ、容態のかんばしくない患者さんがいるので、 朝の内にお宅に伺うことになっているんですよ」

弁慶は部屋を出て行き、ヒノエは来客に備えて新聞を脇に寄せた。 階下で呼び鈴の音がする。 軽やかな足音は姫君のものだろう。続いてドアを開く音。

その時、ヒノエは気づいた。 階段を下りていった弁慶は、彼らとすれ違うはず。 特に、姫君の顔など見た日には、歯の浮くようなセリフを口にしなければおさまらないだろう。 だが、その気配がない。 ということは、裏口を使ったのだ。

ヒノエは、部屋の反対側にある、いつもは締め切っている鎧戸を開いた。 案の定、下の道を弁慶が外套を翻して歩き去っていく。
なぜ弁慶がこのようなことをしたのか、その理由は推理するまでもない。 客と顔を合わせたくなかったのだ。
「あの野郎…さっさと逃げやがって。何が、うまくいくように祈ってる…だ」

大方の察しはつく。つまり、客というのは……

コンコン…とノックの音。
「ヒノエくん、ミスター湛快っていう人が来」
望美の言葉が終わる前に、ドアは勢いよく開いた。
「よう! 久しぶりだな、ヒノエ」
そこには、ヒノエと同じ髪の色をした男。
片手で杖をつき、もう片方の手は、めぞん遙かの管理人、望美の腰に回している。
「クソ親父、姫君から手を離せ! だいたい、返事があってからドアを開けるのが 礼儀ってもんだろ」
「礼儀ぃ? そんなことを言ってるのはどの口だ?」
そう言うなり、ヒノエのお気に入りのソファにどっかと腰を下ろす。

「今、お茶をお持ちしますね」
望美が出て行こうとすると、湛快は素早くその手を握る。
「お嬢さん、ここにいて下さってかまいませんよ。いや、むしろいてくれた方がいい。 たとえ息子といえど、野郎と二人で顔つきあわせるなんざ、気持ちが暗くなっていけねぇ」
湛快の手をバシッとたたき落とすと、ヒノエは望美の肩を抱いた。
「すまなかったね姫君。こんなセクハラ親父にお茶なんか出さなくていいよ」
「久しぶりに会ったのに、そんなこと言ったらだめだよ。ステキなお父様じゃない」
「美しい上に男を見る目もあるなんて、サイコーのお嬢さんだ。是非俺と」
「さ、姫君はどこか安全なところに隠れておいで」
ヒノエは、望美を半ば強引に部屋から送り出した。 いつもならば絶対にしないことなのだが、今は緊急事態だ。

ドアが閉まり、望美が階段を下りていく足音を確認すると、 ヒノエは腕を組んで湛快に向き直った。
「で、何の用?」
「立ち話じゃ落ち着かねえだろ。遠慮しないでいいから、まあ座れ」
湛快は笑って、向かいの椅子を示す。
「ここはオレの部屋だぜ」
「まあ気にするな」

そう言ってから、湛快はきょろきょろと周囲を見回した。
「金目の物なんてないぜ」
「とびっきりのお嬢さんがいるじゃねえか」
「どこまで図々しいんだよ」
「いつもの水草医者はどこだ?」
「水草って何だ? ヤブ医者のことなら、あんたの顔を見てとっくに雲隠れしたぜ」
「弁慶の方が、お前より一枚も二枚も上手ってことだな」
「っせえ。それより水草って何だよ」
湛快は驚いた顔をした。
「お前、水草医者も知らねえのか?  だが、ヤブ医者の下は雀。雀の下は土手。その下にヒモってのは知ってるよな」
「何だそれ」
湛快は額に手を当てた。
「かーっ! 今時の若ぇもんはPATA理論も読んでないのか。神秘の国日本の哲学者、 ミネーオ・マーヤーの名著だぞ」
「水草はどうしたんだよ」
「簡単に説明するとだな、雀はヤブに近づく。土手はヤブにもなれない。ヒモは、ものがものだけに 下手にかかると命が危ないってことだ。すぐに気づくと思うが、土手とヒモの間には、 大きな開きがあるだろう? さすがに弁慶をヒモ医者とは言えねぇしな。 だから、土手にも上がれねぇ水草ってやつを、俺が今、独自に付け加えてみたってわけだ」
「聞くんじゃなかった。時間の無駄だった」
ヒノエは棚をひっかきまわすと、塩壺を取り出した。
「神秘の国日本に敬意を表して、塩撒いて送ってやるからさっさと帰れ」

しかし湛快は気にも留めず、がははと笑って言った。
「せっかちなヤツだな。そんなんじゃ、いい女は口説けないぜ」
そして、真顔になって付け加える。
「O州のウィスタリア家から、ちょいと相談事をされたんだが…」


* * * * * * * * * * * * * * * * * 


のどかな田園風景の中を、3人の女性が歩いている。 一人は、腰まで届く長い髪をなびかせた明るい表情の少女。もう一人は赤毛で、皆が振り返るほどの美少女。 そして最後の一人は波うつ金髪の持ち主で、やはり美しい顔立ちをしているが、かなり背が高い。

「ねえ姫君、お前を危ない目に遭わせるわけにはいかないよ。 これはオレが依頼された仕事なんだから、オレが捜査するよ」
「でも、募集しているのはメイドさんでしょ。それだったら私が一番適任だよ。 なんていっても、本物の女の子なんだから」
「いや、潜入捜査は必ず危険を伴う。専門の私に任せるべきだ」
「てか、リズ先生まで、どうして女装してるんだよ」
「女装しての捜査は経験済みだ。問題ない」
「先生、よくバレませんでしたね」
「任務に必要とあれば、私は女性の声を演じることも可能だ。 かつては、女ばかりの盗賊団に潜入したこともある」

「ひゅう〜」ヒノエが口笛を吹いた。
「もしかして有名な月光盗賊団のことかい?  じゃあ、あの一味を壊滅に導いた極秘潜入捜査官ってのは、リズ先生だったのか。 さすが検非違使庁(スコットランドヤード)の 伝説の鬼警部だぜ」
「うむ。入団テストにカムチャツカ語の翻訳が出題されるなど、一味に 入り込むまで困難を極めたが、全ては修行の内と思い定めて乗り切った」
「先生、声はごまかせたとしても、あの…体格が…立派過ぎるというか…」
「盗賊団の中では、少しまっちょなオスカル様と呼ばれていた。問題ない」

やがて道は下り坂になり、その先に鬱蒼と木々の生い茂る森が見えてきた。
「あの森の奥か」
「そう、ウィスタリア家の別荘はもうすぐだよ」

次へ



[2.不機嫌な当主]  [3.消えた鉱脈]  [4.認定の証]  [5.九郎と犬]
[小説・ヒノエへ] [小説トップへ]


10.02.16 筆