不帰(かえらず)の霧 2

(ヒノエ×望美・無印第4章)

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ヒノエのことを湛快と呼んだ娘の言葉に、望美はきょとんとした。
「ヒノエくん、湛快ってどこかで聞いたような気がするんだけど…」

ややこしいことにならずにすんで喜ぶべきなのだろうが、
望美には嫉妬の欠片もない様子。
複雑なところだ。

「オレが女の子に抱きつかれてるのに、野郎の名前に反応かい?」
「そういえばヒノエくん、あんまり嬉しそうじゃないね」

少しだけ安堵する。
そこまで見て取ってるってことか。さすがだね、神子姫様は。

「湛快っていうのは、オレの親父の名前だよ。
可愛い子には誰彼かまわず声をかける、しょうもない野郎だ」
「そうか、あの時の!」
望美はにっこりした。

と、娘が顔を上げてヒノエをまじまじと見る。
「あんた、湛快じゃないのかい?」
「言っただろう、オレは湛快ってヤツの息子だ」
「でも、そっくりなのに…顔も姿も匂いも」
「あんなおっさんと一緒にしないでくれる?」
「うーん、そう言えば、あんたの方が少しいい男かも」
「…少しか?」
くすっと望美が笑った。

と、娘が急に身を引いた。
気がつけば、いつの間に現れたのか、
ヒノエ達を取り囲むように四人の皺深い老人が立っている。

間髪入れず、ヒノエは身を翻して望美をかばう。
それに応えるように、背中で小さな音がした。
望美が剣の柄に手をかけたのだ。
そっと手を回して、望美の腕を押さえる。

どうやら本当に厄介な状況になってしまったようだ。
相手は不帰の霧の中に棲む者達……
剣を振るっても無意味だ。

「霧に迷われたか、旅のお人」
二人の前にいる老人がしゃがれた声で言う。

「ああ、勝手に村に入り込んですまなかったね。
オレ達はすぐに出て行くよ」

しかし老人達は全く同じ動きで頭を振った。
左の老人が言う。
「霧が晴れるまで道は現れぬ」
右の老人が続ける。
「霧の中で迷えば、次はどこにも辿り着けぬやもしれぬ」

「じゃあ霧が晴れるまで、ここで休ませてくれるかな。
なんなら村はずれまで出ていってもいいけど」

後ろの老人が厳かに言った。
「この村を旅人が訪うことは久しく無かった…。
旅人は遠来よりの宝。我らは旅人を歓迎する」

否…という選択肢はあり得ないようだ。
周囲には音もなく村人達が集まってきている。
老人の一人が、手にした杖をトンと突くと、彼らは一斉に地にひれ伏した。



そして夜――
村の中央にある空き地には幾つもの篝火が焚かれ、
人々がひしめきあうようにして集まってきた。

木の実や魚、菜などが次々と運び込まれ、
ざわざわと浮き立つ気分が村全体を覆っている。
まるで祭り…のようだ。

その中心にヒノエと望美がいる。

二人の真向かいには村の長老と名乗る老人が座り、
両脇に二人ずつ、先ほどの皺深い老人達が並んでいる。

「たいしたものは用意できなんだが、心尽くしの宴じゃ。
我らの歓迎のしるし、どうか受けられよ」

長老の合図で、二人の前にたくさんの食べ物が並べられた。
先ほどの娘も、ぴょんぴょんくるくると、よく立ち働いている。

酒杯が上げられ、宴が始まった。
村の人々は遠慮無く二人の側まで 来ると、まじまじと顔を見、
次いで深々と頭を下げていく。

「何だか見慣れない果物とかがあるね。
でも、食べないと失礼だよね」
そう言って皿に手を伸ばした望美の耳元に、ヒノエはささやいた。
「ここの物は、一口も食べちゃだめだよ、姫君」

望美は驚いて手を止める。
「どうして? ヒノエくん」

「こうするんだ、見ていて」
ヒノエは渡された杯を口元に運び、ぐいっと一気にあおると膝元に置いた。
と、傾けた杯から酒が流れ落ち、地面へと吸い込まれていく。
そして目の前の魚を掴み、身をむしって口に入れる直前に掌に隠し、
もぐもぐと顎だけを動かす。

「悪いよ。せっかく用意してくれたのに」
望美の咎めるような視線を横顔に感じながら、
ヒノエは周囲の喧噪に紛れ、笑みを浮かべ小声でささやく。
端から見れば、この魚はおいしいよ…とでも言っているかのようだ。

「よもつへぐいは禁忌だからね」
「え? よもつ…?」
「黄泉戸喫…黄泉国の食べ物を口にしたら、
二度と現世には戻れなくなる…ってこと」

望美は驚きの声を飲み込んだ。
案内されるままに踏み入った時から、この村には強い違和感を感じていた。
夏だというのに何も無い畑。
大勢いるのに、妙に存在感のない村人。

とんでもない所に迷い込んでしまったと思うが、
隣にいるヒノエには、動揺の色は微塵もない。
それどころか、宴を楽しんでいるようにも見える。

望美は腹をくくった。

――分からないことばかりだけど、ここはヒノエくんの言うとおりにしよう。
脱出の機会はきっと訪れる。
その時を逃さないように、心を研ぎ澄ましておくんだ。

「今の話で取り乱さないなんて、さすがだね姫君」
「ヒノエくんを信じるよ」
曇りのない笑顔が答える。

ゆらゆらと揺れる炎に照らされた望美を、ヒノエは見つめた。
こんな状況で、こんな笑顔でこんな言葉を返されたら、
男がどう思うか分かるかい? 姫君。

「望美…」
「ん?」
肩に腕を回して抱き寄せる。
「オレから離れるな。お前のことは絶対守るから」
腕の中のあたたかな身体は、霧の中でも本当のものだ。

炎が翳った。

二人の前に、老人達が進み出てきたのだ。
長老が重々しく言った。
「旅のお方よ、なぜに食べ物に手をつけぬ」

ヒノエは皺の刻まれた顔を真っ直ぐに見返す。
「理由はそっちの方がよく知ってるはずじゃない?
でも、何か裏があるね。そろそろ教えてくれてもいい頃だよ」

ざわ…と人々の影が動いた。
四人の老人が同じ形で手を上げると、音のないざわめきが収まる。

長老の目は見開かれたまま瞬くことなく、ヒノエの視線を受け止めた。
「旅の方よ、我らはそなた達に感謝しているのじゃ。
皆がひれ伏して迎えたのも道理。我らが村は、これで救われる」

「答えになってないよ。
話が見えないぜ。村がどうしたって?」
「旅の方よ、この村が何処に在るかを知るからこそ、
何も食さなかったのではないのか」
「人の住む所じゃない…ってことくらいは分かるさ」
「では、お分かりになろうか。この村の荒廃ぶりが」

――そういうことかよ。
望美を抱く腕に、思わず力が入る。
村人達の歓迎の意味が分かったのだ。

考えろ! 何としてでも、この場を切り抜けるんだ。
時間を稼げ!

平静そのものの声で、ヒノエは答えた。
「初めて来た場所でそんなこと聞かれてもね」

しかし、じわり…と老人達が前に動いた。
村人達の影が揺れる。
先ほどの娘は、落ち着かな気にヒノエと老人達を見比べている。

「黄泉と現世の端境にこの村は在る。
だが、村を在らしめている力が弱まっているのじゃ」
「そのことと、旅の途中でここに迷い込んだオレ達とは、
全然関係ないんだけど」

ヒノエの言葉に構わず、長老は悲しげな歌のように言葉を続けた。
「我らを守ってきたマキのヌシ様が果てようとしている。
マキのヌシ様のおかげで我らは在る。
なれば共に果てるが定めやもしれぬ」

「ヒノエくん、おじいさんは何て言ってるの?」
「この村を守ってきた神様が、力を失ってアブなくなっているらしいよ」
「それって、白龍と似てるかも」
「白龍の方がずっとマシだけどね」

「しかしマキのヌシ様は、衰えゆく身で猛り荒んでいるのじゃ。
まだ果てる時ではないと、言うておられる。
なればその願い、叶えねばならぬ」

ヒノエは、射抜くような視線を長老に向ける。

長老は高々と両の手を上げて叫んだ。

「旅人のお二人の新しき血を、マキのヌシ様の贄に!!」



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2009.11.10 筆