不帰(かえらず)の霧 4

(ヒノエ×望美・無印第4章)

[第1話]  [第2話]  [第3話]  [第5話]




ほの淡い光が、夜道の足下にかすかな明かりを添えている。
その光に導かれるように長老が先頭に立ち、ヒノエと望美が続く。
二人を囲んで四人の老人、そして後ろには村人達が
列をなして音もなく歩を運んでいく。

やがて村の奥へと列は進み、崖が両側から迫る細道に入った。
その先で行き当たったのは、道を塞ぐ岩壁に穿たれた祠。
しかしヒノエ達が近づくと、祠の扉はひとりでに開き、
さらに奥へと続く洞穴が口を開けた。

長老が黙したまま中へと足を踏み入れ、 立ち止まって二人に向かって頷く。
こちらに来い、ということだ。

穴の奥から漂い来る気配に、ヒノエの眼が鋭くなった。
望美が小声で言う。
「ヒノエくん、これって…」
「やっぱりそうだったね、姫君」
「くぅん…」
望美に抱かれた子犬が、心細げに鳴いた。

二人が長老に従って祠に入ったのを見届けると、
四人の老人も踵を接するようにして続き、手にした杖を同時にトンと突く。

その音に振り向いた二人の眼に映ったのは、静かに閉じていく祠の扉だった。




勝浦の港に水軍の船が停泊している。
先ほど、田辺の本拠地から到着したばかりの船だ。
水軍の若い衆達が荷を抱え、船と陸を慌ただしく行き来している。

「うわん! わわん!」
港を走り回っていた黒い犬が、大きな声で吠えた。

桟橋から荷下ろしの指図をしていた巨漢が振り向き
とたんに、大きな身体に似合わぬ身軽さで犬に向かって駆け出す。
いや、正確には、犬の後方からのんびりとやって来る男に向かって…だ。

男の前で、巨漢は深々と礼をする。
「俺に向かって他人行儀なことは止せや」
少し苦笑しながら、男は言った。
しかし巨漢はつるつるの頭をさらに下げる。
「こちらにおいでとは存じませず、失礼しました」

「ガラにもねぇことはするなよ。
野郎に丁重にされても嬉しくも何ともねぇ」
男はがははは…と笑い、次いで
「ぶえっくしょん!!」
と盛大なくしゃみをした。

「風邪ですか?」
「俺が夏風邪なんかひくかよ。
どこぞのイイ女が俺の噂してるに決まってんだろ」
「は…はあ…」
「それより、田辺からこっちに船を回したのはあいつの指図か?」
「はい、頭領は軍船の配置を見直すと仰っていますので」
「そうだな。今は戦がどっちに転ぶかわからねえ時だ。
ずっと同じってわけにもいくめぇよ。
だがやっこさん、繋ぎを取るのに苦労かけてるみてぇだな」
巨漢はぶんっぶんっと頭を振った。
「いえ、京からこちらへの道中でも、烏を通じて命を頂いていますので」
男は再び笑った。
「そうか。まあ、あいつの顔の目ん玉は飾りじゃねぇ。
源氏と同行してるのをムダにすることはしねぇさ」
「無駄になるなど、思ったこともありません。頭領は凄い方ですから」
男の笑いが大きくなった。
「そりゃそうだろ? 何しろ俺がスゴイからな」

「わわわん!」
遠くまで走っていった黒犬が駆け戻ってきて、
男に向かって激しく尾を振っている。

「何だ?シロ。退屈か?」
「うわん!」

巨漢は腕組みをして犬を見た。
「湛快様、また犬に同じ名前をつけたんですか?」
「おうよ」
黒犬は、はふはふと息を切らせながら湛快に飛びついている。

「どう見ても、この犬は黒いですが」
「黒い犬にシロってところがいいじゃねぇか」
「確か前には、茶色の犬にもシロと」
「お前は洒落の通じねぇ奴だな」

湛快はひょい、と手を挙げると、黒犬のシロと一緒に行ってしまった。
巨漢は黙礼してその場で見送る。

――湛快様は、忘れてはいないのだ。
子供の頃、山ではぐれてしまった白い小犬のことを。
ご自分の飼う犬に決まってシロという名を付けるのは、そのためだろう。
だがこんなことを口にしようものなら、
がははは、と笑われてお終いになるのがオチなのだが。

巨漢はふっと嘆息を漏らし、飄々と歩き去っていく背中を見た。




猛り狂う瘴気が吹き付ける。
暗紫色の靄に覆われた中から、…ギギ…ギィと軋むような音が聞こえてくる。
その音を立てているのが何者なのか、外から窺い知ることはできない。

「これがマキのヌシ様とやらだね」
「その通りじゃ」
ヒノエが短く問い、長老が嗄れた声で短く答えた。

この場にいるのは、ヒノエ、望美、長老に四人の老人だけだ。

祠の奥の洞穴を抜けた先は、三方を岩壁に囲まれた場所。
一箇所だけ開けている方向は崖になっているようだ。
眼下に黒々とした森の影が広がり、月も星もない空へと続いている。

その崖を見下ろすようにして、祭壇がある。
この村の守り神、マキのヌシを祀るためのものだ。
だが今、マキのヌシは瘴気を放つ禍々しい神と化している。

「で、オレと姫君がこいつに呑まれれば、
村は助かると思ってるわけ?」
「言うたであろう。人の世の歳月は分からぬが、
わしがここに流れ来て以来、マキのヌシ様がこれほどに荒ぶることはなかった。
だが、新たな血がマキのヌシ様の力となるのじゃ」
「覚えてるさ。力を失って弱っていたのに、急に悪あがきを始めたってね」

長老と四人の老人が不快そうに眉を顰める。
「旅のお方よ…」
長老が口を開くが、ヒノエはそれを制した。
「神様の悪口を言われたと思ったかい?
でも、そうじゃないんだぜ」
皺深い顔が、訝しげな表情に変わる。

ヒノエは笑って親指を立てた。
「まあ見てなって。
マキのヌシ様とやらは、悪くない。悪いのは…」
しかしその時、
カプッ…
望美が抱いていた小犬が、身を乗り出してヒノエの上着をくわえた。
一生懸命、マキのヌシと反対の方に引っ張ろうとしているのだ。

「シロ、ヒノエくんのことを心配してるんだね」
望美が頭を撫でると、歯を食いしばったまま小犬は、
「くふん…くふん…」と答えた。

ヒノエは小犬の両頬に指を添えて、そっと口を開けさせる。
「いい子だな。おやじは忘れてないよ、お前のこと」
小犬の耳がぴくんと動いた。尻尾が自然に動き出す。

望美は小犬を地面に下ろした。
「アブないから、ちょっと離れていてね」
「オレがいいって言うまで、そこで待つんだぜ、シロ」
「うわん!!」
小犬は激しく尾を振った。

「旅のお方よ、何を考えている」
長老と四人の老人が二人ににじり寄る。
「変な気を起こしても無駄ですぞ…おとなしくマキの…う…!」

そこで長老は驚愕のあまり、言葉を失った。
望美が白龍の剣をすらりと抜きはなったのだ。

「おじいさん達も、シロと一緒にいて下さい」
「な…何をする気じゃ!!」
「戦女神が剣を抜いたんだぜ、決まってるじゃん?」
「ま…まさかマキのヌシ様に…」
「何ということを…」
「無駄じゃ、ぬしらが余計に苦しむだけじゃ!」

ヒノエが真顔になる。
「さあ、どうかな。何事も、やってみなくちゃ分からないってね」
望美が静かに言った。
「この瘴気は、守り神様のものじゃない。
マキノヌシ様は穢れに蝕まれているんです。
蝕まれ、苦しみながら戦っている…。
まだ、果てる時ではないと」

「この瘴気…この猛り立つ力が、マキのヌシ様のものではない…と言うのか?」
「ぬしらになぜそれが分かる!
村人たる我らが、守り神の声を聞き誤るはずはない」

「本当にそう? 思いこみってのが、一番いけないんだぜ。
時にはそれが命取りにもなる。
まあ、命の無い人達に言っても仕方ないけど」

長老がぐらりとよろめいた。四人の老人が手を伸べてそれを支える。
「まことなのか…旅のお方よ。
だが、穢れを祓う術を我らは知らぬ」
老人の一人が言った。
「お前達の言葉が真と言うならば、なぜマキのヌシ様に刃を向けるのじゃ」
もう一人が続ける。
「徒にマキのヌシ様を傷つけるならば、容赦はせぬぞ」

ヒノエと望美は眼を見交わし、頷き合った。
「さっき言った通りだよ。やってみなくちゃ分からないさ。
このままじゃ、穢れに呑みこまれて、この村が消えるよ」
「今必要なのは贄じゃない。
この穢れを断ち斬ることです」

「穢れを…断つじゃと?」
しかし、望美の真剣な眼差しに老人達は口をつぐんだ。

「断ち斬って、封印します」
「オレも姫君も、こういう手合いとはさんざん戦ってきてるんでね」
二人は踵を返すと、マキのヌシの祭壇に真向かった。

「こういう手合い…とは…」
「怨霊ってヤツさ」


白龍の剣が瘴気を薙ぎ払うと、暗紫色の靄が切れ、
祭壇に鎮座するマキのヌシの輪郭が垣間見えた。
大きな黒い塊のようにも見えるが、瘴気に覆われて全体の様子は掴めない。

剣が走り、その塊を目がけて一閃する。
「ひいいいいいっ!!」
後ろで老人達が魂切れるような悲鳴を上げた。

その悲鳴と重なるように、塊の一部が砕け飛んだ。
「ギ…ギャ…ギィィィッ!!!!」
立ち上る瘴気の渦が、無数に枝分かれした腕を持つ、巨きな怨霊の形となる。



続く






[第1話]  [第2話]  [第3話]  [第5話]
[小説・ヒノエへ] [小説トップへ]



2009.12.12 筆