重衡殿被囚


1.生 田


勝敗の帰趨は既に見えていた。
源氏の奇襲により平家の防衛線は崩れ、戦力が分断されている。
ここ生田の森でも死闘が続いているが、たとえここで勝ったとしても
形勢を逆転するに至らないことは、源平どちらもが分かっていることだった。

しかし、源氏が圧倒的に優勢な中、
命知らずの武士達さえも戦かせるほどの平家の将がいた。

雨のように射かけられる矢を打ち払い、かいくぐり、名だたる源氏の荒武者共と斬り結ぶ。
紺地の直垂に紫裾濃の鎧、金作りの太刀を帯くその姿は、一目で名のある者と知れる。

平家の敗色は濃厚。
その将、すでに甲は無く、白い額に幾筋も赤い血が流れている。
しかし、双眸に宿った光は衰えず、阿修羅の如く敵を蹴散らしていく。

「申し上げます!大手搦め手とも、大輪田泊より撤退を始めております」
その将に、後方より報せが入り来た。
「知盛兄上は?!」
「舟には最後にお乗りになるとのこと」
「御大将が最後にと?・・・・・・兄上らしいが・・・」
うっすらと眉根を寄せるが、それは一瞬のこと。
すぐに将の顔に戻る。
「皆の者!新中納言殿に合流し、援護する!」
「おう!」
周囲からまばらに上がる鬨の声。その数の何と少ないことか。

剛の者も次々と倒れ、今は押し寄せる関東武者の群れに囲まれぬよう、
退路を確保するのが手一杯。

「副将が討たれてはなりません。お先に新中納言様の下へお急ぎ下さいませ!」
家人の一人が、慌ただしく愛馬、童子鹿毛を引いてくる。

その時、背後の木の上から矢が放たれた。
馬の首が射抜かれる。

どうと倒れる馬を避けたその隙を逃さず、源氏の兵が攻め寄せ、とうとう周囲を囲まれた。
馬を引いてきた家人が、血飛沫と共に武士達の足下に転がる。
突き出された鉾に足を突かれ、膝を折ったところを、地面に押し倒される。

血糊混じりの湿った土に、頭を押しつけざま腕をきりきりとねじ上げられ、
背に負った矢も太刀も奪い取られた。
「舌など、噛まぬよう願いたい」
峰を返した刀が、食いしばった口にあてがわれた。

顔を曲げ、声の主を見上げる。
「私は武士だ。戦の習いに従い首を取るがいい」
地に伏していながら、その声は勝者の如き強い響き。

声の主は刀を退いた。
「失礼した。しかし、貴殿の首級、あげるわけにはいかぬ」
「ならば、この場にて自刃を」
「それも許すわけにはまいらぬ。ところで貴殿、名のある将とお見受けするが」
「無礼な輩に名乗る名などない」
そう言い放った将の眼光に、周囲の者は思わずたじろぐ。
源氏の武士は太刀を納めた。
「拙者は庄四郎高家と申す者。武士の習いに背く辛さは重々存ずる次第なれど、
平家の将を生け捕れとは、鎌倉殿より梶原殿への直々のご命令にて」

身体を引き起こされ、馬の鞍に繋がれた。
豪奢な戦装束は返り血と土で汚れ、顔も泥にまみれている。
それでもなお、背を真っ直ぐに伸ばして動ぜぬその姿は、凛とした気をまとう。
名乗りを上げた武士に馬上で向きなおると、静かに口を開いた。

「我が名は、平清盛が子にして三位中将、平重衡」

武士達の間にどよめきが走る。
それほどに、本三位中将の名は大きい。
捕らえた高家自身、身体の震えを押さえきれない。
しかし当の重衡は、周囲の動揺も興奮も無きかの如く、馬上遙かに海を見やっていた。

遠く波間に平家の船が遠ざかるのが見える。
兄上や還内府殿は・・・ご無事だったのだろうか。
多くの者達が、この合戦で命を散らしていった。
西海に逃れた者達も、どのような命運を辿ることになるのか。

私の身は、もうすでに亡き者に同じ。


けれど・・・

    十六夜の君・・・
    あなたがなぜ、このような戦場に。
    ああ・・・、ご無事でいらっしゃるとよいのだが。

    目を閉じれば、鮮やかに蘇る昔日の月。
    群雲に隠れた、十六夜の月。


重衡を乗せた馬は、汀をゆっくりと進んでいく。


続く



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