重衡殿被囚


4.白 露


鎌倉、大倉御所。
持仏堂を朝日が照らし、庭に長い影を落としていた。

その影の中に頼朝が、いる。
しばし動くこともなくその場に立っていたが、やがて
「下がれ」
と、低い声でつぶやいた。

影の中から女が一人滑り出て、足音も立てず遠ざかる。

頼朝は南池に向かってゆっくりと歩を進めた。
ややあって、ふっと、その顔に笑みのような形が浮かぶ。
「出てきてよいのだぞ、政子」
目の前の松が二つに割れたかのように、
唐突に美しい女の姿が現れる。

「逢瀬はもうお済みになったのかしら?」
「遠慮深いのだな」
「ええ。それくらいの分別はありますわ。報告に来ただけの女なのでしょう。
引き裂いたりはいたしません」
「知っているなら、嫌みを言うな」
「あら、ご機嫌が悪いのね。予想通りの報せだったのではなくて?」
「そうだ。あの女には、指一本触れなかったそうだ」
「まあ、あれだけ選りすぐった美しい娘にも? 重衡殿は女がお嫌いなのかしら」
「湯浴みの世話をし、酒を注ぎ、差し向かいでしたたかに呑んでも、
物欲しげなそぶり一つ見せなかったそうだ。
挙げ句の果ては、見張り役の狩野の者達を呼んで楽を奏し歌を詠み、
大勢での夜通しの宴としてしまったらしい」
「くすくすくす・・・ここはお館様の負けですわね」
「全て承知の上でやっているようだな。顔に似合わず、食えない男だ。
どれほどの者かと見てきたが、想像以上。景時め、よい将を生け捕った」

「その食えない男の処遇、これからどうなさるのかしら」
「寺を焼かれた南都の坊主共が、重衡の身柄を引き渡せとうるさく騒ぎ立てている。
まずは、やつらを黙らせるとしよう」
「まずは・・・と仰るのですね。では、次には?」
「知っているか、政子。身の回りの世話をしている狩野ばかりか、源氏の武士共の中にまで、
平重衡という男に心服する者が増えてきている」
「くすくす・・・ええ、そのようですわね」
「あの景時めも、器量の大きなもののふと評していたな」
「・・・もしかして、手勢に加えるとお考えなのかしら?」

頼朝は立ち止まり、政子を見た。
「政子、お前ならあの男、どう使う?」
「まあ、珍しいこと。謎かけですの?面白いわ」
政子は袖を口元に当て、うれしそうに笑った。
「そうですわね。まず、捕虜を私兵としてはならないとは、お館様がお決めになったこと。
それを冒してまで使うには、あの男の顔は鎌倉の源氏の中で知られ過ぎていますわ。
かといって西国となれば、それ以上に知る者が多いはず・・・けれど」
「けれど、何だ?」
「聞き及ぶ限りでは、一門に背く人物とは思えませんの」

頼朝は口調も変えず、答える。
「その通りだ。だからあの男にはひとまず、死んでもらう」
一瞬政子の目が光り、その顔に屈託なげな笑みが浮かぶ。
「まあ、そういうことですのね」

「お前の力、借りるぞ」
政子は手を叩いて少女のように喜ぶ。
「嬉しいですわ。お役に立てるなんて」

「だが、あの男の心、強いぞ」
「くすくすくす・・・。ええ、そうですわね。でも私、わかりますの。
今にも崩れそうなほどに弱きところが・・・」
「ほう。外からは窺えぬが」
「あの男の優しい心が、仇になりましょう。お任せ下さいませ」

頼朝は再び歩み出した。
「では重衡を大倉の土牢に移そう」

朝露が木々の葉の上できらきらと光る。
庭をそぞろ歩く頼朝と政子の姿は、仲睦まじい夫婦そのもの。
時折、政子が華やいだ笑い声をたてる。

遠く二人を垣間見ても、源氏の郎党はもちろん気を利かせて近づかない。
しかし、二人の会話は見た目とは裏腹のものだ。

「あなたは恐ろしいお方ですのね・・・」
「何を言うかと思えば」
「平家の行く末のその先を、見ていらっしゃるのね。
邪魔なのは、九郎達ばかりではないと・・・」

「この頼朝が自ら上洛しない理由を、お前はよく知っているはずだ」
「北・・・奥州ですのね。大国ですわ」
「勢力、財力とも今は鎌倉以上だ。南下させてはならぬ」
「くすくす・・・けれど、いずれは叩くのですね」
「重衡は、そのために使う。並外れた器のあの男、奥州藤原氏にくれてやろう」
「まあ、素敵。あれほどの武将ですもの、きっと重用されるに違いありませんわ」
政子は膝を屈め、足下に咲く雪の下の花を摘み取った。

「ねえ、お願いがありますの」
「言ってみよ」
「記憶を奪うだけでは面白くありませんわ。もう少し、仕掛けを施してもよいかしら」
「お前こそ、優しげな声で恐ろしいことを言う」

政子は空を見上げた。
「平氏の将を匿い、重用している罪は重いのでしょうね。
そこにあの子達が・・・奥州を頼って行ったなら、素敵ですわ」
「まだ、先のことだ。そこまではお前とて分からぬだろうに」

政子は微笑んだ。
「先を見た者が、勝つのですわ」
そう言って、花を持つ袖をひらりと翻す。

一陣の風が巻き起こり、ザッと音をたてて飛び散った白露が、
朝日を受けて眩くきらめいた。


続く



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