重衡殿被囚


5.転 生


        凍てつく冬の風が吹き荒れている

        夜空を切り取って浮かび上がる大塔伽藍
        ここは・・・南都・・・あの時の・・・

        次の瞬間、辺り一面が火の海に変じる

        あ・・・あ・・・
        これは・・・この光景は・・・

        炎が迫る
        熱風が吹きつける
        熱い・・・
        身体が足下から燃え上がる

        だが身体は炎に縫い止められたように
        動かない

        そうだ・・・私は・・・あの時、
        こうして炎に包まれ
        逝かなければならなかった


                        くすくすくす・・・

        女の笑い声が響く

        誰だ!

                        つらいのでしょう・・・
                        忘れなさい

        どこにいる!

                        これが、あなたの罪なのね
                        かわいそうに・・・
                        でも、もういいのよ

        これは・・・
        忘れてはならないことだ

                        忘れていいのよ

        この罪は消えない
        忘れることは、罪を重ねること

                        楽におなりなさい

        忘れることを望むなら
        私の命を絶つがいい!

                        命?
                        くすくすくす・・・
                        あなたの命などに、興味はないわ

        お前は・・・何をしたい

                        全てを・・・お忘れなさい


        炎の渦に捕らえられた

        何も見えず
        何も聞こえず
        声を出すこともできず

        引き剥がされる・・・

        私が・・・
        私から・・・

        忘れよ!と
        その声だけが
        繰り返し私の中で響き渡る

        だめだ
        この声に・・・
        支配されては・・・

        私は・・・もっと美しく、
        清らかな声を
        知っている

        私を支えるのは
        あの声・・・そして

        顔を上げた

        燃え立つ炎の彼方に月が輝いている

        優しい光が降り注ぎ・・・
        あたたかな力が心に満ちる

        いつか見た・・・十六夜の月

        十六夜の・・・君

        私は忘れない

        私はずっと・・・
        ・・・あなたのことを・・・

                        見つけたわ!
                        邪魔をしていたのはその月ね!


        炎の壁が立ち塞がる

        ゆらめく火炎の向こうで、
        月がみるみる光を失っていく

        やめろ!!
        十六夜の君に・・・
        触れるな!!!

                        くすくすくす・・・
                        十六夜の君?
                        想い人がいらしたのね

        黒い炎が月を取り囲んだ

        月は呪詛の闇に覆われていく

        手を伸ばしても届かない月
        十六夜の君・・・

        月は漆黒の闇に墜ちていった

        そして
        遠ざかる
        全てが
        消えてゆく



                        あなたはもう、誰でもないわ
                        何もわからない
                        何も持たない
                        自分さえも
                        どう?
                        楽に・・・なれたでしょう?





こやつ、鞭が襲い来る場所を、
俺の腕のかすかな筋の動きで知るというのか。

ぎりぎりで見切られた。
鞭はまたもや空を切る。

幾度繰り返しても、同じ。
動いたとも見えぬ間に、かわしている。
供の郎等達が打ちかかっても、
素手のこの男に傷一つつけられない。

しかし、太刀を持つ武士達に囲まれているというのに
美しく整ったその顔に、怯えの影はない。
いや、表情そのものが・・・ないのか。

だがなぜだ。
この状況で
逃げるでもなく、太刀を奪って反撃するでもない。

ただ、静かに佇んでいる。

この男、ただのねずみではない。
しかし・・・どこぞの間者とも思えない。
間者と言うには、あきれるほどに蒙昧。
何も覚えていないなどというくだらぬ言い訳、
まともな者なら思いもつかぬだろう。

そして、この男の気、静かすぎる。
凍り付いた水の如く、動きがない・・・。

ふっ・・・。
まあ、面白い。
これだけの腕があれば、いずれ使う時も来よう。
犬と同じほどに役立てば、上々。

「何もないというなら、俺がお前に名をやろう」
「私に・・・名を下さると?」
「お前の名は、銀だ」
「し・・・ろ・・・がね・・・」
「そして俺が、お前の主だ」
「はい・・・」
「俺の名は藤原泰衡。覚えておけ」
「泰衡・・・様。私の・・・主」

「主とは、どういうものか知っているか」
「・・・主・・・とは・・・、命をかけてお仕えするべきお方」
「銀、お前も俺に命をかけて仕えるというのか」
「はい」
「会ったばかりの俺にか」
「はい」
「なぜだ」
「・・・・私に、名をお与え下さいました。
そして、あなたの僕という役目を」

「それがなくば、ただの人形と変わらぬか」
「はい」
「ならば、証を見せてもらおうか」
「はい。何をもって証とすればよいのでしょうか」
「何もするな。だが、そこを動いてはならんぞ」
言うなり、鞭を振り下ろす。

最前と同じく銀は瞬きもせず、その視線は冷静に鞭の動きを追う。
しかし、今度は動かない。
衣が裂け、銀の肩口がみるみる朱に染まっていく。
供の武士達がたじろぎ、後ずさりした。

泰衡は哄笑した。
「なぜ避けなかった」
「動くなとのご命令でしたので」
「主の言葉は、絶対か」
「はい」

犬よりは・・・役に立つか。

「館に戻る。お前も来い」
「ご命令のままに」

泰衡は馬に飛び乗り、走り出す。

木立を抜ければ、眼下に平泉の街が広がる。
北国の黄金の都。
俺の、守るべき地。

透き通った青い空を見やり、
泰衡はかすかに眉根を寄せた。

源平の戦、雌雄が決すれば、
次なる争乱の地は
ここ、平泉か・・・。

だが・・・
鎌倉の、好きなようにはさせぬさ。

奥州の冬は早足で訪れる。
その時までに・・・俺は・・・。



続く



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