重衡殿被囚


6.春 宵


雪明かりを頼りに、走る。

どれほどの間、気を失っていたのか。
だが、まだ夜は深い。
今ならまだ、きっと間に合う。


振り下ろされた刀。
鋭い、痛み。
そのまま倒れて、崖下へと墜ちていく。
神子様の悲鳴。
魂が、切り裂かれるような・・・。

どうか、お嘆きにならないで下さい。
あなたをお助けするまで、私が倒れることなどありません。
銀はすぐに、あなたのもとへ参ります。


夜の底を駆け抜けながら、
取り戻した記憶が、波のように心にあふれ出る。

平重衡として生きた歳月。
栄耀栄華の極み、華やかな殿中、きらびやかな宮人達、
綺羅星の如く輝く一門の人々。
そして、戦乱と没落、炎上、父の死、都落ち。

その思い出の一つずつが、いとも容易く、はっきりと像を結ぶ。
記憶は・・・平重衡そのもの。

銀として、平家の敗北を知った。
知盛兄上は、西海の波間に沈んだと・・・
そのことを聞き及んでも、
銀である心には、さざ波一つ、起こらなかった。

・・・・・・兄上・・・。
胸が、一瞬、耐え難いほどに痛む。

申し訳ありません・・・。
瞑目し、祈るのは、しばしの後とさせて下さい。

「クッ・・・好きにすれば・・・いいさ」
そんな声が、今にも聞こえてくるような気がする。
しかし・・・この現世に、もう兄上はいない。

遠い都
遠い人々
遠い日々


私に残ったものは、あなたへの熱い想いだけ。
穢れを負い、大罪を犯しながら、なお生きて、
愛する人を助けたいと願う
・・・この想いが、私の全て。



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



神子様・・・、まだ、夢ではないかと思うことがあるのです。
あなたの世界で、あなたと共にいること。
そして今、朧な春の宵に、
彼方から寄せ来る潮騒の音を聞きながら、
あなたと汀を歩いていること。

何もかもが、痛いほどに幸せで・・・。


波間に小さくなっていく船を見やりながら
馬の背に揺られていた宵。
あの時も、このように潮騒の音が聞こえていました。


「銀、どうしたの。考え事?」
「少しだけ・・・昔のことを思っておりました」
「昔・・・重衡さんの頃のこと・・・?」

優しいあなたは、私に尋ねて下さいましたね。
重衡の名で呼んだ方がいいだろうかと。
でも、私は銀と呼ばれることを、願いました。

銀として私はあなたと会い、
銀としての私を、あなたは愛して下さったのですから。
だから私は、銀以外の何者にもなれません。

あなたと初めて出会った時の私が、重衡であったとしても・・・。

あの時あなたは、銀を探して、
あの十六夜の朧夜に降り立ったのでしたね。

未来で私を助けると仰ったあなたは、
どんな辛い思いを抱いていたのでしょうか。

あなただけの知る私は、
あなたのお心に、深い痛みを与えてしまったのですね。

それを尋ねると、
あなたは息もつまるほどに悲しい眼をなさいました。

ですからもう、二度とお聞きすることはいたしません。
けれど、神子様にそのような思いをさせた、
私の知らない私が・・・
命を賭けて神子様を想っていたのだと、
あなたを最期までお守りすることができたのだと・・・
信じていてもよいでしょうか。


群雲の間から、月が姿を現した。

「満月・・・ん?でも、少し違うかな」
「今宵は、十六夜の月のようです」
「十六夜・・・」

その言葉と一緒に、愛する人を胸に抱きしめる。

月の道が、遙か沖までゆらゆらと続き、
絶え間ない潮騒の音だけが、世界に満ちている。
やわらかな大気はあたたかく、
朧なる春の宵は、ゆるやかに過ぎてゆく。





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あとがき

1万打お礼の話を、このように早い時期に書けるとは、
正直、思ってもみませんでした。
辺境かつ、字だらけの、地味な拙サイトまでお越し下さった
神子様達に、心から感謝申し上げます。

これからも、地味なのは変わらないと思いますが、
野望(笑)だけは果てしなく抱いております。
神子様達のキャラへの想いだけに頼ることなく、
読み物として面白く、内容の充実したものを書きたい!と・・・。
時に大コケするかもしれませんが(既にしているけど・・・)
その時は、ごめんなさい!!ということで(マテ)。

話の方ですが、とうとう最後まで、色気がなくてごめんなさい。
ラストは、潮騒を枕辺に聞きながらしっかり銀×望美・・・
と想定していたのですが、糖分の苦手な書き手ゆえ、
こうなりました。

「十六夜記」で真っ先に突進したのが、
ご多分にもれず(笑)、銀ルート。
1周目のエンドには、泣くというよりも呼吸困難状態に陥りました。
ああ、命の危険・・・(苦笑)。
で、ご一読の通り、この話は2周目前提のものです。

強烈な兄上とは対照的なところの多い銀というキャラですが、
騎士的、従者的な部分の奥に、武門の勇である重衡が
しっかりと生きているのではないか、と。

調べれば調べるほどに、平重衡というお方は魅力的で、
どんどん恒平好子先生(@「重衡殿被疑」)に近づいてしまう私・・・(苦笑)。

そんな気持ちが高じて、このような話と相成りました。
お楽しみ頂けましたなら、幸いです。

2007.2.4筆