重衡殿被囚


2. 朧 夢


夜半も過ぎた頃、細い月が山の端に上ってきた。
望月には遠い暗い夜。
形ばかりの粗末な寝所に、重衡は眠ることもなく端座していた。


   十六夜の君・・・。
   私はずっと、あなたのことを
   朧の夜が見せた美しい夢ではないかと思っていたのです。

   けれど、最期にあなたとまみえ、初めて間近にあなたの姿を見て、
   あなたが幻ではないとわかりました。

   逃げよ、と・・・
   私に向かい必死に訴えるあなたのお心に背くことは、
   とても辛いものでした。
   
   でもそれが、どれほどに私の心をあたたかく満たしてくれたことか。
   従容と死を受け入れるより、
   たとえ骸を野にさらそうとも戦い抜こうと、
   あなたを思い、太刀を振るうことができたのです。

   やさしく清らかな十六夜の君・・・。

   生きるより前、死するより前に、私は戦場に身を置く者。
   私は、平家の武士です。
   蝶よ花よともてはやされ、雲上にあってなお、平家は武門の家。
   戦場にあって私は、己の中に流れるその血を感じずにはいられないのです。

   滅び行く我が身、我が一門なれど
   最期まで誇りと忠誠を捨てることはいたしません。


   十六夜の君、もしかしてあなたは私のために、
   天界からあのような戦場に降りてきて下さったのでしょうか。

   私の心を救うために、三年の時を経て、再び私のもとへ・・・。

   あの時、光の中に消えゆくあなたの残した言葉を
   私は忘れておりません。

   あなたは仰った。
   この先の時で、私を救うと・・・。

   その時の約束を果たすため、私の前に姿を現して下さったのでしょうか。

   ・・・とんだ慢心と、お笑いになってもよいのです。
   けれど、初めてあなたと会ったあの宵・・・
   私の心は闇の帳につつまれ、深い水底のようにうち沈んでおりました。

   麗しい十六夜の月にさえ、慰められぬほどに・・・。

   私の罪・・・。この身一つの命で贖うには、あまりに重い罪。

   眼前で燃え上がる、いにしえの都、大塔伽藍、逃げまどう人々、
   助けを求める悲鳴、崩れ落ちる大門、下敷きになる罪なき者達。

   私の引き起こした、惨禍。阿鼻叫喚の地獄絵図そのままの・・・。

   なぜそのような罪深い私の元へ、
   まばゆいほどに清らかなあなたが遣わされたのでしょうか。

   あなたが告げた滅びの(かんなぎ)
   それは、私の罪と共に平家が辿る道であったのだと、
   あれからの歳月が教えてくれました。

   あの後の私は、天上のあなたに焦がれ、
   なぜあなたを光とともに帰したのか
   なぜ御簾の内に入り、あなたをこの腕に抱かなかったのかと
   そればかりを悔いてきたのです。


   最期に再び、あなたにまみえたことは、
   天が私に下された、せめてもの慈悲なのでしょうか。

   生け捕りの身は、もはや死人と同じ。
   京の人々に平家の世の終わりを知らしめるため、
   私は都大路を渡され、いずこかの河原にて命果てることでしょう。

   もはや浄土を望むことなどできぬ身であれば、
   せめて消えゆくその時には、あなたを思うことを、どうか・・・お許し下さい。



朝ぼらけの頃、使いの者が来た。
報せを聞いた源氏の武士が寝所の戸を開けると、
重衡はすでに身支度を調えていた。
黙ってつと立ち上がると、そのまま外に歩み出る。

「お役目ながら・・・御免」
一人の武士が進み出て、手に縄をかけた。
太刀を構えた数人の武士に囲まれ、小さな牛車の中へと入る。
「どこへ行くかも聞かないのか?」
武士の一人が問う。

「何処へたりとも・・・」
重衡は幽かに微笑んだ。

朝靄が立ちこめる都の道に、ごとごとと進む車の音が響く。


続く



[1.生田] [2.朧夢] [3.東下り] [4.白露] [5.転生] [6.春宵]

[小説トップへ]