お館様の休日・5 玄武


御室の寺が騒がしい。

「永泉様!」
「お目にかかりたいという人物が」
「ひいい、お待ち下さい!」
何者かが、強引に入ってきたようだ。

「どなたでしょうか…」
不安げに立ち上がった永泉の前に、
一人の僧侶が転げるようにしてやって来た。
「永泉様、お知り合いと名乗る仏頂面の陰陽師殿が」

その一言で、その人物なる者が誰か、すぐに分かる。
そして僧侶に続いて、無愛想な声がした。

「仏頂ヅラではない、桂だ」

現れた泰明を、永泉はきょとんとして見つめた。

「泰明殿…あの…いつからお名前を桂…殿と」

泰明はにべもなく答える。
「私は桂ではない、泰明だ」

「でしたら…ええと、桂殿というのは」

泰明はゆっくり瞬きした。
「京に住みながら、桂を知らないのか?
鷹通の家の荘園もあるだろう」
「そ、そういうことだったのですか…」

真っ赤になった永泉を不思議そうに見ながら、
泰明は言った。
「これから桂に行く。
一緒に来い、永泉」

「は?…」

唐突に思える泰明の言動だが、
それには必ずもっともな理由があるのだと、
永泉はやっと理解し始めたところだ。
そしてそれが、泰明の図抜けた能力ゆえのことであるのも、
次第に分かってきている。

そして結局……

「もっと早く歩けないのか」
「す…すみません」

御室の寺を一緒に出て、桂に向かって歩いている。

双ヶ丘の裾を通り過ぎるが、
そこには頼久も天真もセフルも、すでにいない。




――息女が物の怪に憑かれたゆえ、祓ってほしい
先日安倍家に、とある貴族から依頼が来た。
その貴族の桂にある別邸に、その娘は籠もっているとのこと。

祓えに行くことになっていたのは泰明の兄弟子だったが、
今日になって頭痛歯痛腰痛腹痛に襲われて
起き上がれなくなってしまった。
そこで、泰明が代わりに行くことになったのだ。

だが、我が娘はまだ幼く、しかも大変に繊細な心の持ち主なので、
くれぐれも怖がらせることのないように、
優しく丁重に…と、依頼の文には書いてあった。

晴明はその文を泰明に見せ、
無理に笑う必要はないが、
仏頂面と、ぴしりとした物言いはしないように、
上から見下ろさず、
目を見て、優しく話しかけるように等々等々…
噛んで含めるように言い聞かせて送り出した。

心に一抹の不安がよぎったのは無理からぬこと。

一方、泰明にとっては、晴明から受けた注意は
どれも不必要と思われるものばかりだった。
だがそう思うのは、
自分が心を持たないためなのだ、と考えた。

そこで、『繊細な心』という言葉で、
最初に思い浮かんだ永泉の所に
直行したのだった。



泰明の話を聞いた永泉が慌てたのは言うまでもない。
「あの…では、私はどうすれば…」
それでも、寺に帰ると言わないところが、
永泉の永泉たる所以か。

「分からない」
「そ…それでは…あまりにも」
「だが永泉ならば、
『繊細な心』が傷つきそうになったら分かると思う」
「女人の心は分かりかねますが、
悲しそうな様子であれば、察しがつくのではないでしょうか」
「では、その時に…!」

突然、泰明が立ち止まった。
「どうしたのですか、泰明殿」

「この先に、鬼がいる」




河原の石が四方に弾け飛んだ。
ランの攻撃をかわしながら、泰明が印を結ぶ。
桔梗印がランの足元に広がり、その動きを止めた。

「鬼、ここで何をしていた!」
「お前に邪魔はさせない、地の玄武」
ランの身体から流れ出た暗紫色の瘴気が
桔梗印を覆い隠すと同時に、
無数の蝶が中空に涌き出して泰明に取り憑いた。

「効かぬ!」
次の瞬間、蝶はばらばらと河原に落ち、
黒い炎を上げて消えていく。

「泰明殿!」
遅れて走ってきた永泉が、河原に向かって駆け下りてきた。

「天の玄武、お前も邪魔をしに来たのか」
「伏せろ、永泉!」
「ひいっ」

ランの放った術が永泉をかすり、すぐ隣の地面を抉り取った。
泰明は永泉の所まで駆け戻り、
その身体に護符をぺたりと貼る。

「泰明殿…ありがとうございます」
「礼は不要だ。護符は鬼の術を弱めるだけ。
まともに受けては命が危ういと思え」
「は…はい…」
「震えていないで、自分の身は自分で守れ」
「は、はい…」
「動けるなら、笛でも吹いていろ」
「は……はい?」
「お前の笛には、退魔の力がある」
「は…はい」
「分かったなら、さっさと吹け」
「はい!」

ぴ〜ひゃら〜

突如響き渡った笛の音に、ランは驚いた顔をした。
その隙を突き、泰明の術が飛ぶ。
身軽にかわしたランは、かすかに眉を顰め、
次いで首を振った。

「好みじゃない…」
ランが、小さく呟く。
「私の好きな音楽は…好きな……」
ランは膝を折り、両手で耳を塞いだ。

「永泉、お前の笛が効いているようだ」
「耳を塞がれました…。
やはり私のつたない笛など、
聞くに堪えないということでしょうか」
「理由の推測など、今は必要ない。続けろ」

ぴ〜ひゃら〜

ランは、まだ何事かを呟いている。
「もっとアップテンポで…ノリがよくて…
違う…こんなのって……
音楽の授業で無理矢理鑑賞させられたような……」

ぴ〜ひゃら〜

ふああ〜〜〜〜っ
ランはあくびをした。
グサッ!!!
永泉の繊細な心は、いたく傷ついた。

その時――
「ラン、いい子だ。
たった一人で、玄武の二人と戦っていたのか」
冷ややかな声と共に、一陣の風が吹いた。

「お館…様」
「アクラム!」
「やはり何か企んでいたのですね」

アクラムは嘲るような笑みを浮かべた。
「お前達が知る必要はない」

そしてランの肩に手を置いた瞬間、
二人の姿はかき消えた。


永泉が、ほっとため息をついた。
泰明は独り言のように言う。
「戦わずして、退いた。
目的は既に遂げたということだな」

「あの…泰明殿、アクラムの手に…」
「やはり気づいたか、永泉。
爪の先まで、土がこびりついていたな」
「はい。それから、仮面の目の下にクマもできていました」
「目の下のクマ? それは何を意味するのだ、永泉」
「その…心労が重なってお疲れなのでは…と」

泰明は小さく首を傾げた。
「心労? 分からない。だが…」
永泉が頷く。
「急ぎましょう。陽が傾いてまいりました」






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2010.04.19