聖夜

〜ヒノエ×望美〜
(「迷宮」エンド後)




「ふうっ、これで一段落かな」
望美は額の汗を拭いた。

目の前に続く長い廊下はぴかぴかだ。
数日がかりで、母屋を取り巻く廊下を一面ずつ拭き浄めてきた。
その前には、ヒノエと自分の居室をきれいにした。
後残っているのは…

「他の棟と御厨と前庭、どれを先にしよう…」
ぺたんと廊下に座って考えていると、
水軍の男達が帰ってきた。
みんな一様に、満足げににこにこしている。

望美を見つけると、深々と頭を下げた。
「ああ、望美様だ!」
「ありがとうございます!」
「おかげさまで!」
「いい思いをさせて頂きまして!」

「お帰りなさい」
笑顔で応えながら、望美の頭上には巨大な?マークが浮かんでいる。

ここ数日、理由も思い当たらないのにお礼を言われるのだ。

望美の浮かべた?マークは、日ごとに大きく育っている。


「ごせいが出ますね、望美様」
「このようなことは、お方様がなさらなくても…」
「いいえ、空いた時間にお手伝いしているだけですから」

「いやあ、お美しい上に」
「気だてが良くて」
「働き者の花嫁様とは」
「無理もない。ヒノエ様があのように…」

バシッ!
「い、いけね…」

「は?ヒノエくんがどうしたんですか?」
「い、いいえ、何でもありませんです」
「へい、ど、どうも…」
「失礼致しました」

男達はへどもどしながら行ってしまった。


太陽はもう西の山に隠れて見えない。
庭の木立の向こうに見下ろす海も、
沖に明るいきらめきを残すのみ。

今日は、ここまでにしようか…。
望美は勢いよく立ち上がり、
黄昏につつまれていく空を見上げて
小さなため息をついた。


「じゃ、行ってくるからね、姫君」
そう言って、せわしなく出掛けたきり、
今日もヒノエは一日姿を見せない。


仕方…ないんだよね。
ヒノエくんは、熊野のために
がんばっているんだから。

ただ待っているのは、望美の性分ではない。
だから、広い屋敷を、はじから掃除している。

これって、年末の大掃除かな。
前は、自分の部屋で手一杯だったのに、
何だか、変なの。
望美は小さく笑う。



年の終わり、大つごもりが近い。

熊野の別当ともなれば、何かと所用も多く、
さらには水軍や、熊野三山の新年を迎える儀式も、
聞いているだけで頭の痛くなりそうな数に上る。
それらに加えて、近隣の勢力とのつきあいも おろそかにはできない。

ヒノエと共にこの世界に戻ってきたのが
長月の初旬のこと。

源平の和議にヒノエとの祝言…、
めまぐるしく数ヶ月が過ぎ、
つい最近やっと、落ち着いたと思ったのだが…。

…でも、今度は…
ヒノエくんがいない。

望美は思わずつぶやいて、
頭をぶんぶんと振った。

ああ〜、私って、ばかばか!!
ヒノエくんは、私一人のものじゃないって、わかってるのに!!


冬の夕暮れ時は、ただでさえわびしい。

望美は寒さにぶるっと身震いすると、
がらんとした居室にとって返した。


今日はちょっと張り切って動き回りすぎたかも…。

間もなく夕餉の支度ができたと呼ばれるだろう。
でも…
ちょっと、お行儀が悪いけど…

望美は横になると、
そのままうとうとと寝入ってしまった。




額に柔らかなものが触れたような気がして、
望美はうっすらと目を開いた。

「やっとお目覚めだね、姫君」
部屋はすでに暗く、高燈台に火が灯っている。

「ごめん!!」
望美は跳ね起きた。
きっと、何度も起こされたに違いない。

「オレの方こそ、すまなかったね。
せっかく姫君が休んでいたというのに」


「さあ、では姫君、行こうか」

ヒノエは、手燭に火を移した。
望美の手を取って、庭に下りていく。

「え?」
夕餉の席に向かうと思っていた望美は驚いた。

「いいから、ついておいで
暗いから、気をつけてね」


そのまま庭を回り込み、裏手の門から山に入った。
道は急だが、よく踏み固められ、草も刈り込んであるので
さほど歩きにくくはない。

けれど、どこに行くのか?

この時期、月の出は遅い。
まして山の中ともなれば、真の闇に近い。
ヒノエのかざす手燭の灯りが唯一の頼りだ。
望美は、ヒノエの手をぎゅっと握った。

「恐いのかい?」
「ねえ、どこに行くの?」
ヒノエは、クスッっと笑う。
「秘密…」
「ヒノエくん、意地悪しないで」
「もうすぐだからね」
「本当?」
「じゃ、目を閉じて」
「え?」
「オレが、いいって言うまでだよ」
「わかった」


足下に石段を感じ、道が平坦になった所で、
扉の開く音。

導かれるままに進むと、周囲がほんのりと暖かくなった。
後ろで扉が閉じ、
ヒノエが耳元でささやいた。

「いいよ、姫君。目を開けてごらん」


そこは


柔らかな光に包まれた、小さな部屋。
そこかしこに、蝋燭が灯り、
円錐形に整えられた緑の木には、様々な飾り。

「あ…今日って…クリスマス…」

部屋の中央に置かれたテーブルには、
……望美は、ゴシゴシと目をこすった。
「これ、クリスマスケーキ…?」

「そう、オレの手作り。特製のやつだよ」

「もしかして…ケーキとか、この部屋…
全部、ヒノエくんが?」
「そうだよ。ま、小屋を建てたり、テーブルを作ったりっていうのは
水軍の連中を駆り出したけどね」

「それで今まで、すごく忙しそうにしていたの?」
「まあね。年末の雑事をやりながらだから、
ちょっと忙しかったかもね」

望美の心が、後悔でいっぱいになる。
「…ごめんね、ヒノエくん。
私…、ヒノエくんとあまり会えないからって、
いじけてた…っていうか、少し怒ってた…っていうか」

「淋しい思いを、させちゃったんだね、ごめん、望美」
「謝るのは私の方だよ。ヒノエくん、ごめんなさっ…!!」
謝罪の言葉を、柔らかな唇が閉ざした。
「そんなこと、気にしないで…オレの姫君」



ヒノエと望美は、テーブルに向き合って座った。

「ね、食べてみて。このケーキは自信作だよ。
さんざん作り方を試して、味見を繰り返して到達した、究極の一品ってね」
「もしかして、味見役って…水軍の」
「やつらだって忙しい時期に手伝ってもらったからね」
「…口止めして?」
「そう。口止め料も兼ねてね」

望美の頭上に浮かんでいた?マークが
そのまま天に昇って消えていった。

「いただきま〜す!」
口に入れると、ほろほろと溶けていくような、
しっとりとした食感。上品な甘さ。

水軍の男達が、上機嫌だったのも、無理はない。

けれど…
「ヒノエくん、これ、どうやって作ったの?
材料とか、調理器具とか、オーヴンだって無いのに…」

「全部、持って帰ってきたからね」
「え?そんなこと…できたの?
あっちの世界の物は、こっちに持ってこられないはずじゃ…」

ヒノエはウィンクしながら、自分の額を指先で叩いた。
「ここに入れておけば、大丈夫ってね?」
無いなら、作ればいい。
たいていの食材は、この時代でも手に入るしね」
「つ…作ったぁ?」
「そうだよ」
こともなげに、ヒノエは言う。


けれど、ヒノエの笑顔を見ながら、望美は思う。
何でもないことのように語られた、
その事柄の一つ一つの大変さを。


ヒノエに追いつく人はいない。
ヒノエは、人よりも遙か遠くに、どこまでも駆けていける。

短い滞在ではあったけれど、現代世界でも、
ヒノエは、変わらずヒノエのままだった。
時代の制約など、存在しないかのように。


一緒にいたいと思う。
ヒノエの見ている世界には、届かないかもしれないけれど

「ありがとう、ヒノエくん」

広がる空に自由に羽ばたくヒノエを、
いつまでも見ていることができるのなら…・。


「姫君…泣いているのかい?
もしかして…」
珍しく、ヒノエが言いよどむ。
「どうしたの?」
「…いや、逆効果…だったかな」
「何が?」

「恋しくなった?元の世界が」

望美は涙を拭った。
立ち上がって、ヒノエのそばに。

「うん、すごく、恋しくなったよ」
「そう…」
消えそうにかすかなヒノエの微笑み。
「前より、ずっと」
きれいな瞳…吸い込まれるよう…。
「ヒノエくんのことが…」



きっとそのまま、
ヒノエのきれいな瞳に吸い込まれたのだろう。
ふわりとあたたかいものに包まれて、
世界が…消えた。

遠くでかたん…と椅子の倒れる音。

「意地悪な…姫君だね」

少しかすれたヒノエの声。



遅い月が上る頃、
甘い吐息を重ねた二人は、
満ち足りた夢路を辿っていた。







☆・・・クリスマス集・・・☆

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この話は、拙作「夏の空」の続きを、何となぁく念頭に置いて書きました。
あの話の最後で、望美が出した答えの一つ…みたいな。

もちろん、普通に「迷宮」ヒノエ・エンド後としても、お読み頂けます。

やっぱりヒノエくんは、書いていてハッピー!です(笑)。
お読み下さった神子様も、そのような気持ちになって頂けたとしたら、
こんなに嬉しいことはありません。