深き緑に(まばゆ)き青に  〜10〜




首を押さえられ、力ずくで引きずられながらも、望美はひどく冷静だった。

驚かなかったといえば、嘘になる。
しかし、危機に陥ったと同時に、状況判断を始めているもう一人の望美がいた。

望美をここまで誘ったアザミは、呆然としている。

暴漢の出現に驚き、恐れているのか。
違う。
アザミの視線は、望美を通り越して、その後ろを見ている。

誰かが来る?
だが、足音も聞こえず、気配も感じない。

望美はこれらを、一瞬のうちに見て取っていた。

小屋に引きずり込まれる瞬間、入り口の板壁に足をかけ、
身を捩って、右手を男の腕の間から引き抜く。

「おとなしくしてろ!」
首に掛かった男の力が強くなる。

その時、自由になった望美の手に、何かが押しつけられた。
反射的に、掴む。
すぐ脇を誰かが通り過ぎていくが、 今、振り向いて見る余裕はない。

手の中に残されたのは…

木の棒?

長さも強度も分からない。
だが望美は、手に感じる重さの感覚で、
短いものでも、弱い枯れ枝でもないと、瞬時に判断する。

通り過ぎた人物は、棒が逆手になるように握らせてくれた。
望美は、背後の男に思い切りその棒を突き立てる。

「ぐふうっ」
男の手が緩んだ。
振り向き様、体勢を立て直し、小屋の中に向かって身構える。

「やりやがったな!」
「このアマッ!!」
腹を押さえて呻く男の後ろから、さらに二人の男が現れた。

腕力と粗暴さでニラミをきかせている、地元のごろつき共だ。
そのうちの一人には、見覚えがある。
こともあろうに、子供に難癖をつけて脅かしているところを、
望美に叩きのめされた男だ。

「もうっ!懲りてないのねっ!」

三人が地面にノビるまで、たいして時間はかからなかった。

そして
「うーん、どうしようかな。アザミさんのことも気になるし、
こいつらを、このままにしておくこともできないし…」
望美が、気絶した男達を見下ろして思案していると…

「さすが望美さんですね。お見事でした」
すぐ後ろで、柔らかな声がした。

「べっ、弁慶さん?!」

「こいつらは、逃げられないように縛っておきましょうか。
僕も、手伝いますよ」
「は…はあ…」




道行く人々は立ち止まり、信じられない、といった様子で
見知らぬ者同士までが、顔を見合わせている。

大の男が二人、縛り上げられた上に、腰に巻かれた縄を掴まれ、
軽々と運ばれていくのだ。

男達を運んでいるのが、山のような巨漢であるならば、
さもありなん、と思うのだろうが、大力の主はあろうことか、
優しげな笑みを浮かべた、美しい法師だ。

もう一人、縛られた男がいるが、逆らう気力もないのか、
おとなしく一緒に歩いている。
時折腹を押さえては、法師と、その隣にいる娘の様子を、びくびくしながら伺う。

男達はいずれも街の鼻つまみ者なので、誰もが溜飲を下げつつ、
この奇妙な一行について、いろいろな憶測を思いめぐらせた。


「弁慶さん、この人達、ずいぶんおとなしくなりましたけど、
さっき何を話していたんですか」
「ふふっ、たいしたことではないですよ。
僕も、熊野の生まれですから、ちょっと挨拶をしただけです」
「悲鳴が聞こえましたけど」
「なぜでしょうね。それは僕にも分からないな」

「……あの、さっき私に棒を渡してくれたの、弁慶さんですよね」
「ええ、そうですよ」
「で、そのまま素通りして、どこに行っていたんですか」
「ふふっ、そういうところ、君らしいですね」
「え?何のことですか…」
「なぜ自分を助けなかったのか、とは聞かないんですか」
「は…?…ああ、そういえば、そうかも」
「熊野は、よい姫神を迎えました」
「答えになっていません」

「ああ、そうでしたね。僕は、物売りの娘の後を追っていたんです。
誤解しないで下さいね。下心があってのことではありませんから」
「そんなこと、断らなくても大丈夫です。
それより、弁慶さんの言っている物売りの娘って、あそこにいた…」
「そうですよ」
「どうして……。あ、それで、その人は見つかったんですか?!」

初めて、弁慶が憂い顔を見せた。
「見事に撒かれましたよ、この僕が」
「ええっ?!」
「木を隠すには森の中が一番いい。
そのことを、よく心得ている娘のようですね」
「じゃあ、人混みの中に…」
「角を曲がった一瞬の隙に、着物まで替えたようです。
背の高い娘でしたから、烏帽子をかぶってしまえば、男のふりもできる。
顔立ちで見分けることはできますが、僕はあまり遠目がきかないんです」

「そう…でしたか」
望美はそこまで言って、うつむいた。

あの時の、アザミさんの驚いた表情は、私が襲われたからじゃなかった。
後ろから来る弁慶さんの姿を見たから…。
もしも、やましいことがなければ、
すぐに弁慶さんに助けを求めることだってできたはず。

それなのに、逃げた。
そして、弁慶さんの尾行を撒いた。

望美は、唇を噛んだ。
ヒノエがアザミを信じていないことを、
彼のちょっとした言動の端々に、感じてはいたのだ。

ヒノエくん……
いつから疑っていたんだろう。
どうして、話してくれなかったんだろう。

会話は、そこで途切れた。

沈黙したまま街を抜け、二人は屋敷への坂道を上がる。

とその時、大きな男が坂を走り下りてくるのが見えた。
体躯に似合わぬ俊足ぶりだ。
離れていても、その巨体と海坊主のような頭ですぐに分かる。
水軍の副頭領だ。

副頭領は、走りながら大声で叫んだ。

「望美様!……おお!弁慶様も!」
「どうしたんですか、副頭領」
「すぐにお屋敷へ!…」

二人の前まで来ると、副頭領は、乱れた息を整えるかのように、
一度言葉を切った。

「大事が、起きたようですね」

弁慶の落ち着いた声に副頭領は頷くと、
望美を凝視し、歯を食いしばり、絞り出すように言った。

「………頭領が……」



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