深き緑に(まばゆ)き青に  〜15〜




勝浦の街は、朝から大変な人出だ。

どこで聞きつけたのやら、皆、海岸へと集まっている。
法皇様の御一行がいらっしゃるそうだ。
舟遊びをされるそうな。
物見高い人の数は、どんどん増え続ける。

見れば、きらびやかに飾り付けた舟がある。
隣には、護衛のためか、水軍の無骨な舟も係留されている。
どちらの舟にも、既に漕ぎ手が乗り込んでいて、すぐにでも出港できそうだ。

準備は万端。

人々が、まだかまだかと待つうちに、
「来たぞ!!」
「道を空けろ!!」
遠くでどよめきが起こり、それは次第に近づいてきた。

人の群も、そのどよめきと一緒に移動してくる。

輿から法皇が降り立った。
お付きの女房達も降りてくる。
皆、恥ずかしげに扇で隠してはいるが、
ちらりと垣間見えるその顔は、粒よりの美人ばかり。

人々の間に、一斉にため息が漏れた。

法皇が、側近くに寄り添った、ひときわ美しい女房に、
何か話しかけた。
女房は頷くと、随身の手を借りて、飾り付けられた舟に乗る。

次いで、それに劣らず麗しい女房も、しずしずと乗り込んだ。

と、その女房の合図で、まだ女が二人しか乗っていないというのに、
舟のもやい綱が解かれた。

先に乗った女房が、はっと顔を上げる。
法皇はと見れば、今しも、水軍の舟に乗り込もうとするところ。

巨漢の副頭領に支えられて、舟の舳先に立った法皇は、
満悦至極な顔で笑った。

そして、隣の舟の女房に向かって、
「舟競べじゃ。面白き趣向よの」
そう言うと、呵々と笑った。

女房を乗せた舟が、滑るように岸を離れる。

「先にゆくがよい。余は海賊じゃ。
海賊に掴まらぬよう、よう逃げるのじゃぞ」

くっ……

女房が、赤い唇をきつく噛んだ。

法皇が何か企んでいると、薊が言っていたが、
まさか、このようなこととは……。

舟は沖へと進んでゆく。
法皇の軍舟が遠ざかる。

「どう?気に入った?」

後ろからの声に、女房姿のアザミは、ぎくりとした。
しかし、動けない。
身に纏った重ねの上から、背に押し当てられているのは、
三つの刃を持つ、あの武器だ。

「別当殿は、悪運が強いようだ。…おまけに…」
素早く考えを巡らせながら、アザミは言った。

すぐに刃を突き立てなかったのが、こいつの甘いところだ。
時間を稼げば、まだ、勝機はある。

「悪知恵も、かなりものだ」
「何のことかな」

「この舟競べ、あんたの入れ知恵だろう」
「よくわかったね。法皇様が喜んでくれて、オレもうれしいってね」
「では、法皇からの使者は……」
「やっぱり、オレの屋敷を見張っていたようだね。
使者には、今日の段取りを詳しく書いた文を渡したよ」

「そういう……ことか」

言うなり、アザミが動いた。
女房装束が、ヒノエの視界いっぱいに広がる。

船縁を蹴って高く反転すると、アザミは針を突き出した。
上からの攻撃を、ヒノエは装束の袖を振って払う。

くるりと振り向けば、アザミは舟の中央に立っている。

「簡単に後は取らせないよ」

ヒノエは、自らも、纏っていた装束の紐を解いた。
華やかな色目を見せながら、衣が身体をすべり落ちる。

「おお!!これは、何としたことじゃ?!」

ゆるゆると出航した軍舟の上で、法皇が叫んだ。

遠目ながらも、鮮やかな装束の乱舞と、
それを脱ぎ捨てて対峙した、二人の若者の姿は見える。

「これも、趣向の一つでございます」
副頭領が、恭しく言った。
内心の不安を、微塵も見せてはいけない。

「だだだ大丈夫です。
この舟は速いですから、絶対勝てます……痛っ!」

「お前は黙ってろ」
副頭領は、元間者の足を踏んずけると、思い切り恐い顔で睨んだ。
「ひぃぃぃ…ごめんなさい」
「そもそも、何でお前が乗ってるんだ」
「せっかくだから」
「おとなしくしてねえと、海に放り込むぞ」
「おとなしくしてますやくそくします」

「しかし、その気弱そうな男の申すことも、もっともやもしれぬな。
大男が大勢乗り込んで、本当に飾り舟に追いつけるのかのう。
あちらは、船足も軽そうじゃ」

法皇の言葉に、副頭領はどん!と厚い胸板を叩いた。
「そのことでしたら、ご心配は不要でございます。
熊野水軍の力、お見せ致しましょう」

「おお、頼もしいことじゃ。
あのようにして、別当自ら趣向に加わってくれるとは、
追いついてからが、楽しみよのう」

陽が高くなってきた。

法皇は眩しげに手をかざして、海のきらめきの向こうを見やる。

飾り舟の上では、鮮やかに舞うかの如き戦いが、繰り広げられていた。

「いずれ、あんたが妹と入れ替わるとは思っていたよ」
「読みが当たって、満足そうだな、藤原湛増」
「計略が読まれて悔しそうだね、藤原湛覚」

「………俺の名まで、知っているのか」
「意外と知られてるんだよ、あんたたちは」
「それは光栄。悪名高い、とでも言いたいんだろう」

「いや、サイテーだね。
自分の妹を、平気であの法皇に差し出すようなあんたは」

「はん…。あんたは、女のことには偽善者だ」
アザミは、鼻先で笑った。
「目的のためだと、薊は承知している。
あんただって、熊野のためなら、誰彼かまわず犠牲にするんだろ」

「熊野のため…?」
ヒノエの眼が、怒りを含んで光った。
「熊野に生まれたあんたが、今やっていることは、何だ」

ふっ…と、アザミは笑う。
「ちょっとした準備さ。
あんたには、分からない。分かる必要もない」

「トボけてすむ話じゃないぜ」

「ふうん、じいさんを別の舟に乗せたってことは、
やっぱり気づいてたんだ」

「法皇を、どうするつもりだった…」

「長い間、好きなことしてきたんだ。
もうそろそろ、常世の国で休んで頂いてもいいんじゃない?」

アザミは、トン!と足元を蹴った。
床板が裏側にくるりと返る。
同時にアザミは身を低く伏せ、板に挟み込まれていた大針を抜いた。

目にも止まらぬ速さで、大針がヒノエの胸元に走る。




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